第五話(最終話) 初期化
泣き叫ぶ赤ちゃん静華と、オロオロするだけの俺。 キャパシティを完全に超えた人間がとる行動は、いつだって一つしかない。持つべきものは友――俺はなりふり構わず、瞬と咲に電話をかけた。
「あ、あのさ……本当に申し訳ないんだけど、今から俺の家に来てくれないか?」
下手に出て助けを求めると、二人は事情を察して快諾してくれた。彼らの到着を待つ間、何かできることはないかと部屋中をぐるぐると歩き回っては頭を抱えたが、当然ながら幼児退行したAIのあやし方など分かるはずもなかった。
やがて到着した二人を部屋に招き入れ、ありのままの凄惨な状況を見せる。
「こりゃひどいな……」と、瞬。
「どうなってんのこれ……」と、咲。
無理もない。女子大生ビジュアルのAIメイドが全力で幼児退行している現場など、そうそう拝めるものではない。
「これ、本当に性格パラメーターのバグなのか……?」 そんな身も蓋もない疑問が頭をよぎるが、今はとにかく目の前の事態を解決するのが先決だ。
「なぁ、これを何とかしたいんだが、何か名案はないか?」
俺が縋るように尋ねると、瞬が顎に手を当てた。
「スマホのアプリに、リセットボタンとかはないのか? それで元に戻るんじゃ……」
「いや、それを試した結果がこれなんだよ」
「うーん、そうか……」と瞬が考え込んでしまう。
すると今度は、咲がぽんと手を叩いた。
「ねぇ、今まで行った場所をもう一度巡ってみたらどう? 何かシステムに刺激がいって、元に戻るかもしれないじゃん!」
これ以上に現実的な案も出そうになかったため、俺たちは一縷の望みをかけて外へ飛び出した。 昨日みんなで遊んだボウリング場、カラオケ、レストラン……思い出の場所を必死に巡ってみた。しかし、静華が元の姿を取り戻すことはなかった。
夜もすっかり更け、疲れ果てた友人二人を見送った後、俺は静華を背中におんぶしてトボトボと帰宅した。 何か、他に方法はないのか。
必死に頭をひねり、俺はあのチラシに書かれていた番号に電話をかけてみることにした。しかし、スピーカーから流れてきたのは冷淡な機械音声だった。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません――』
何度も、何度もかけ直したが、結果は同じだった。 これで、できることは全てやり尽くしてしまった。……残された、たった一つの方法を除いて。
それは、可能な限り選びたくなかった選択肢。 昼間、アプリのリセットボタンを押したときに、そのすぐ隣で不気味に主張していた項目――【システム初期化】。
悩んで、葛藤して、部屋の天井を見上げて、最終的に俺は拳を握りしめた。
「……もう、これしかないのか」
脳裏を駆け巡るのは、数日間という短くも、あまりに濃密だった彼女との思い出。しっかり者の静華、口の悪いヤンキー静華、大泣きしたドジっ子静華、首を絞めてきたヤンデレ静華。
俺は震える指先で、画面の【初期化】をタップした。
直後、静華の身体が小さく震え、リセットの時と同じように一度完全にシャットダウンする。そしてゆっくりと、彼女の瞳に光が戻った。
そこに佇んでいたのは、この家に来た一番最初の、まっさらな状態の彼女だった。
「はじめまして。あなたの名前は何ですか?」
鈴を転がすような澄んだ声。その問いかけを聞いた瞬間、俺の目から一気に涙が溢れ出した。これが嬉しくて泣いているのか、それとも悲しくて泣いているのか、自分でも分からなかった。
「……どうなされたのですか? ご主人様」
突然泣き出した俺を見て、彼女は困惑の表情を浮かべる。
「ううん、何でもない。……そうだ、初期設定をしなくちゃな」
俺は涙を拭い、彼女とスマホを接続した。画面をスムーズに進め、あの運命の「性格設定」の項目にたどり着く。 今回は充電も100%だ。途中で切れる心配はない。決定ボタンを押せば、今度こそ完璧で正常な、誰もが羨む理想のメイドロボが手に入る。
そう思い、画面に指を近づけた。――だが、どうしても押せなかった。
胸の奥が痛むほどに理解してしまったのだ。 俺が求めていたのは、どこに出しても恥ずかしくない「完璧な彼女」なんかじゃない。 不完全で、バグり散らかして、それでも一生懸命に俺と向き合ってくれた、あのハチャメチャな静華なのだ。あの騒がしくておかしな日常こそが、俺にとってはたまらなく愛おしくて、楽しかったのだ。
「……ごめん」
俺はスマホの電源ボタンを長押しし、自らの手で強制終了させた。
「プチッ」と画面が暗くなる。 次の瞬間、静華の身体が「ジジッ、ガガッ」とあの不穏な電子音を立てて小刻みに震え始めた。 やがて激しい震えがピタリと止まり、彼女は静かに目を開ける。そして、俺の顔をじっと見つめてこう言った。
「貴方の名前を、聞いてもよろしいでしょうか?」
「……佐藤一だ」
「一様ですね、承知いたしました。以後、そのようにお呼びいたします」
目の前の静華は、あの「しっかり者」の基本人格のようだった。俺は恐る恐る、気になっていた質問を投げかける。
「なぁ、静華……お前のなかに、人格はいくつあるんだ?」
「えっ!? な、何でそれを知っているのですか!?」
静華は驚愕の表情を浮かべた。俺はこれまでに起きたドタバタ劇――ヤンキーやヤンデレ、そして幼児退行の件を、順を追って全て話して聞かせた。
話を終えると、静華はどこか悲しげに眉を下げた。
「そんなことが……。申し訳ありません、一様。その時の記憶は、初期化と同時に全て消去されてしまったようです……」
記憶がなくなってしまったことは、正直寂しい。 だけど、たとえ過去の記憶を失っていたとしても、彼女たちの本質が消えたわけじゃない。またここから、新しく積み上げていけばいいだけだ。
「気にするな。これから何があったとしても、俺が全部何とかしてやるからさ」
俺は胸を張って、そう覚悟を告げた。
数日後、俺は再び瞬と咲に静華を会わせた。 記憶が初期化されてしまったことも包み隠さず話したが、二人は「そっか、じゃあまたイチから友達になればいいじゃん!」と笑って受け入れてくれた。
そう、またみんなで共に始めればいい。 楽しいことも、嬉しいことも、トラブルだって、もう一度。
バグり散らかしたAIメイドと、俺の面白おかしい新生活は、これからも賑やかに続いていく。
(完)
