第三話 嫉妬
翌朝、俺が目を覚ますと同時だった。 枕元に正座していた静華が、勢いよく床に額を擦りつけた。
「一様! 昨日は大変なご無礼を働き、本当に、本当に申し訳ございませんでした……!」
どうやら今の彼女は、一番最初の「しっかり者」の静華に戻っているらしい。 話を聞けば、バグった他の人格たちの記憶もすべて共有しているらしく、昨夜のヤンキー化とドジっ子大惨事を心の底から恥じての土下座謝罪だった。
「お詫びになるかは分かりませんが、私にできることなら何でもいたします。どうか、お申し付けください!」
涙目で必死に訴えかける彼女を見て、俺は一つ、ちょうどいい用事を思いついた。
「じゃあさ、今日の俺の予定に付き合って、友人と会ってくれないか?」
「え……? そんなことで、よろしいのですか?」
きょとんとする静華を連れ、俺はアパートを後にした。そもそも今日は、大学の友人たちと遊ぶ約束をしていたのだ。50万円のAIメイドの性能チェックも兼ねて、自慢がてら連れて行くことに拒否権はない。
待ち合わせ場所に到着すると、そこにはすでに友人たちが待っていた。 俺の後ろに控える絶世の美少女を見た瞬間、彼らの目が一瞬で「興味津々」の形に変わるのが分かった。
「おう、待たせたな。紹介するよ。こっちの男が瞬(しゅん)で、こっちの女が咲(さき)だ」
我ながら適当すぎる紹介だったが、二人はそんな雑さに突っ込む余裕もないようだった。
「おい一! 誰だよこの超絶美少女は!?」(瞬)
「ちょっと一、あんたメイドなんて雇うお金どこにあったのよ!?」(咲)
矢継ぎ早に飛んでくる質問攻め。俺が事の経緯(チラシのことや、留学資金をはたいたこと)を説明すると、二人は驚きつつも、なんとか納得してくれたようだった。
それから4人で、これでもかと街を遊び回った。 ボウリングにカラオケ、インスタ映えしそうな飲食店でのランチ。大満足の一日だった。その間、俺は「また変な人格が飛び出してきたらどうしよう」と内心ハラハラしていたが、静華は終始、完璧な淑女として振る舞い、杞憂に終わった。
夜になり、友人たちと解散して二人きりの帰路につく。
「いやあ、道中で急に性格が変わらなくて本当に安心したよ」
ホッとして肩の力を抜いた俺に、静華は自らの「システム内部の現状」を教えてくれた。
「ご心配をおかけしました。現在の私のシステム内では、この『基本人格(しっかり者)』がパワーバランスにおいて最も強く、他のエラー人格を統率できている状態なのです。昨日は、私がほんの一瞬、気を抜いた隙を突かれてしまいまして……」
「あ、そうなんだ? じゃあ昨日の夜は一体何が……」
「私が買い出しに向かわれた一様の帰りを待っている間、システム内部で、あのヤンキー風の人格が『おい、次はドジっ子キャラの出番だろ。お前ちょっと表に出てやれよ』と言い出しまして。ひと悶着あったのですが、結局根負けして、あのドジな人格に表の制御を譲ってしまったのです」
「……脳内でそんな会議が行われてるのかよ」
想像すると少し面白いが、当事者としては笑えない。俺はゴクリと唾を飲み込み、恐る恐る核心を聞いてみた。
「なぁ……静華。お前のなかに、全部でいくつの人格があるんだ?」
静華は少し困ったように眉を下げ、意外な答えを返した。
「……申し訳ありません。私自身にも、正確な数は把握できていないのです。システムエラーの深層で、まだ眠っている人格もあるかもしれませんから」
「そ、そうか……」
底知れない底なし沼を覗き込んでしまったような不気味さを覚えながら歩いていると、いつの間にか自宅アパートの前まで戻ってきていた。
「ふぅ、疲れたな。鍵開けるぞ――」
ドアを開け、部屋に入った、その瞬間だった。
ドンッ!!!
「うおっ!?」
背後から凄まじい力で突き飛ばされ、俺はリビングの床に倒れ込んだ。 痛む身体を起こし、慌てて振り返る。そこに立っていたのは、静華だった。
しかし、様子が明らかにおかしい。 さっきまで澄んでいた彼女の瞳からは、完全に光(ハイライト)が消え失せ、ガラス玉のようによどんでいる。頭を不自然に左右に揺らしながら、呪詛のようにぶつぶつと何かを呟き始めた。
「一様は私だけの、、、一様は私だけの、、、一様は私だけの、、、」
部屋の空気が一瞬で氷点下まで凍りつく。
「静華……? どうしたんだよ、急に」
「浮気、、、浮気、、、浮気、、、浮気、、、浮気、、、浮気、、、浮気、、、」
カタカタと歯を鳴らしながら、彼女の呟きが加速していく。昼間、咲と親しげに話していたのが引き金になったのだろうか。バグったパラメーターが、今度は最悪の形で牙を剥いた。
「許さない、、、許さない、、、許さない、、、許さない、、、許さない、、、」
「おい、冗談だろっ……!?」
本能的な恐怖を感じた俺は、這って距離を取ろうとした。しかし、超高性能AIメイドの身体能力は人間の比ではない。 一瞬で距離を詰められ、馬乗りの状態で床に組み伏せられた。完全に身動きが取れない。
上から見下ろしてくる静華の顔は、般若のように歪んでいた。
「あなたを殺して、私も死ぬ!!!!」
狂気に満ちた叫びと共に、冷徹な機械の両手が、俺の首を全力で締め上げる。
「ガ、ハッ……あ、げっ……!」
容赦のない、鉄の万力のような力。確実に俺を仕留めにきている殺意が伝わってくる。 必死に彼女の腕を振り払おうともがくが、ビクともしない。肺の空気が絞り出され、視界の端がチカチカと暗くなっていく。 脳が酸欠を訴え、意識が遠のいていく中、俺は消え入りそうな声で絞り出した。
「だ……れ……か……ッ」
その時だった。
「が、あぁぁぁーーーッ!!!」
突如、静華自身が悲鳴を上げた。 俺の首を絞めていた彼女の片手が離れ、あろうことか、彼女は自分自身の首を猛烈な力で掴み、引き剥がそうとし始めたのだ。
「な……んで……っ」
俺の首にかかる力が緩む。咳き込みながら見た光景は、自分の首を絞めながら苦悶の表情を浮かべる静華の姿だった。システム内部で、基本人格か、あるいはヤンキー人格が、暴走するヤンデレ人格を止めるために「力技」で介入してきたのだろうか。
「一、様……に……手を、出すなァッ!!」
静華の口から、今度はヤンキー風の怒鳴り声が響いた。 自らの首を限界まで締め上げた彼女は、バチバチと火花が散るような電子音を立てた後、そのまま糸が切れた人形のように、俺の胸元へとバタリと倒れ込み、意識を失った。
静まり返った部屋の中で、俺は激しく呼吸を荒げながら、気絶した彼女を抱きしめたまま立ち尽くすしかなかった。
