2022年3月 その姉、思いの外、名刑事 愛及屋烏
赤ずきんはオオカミの胎を裂いた 序
嫌な雨だった。気分的にも捜査的にも。
「――ご苦労様です」
現場を封鎖している警官が規制テープを持ち上げてくれる。
「ありがとう」
傘を閉じてから中に入り、急いでまた開いた。 一瞬なのに大分、頭と肩が濡れてしまった。 この様子では現場周辺で遺留物を探しても期待薄だろう。
殺害現場である廃工場は別にしても周囲の空き地は雨でグチャグチャだ。
「久留宮! こっちだ」
先輩刑事の山さんの声。泥が撥ねないぐらいの小走りで進む。 工場入口前に急遽、用意された刑事達の傘立て。 そこに自分の傘を置いて、ハンドタオルで雫を拭った。
「覚悟して見ろよ。初めてだろうからな」
脅かすような、ではなく本気でこちらを案じる声音。
「酷いんですか?」 「酷い、と言えば酷いが……妙でな」
しっくりこない、とその表情が語っていた。
「妙って、どんな――」
赤い、死体だった。
血に染まったワイシャツ。 ボタンは全て外されている。はだけた腹部に無数の傷が見える。 滅多刺しにされたのだろう、血の気は失せ、その顔はいっそ青い。 派手なタトゥーの入った首周りには傷は見当たらない。
刺殺による失血死か。
両手は頭より上で手錠で拘束されていた、一切の抵抗は不可能だろう。 自分達が普段使用する手錠ではない、市販品か。
「山さん、あれ何です?」
微かに震えながら耀が指差したのは、下腹部の穴。
「――石だよ、そこらにある」 「開いて、入れたんですか?」
凶器で切り開かれて、中に石を?
「薬の売人が胃に隠してたブツを回収されたのは見た事があるが――」
代わりに石を入れて、そのままというのは。
「最初、性犯罪者なり異常者の類の犯行かと思ったんだが」 「確かに被害者が女性なら、そんな印象の現場ですけど」
だが、被害者は若い男性だ。
「まぁ、男性が性被害に遭うケースが皆無とは――」
言わないが、どちらかと言えば。
「被害者の方がそれらしいですよね?」 「そうだな。加害者にしか見えん」
それも歴戦の。 別に見た目に偏見が有る訳では無いが、見る人間が見れば分かる。
「若手の私から見ても、マエがある様にしか――」 「ああ。免許証があったから、身元と一緒に照会させてる」
照会と鑑識作業が終わるのを待ちつつ、規制テープの向こう側に視線を送る。 火災現場の野次馬の様に中に犯人が紛れてはいなさそうだ。
「――お、来たぞ」
ノートパソコンに送られて来た被害者の経歴を確認する。
「何々……これはまた、厄介だな」 「議員の息子――三兄弟の末弟ですか。色々と派手にやってますね」
中学時代の補導の数だけでページを跨ぐ程。 最終的に全て示談に持ち込んでるが、恐喝、暴行のオンパレードだ。
「長兄が父親の秘書で後継者、次男が弁護士……」
典型的な出来の悪い三男坊だった。
「殺される恨み、なんて幾らでもありそうです」
被害者への怨恨か異常者か。
「こりゃ、ガイシャ周辺を探る前に手掛かりが必要だな」 「んー、下足痕——犯人のだけっぽいですよね?」
殺害現場は、この場所だが被害者が自力でここまで来た痕跡は、見当たらない。
「往復の跡、市販のスニーカー一組だけだ、そっちからは厳しい」
購入者からは、容疑者を絞れないという事だ。 だが、思いの外サイズが小さい。小柄な男か、或いは。
「工場前の空き地は雨で痕跡は台無し、となると——近場の店舗の監視カメラ、調べます」 「そうだな、往来なんかありそうもないエリアだ、目立つ」 「はい、山さんは?」 「タクシー会社に廃工場前で降りたか、乗った怪しい客が居ないか、話を流す」
居たとすれば、運転手の記憶に残るだろう、と続けた山さんに頷いて返した。
「じゃ、行ってきますね」
結局、それぞれの捜査は早い段階、それも明らかな形で合致した。
現場に一番近いコンビニ店内の防犯カメラに「それ」は映っていた。
店の前でタクシーを降りた男女——男には意識は無い様子で、女が肩を貸して現場方面に歩いていく様子。
一時間後、同一人物と思われる女がコンビニ前の公衆電話(珍しく残っていた)から、タクシーを呼んで乗り込んだ様子。
一方でタクシー会社への聞き込みでカラオケ店前で拾った「先に潰れてしまってお持ち帰りに失敗したマヌケな男」の話とコンビニ前から最寄り駅まで女性を乗せた話が聞けた。
どちらの映像も後ろ姿で女性の風貌が判るモノでは無く、二人のタクシー運転手も一方は、被害者の顔こそ覚えていたが、どちらも女性の服装ばかりに気がいって肝心の顔は覚えていなかった。
明らかになった特徴は、一つだけ。
その女性は——フード付きの赤いレインコートを着ていた。
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