禍々しい鮮血の色に染まった月の光が殺伐とした景色をより際立たせているように感じる。
彼が望んだ理想論は様々な現実を飲み込んで新たな秩序をこの地に打ち立てていた。
それでも彼の心に根強く残る自責の念はよりきつく彼自身の精神を縛り続けているのだ。
その渇望と絶望の在り様が表されているような歪な様相の空は現状のこの地の新たな現実として皆の心をも染め上げている。
かつての平和な日常を取り戻すために彼は戦い人としての感情や希望すら捨てて一応の平穏は訪れた。
しかし倒すべき敵がいなくなった後、彼の持つ超常の力は様々な不都合の原因として皆の日常を蝕んでいたのだ。
民衆が求めたはずの英雄としての彼は今や人々の分断と不満を生み出すだけの厄介者でしかなくなっていた。
そして訪れた運命の日。
彼の伴侶と仲間たちは騒乱と治安悪化を誘発する不穏要素として裁かれ、民衆の前で処刑されることとなる。
自分だけならどんな障害にも屈しないと、大事な者たちに当たり前の平穏を与えられると信じていた彼の手のひらから零れ落ちたささやかな幸せのカタチ。
その日に起きた目を覆うような惨劇と虐殺の記録は機密事項として保管されたが、皆の胸に魔獣となったかつての英雄の恐ろしさを焼き付けることとなったのは当然の事だろう。
そして僅かに残った理性により彼は自分の手にかけた民衆たちを自分の配下として復活させるに至る。
最早涙を流すことも忘れた彼は配下を引き連れ自分だけの世界に籠ることにした。
それからというもの、彼の治める領内では血染めの月が明けることのない夜を静かに照らし出している。
正気と理性が洗い流されるその世界で彼はひとり幸せだった頃の夢を見続ける。
自らの願いが己が身の滅びによる安息だと気づかぬままに。
「それで今回の案件はロード・ジャックローズの配下の魔物が起こしている治安悪化要件について、か。
彼はそこのところ厳しい筈だったけど最近は統制がとれてないのかな?古参の不死者である彼と事を構えるのは荷が勝ちすぎるんじゃないの?」
美琴は渡された機密書類を気だるげに目を通して前提のすり合わせをしておく。
荒事にした後に梯子を外されるとこちらの一族郎党皆揃ってこの世から旅立つことになりえる。
その場合もたらされるのは安らかな眠りではなく永劫の苦痛を伴う隷属される日々だ。
あまりにも引き受けた際のリスクがデカすぎる。
だが…
美琴は今回の仕事を持ってきたエージェントの男がニヤニヤしている事が気になっていた。
こんな絵に描いたようなタライ回し案件を意気揚々と持ってくるという事はウチの事務所に話を飲ませる手札があるという事だろう。
美琴はその辺の質問を2つ3つしてから裏を取ろうとして、気づく。
しかしグレー案件を持ち込むならその領域専門の暗部にやらせるのが筋だ。
わざわざウチのようなはぐれフリーランスに仕事を持ってくるのはそれなりの事情込みの話なはず。
大手の事務所に持ち込めない利権や旨味を握っているのか?
美琴の訝しげな視線の意図を読み取ったエージェントの男は満を持して今回の件のリターンを提示した。
それは美琴の現状の人生そのものを塗り替える事の出来る夢のような話。
美琴はいかにもといった胡散臭さに戸惑うも、話を最後まで聞くことにした。
エージェントの男はその様子を見て朗らかな笑顔で話を進めていく。
奈落の底への片道切符を握らされた美琴の眼には華々しい楽園のヴィジョンが映し出されていた。
