私は人を助けるのが好きだ。 いや、好きだなんて生ぬるい言葉じゃ足りない。子供の時から、困っている人間が誰であっても手伝っていた。私は人より優しいのだと、本気で自分でも思っていた。誰かを助けた後に貰える感謝の言葉や、自分が必要とされているというあの感覚。それだけが私の胸を、脳を、満たしてくれた。人を助けることこそが自分の生きがいであり、それ以外の生き方なんて考えられなかった。
だから、人を助ける仕事を目指した。警察か消防か。結局、悪を挫いて人を救う警察の職に就くことにした。当時の私は、自分の内側に潜む悍しい怪物の存在に、まだ一ミリも気づいていなかった。
それから年月が経ち、私は念願の警察官になった。 最初は本当に楽しかった。満足していた。犯罪者を捕まえたり、困っている人の相談に乗ったり、私はこの仕事に自分の存在意義のすべてを賭けていた。私の手によって街から不幸が減っていく。その全能感に酔いしれていた。
だが、そんな日々はすぐに終わった。
ほどなくして、管内の犯罪件数が右肩下がりになったのだ。 私の仕事は、そのほとんどが退屈な事務作業となった。毎日毎日、動かない書類に判子を押し、何も起きない街をパトロールするだけ。
私に仕事がないということは、それは街が平和であるということだ。喜ぶべきことだ。当たり前じゃないか。だけど、私の心には、どうしようもない、どす黒いモヤモヤが残ることになった。
犯罪が起きない世の中。それは私が思い描いた平和な世界のはずなのに、なぜ私はこの現状に満足していないのだろうか。なぜ、心のどこかで「事件よ、起きろ」と願ってしまうのだろうか。
狭い交番のデスクで、一人で考え続けた。そして、ある夜、私は一つの最悪な気づきを得てしまった。
私は警察という職に就いた時から……いや、違う。もっと前だ。子供の時、道端で泣いている迷子を見つけて「ラッキーだ」と心の底でほくそ笑んだあの瞬間から、平和な世の中など望んではいなかったのではないか。
私の生きがいは人を助けることだ。それ自体に嘘はない。人を助けたい。だけど、だからこそ、私は平和な世界なんて求めていないのだ。
人を助けて平和な世の中にしたい、けれど平和になれば人を助ける必要もなくなる。 じゃあ、そうなったときの私の生きる意味はどうなる? 誰にも必要とされない私は、ただの抜け殻じゃないか。
私は「人を助けるヒーロー」であり続けるために、どうしても「傷つき、泣き叫ぶ弱者」を必要としていた。私の歪んだ自己満足を満たすためには、この世界に絶えず不幸と犯罪が供給され続けなければならなかったんだ。
この自家撞着に気づいた時、私は狂った。
……いや、狂ったなんて言葉で済ませてはいけない。私は一線を越えたのだ。人を助けるために、あってはならない過ちを犯した。私の手は、人を助けるための手だったはずなのに、いつの間にか自らの手で多くの人間を奈落に突き落としていた。
……はは、笑えない喜劇だ。文字にすると、自分の醜さに吐き気がする。
私は今、コンクリートの四角い檻の中にいる。 かつては犯罪者を閉じ詰める側だった私が、今ではここでただ、その時を待っている。自業自得だ。私のしたことは、決して許されることではない。私のエゴのために、多くの人の人生を破壊したのだから。
この冷たい檻の中でも、私はずっと考えてみた。ノートにペンを走らせながら、何度も、何度も、同じところをぐるぐると回りながら。 人を助けたいという純粋な願いと、そのために不幸を欲してしまう化け物のような業。この自家撞着を、私はどう処理すればよかったのだろう。どうすれば、私は狂わずに済んだのだろう。
結局、考えても考えても、答えなんて出なかった。私の頭では、この矛盾の檻から抜け出すことはできなかった。文字が震える。インクが滲む。こんなものを書いて何になるのか。
「……214番」
廊下に、硬い足音が響いた。鉄格子の向こうから、看守の冷徹な声が私の番号を呼ぶ。 どうやら、今日で終わりらしい。ついに、その日が来たのだ。心臓が嫌な音を立てて跳ねているけれど、どこかでホッとしている自分もいる。もう、この狂った矛盾に頭を悩ませる必要もない。
私はこの日記を、机の隅にそっと置いた。 書き殴った文字は震えていて、支離滅裂で、人間としての不完全さに満ちている。だけど、これが私のすべてだ。私の歪んだ脳みその中身だ。
私がこれから、誰にも知られることなく、人知れず処分されるように——この日記もまた、私と同じように誰の目にも触れることなく、ただのゴミとして処分されてほしい。
私の歪んだ善意も、犯した罪も、この世から綺麗に消えてなくなればいい。誰の記憶にも残らずに。
「今行きます」
そう声を絞り出し、私はゆっくりと立ち上がった。もう二度と戻ることのない部屋のドアへと、一歩、足を踏み出した。
