輪の外

教室には笑い声の向きがある。

それに気づいたのは、高校二年生の五月だった。最初はただの偶然だと思っていた。誰かが冗談を言い、何人かが笑う。その視線がたまたまこちらをかすめる。それだけのことだと。けれど、何度も続くうちにわかってくる。笑いには流れがあって、中心があって、外側がある。そして私は、いつのまにかその外側に立たされていた。

朝、教室に入ると、空気が一瞬だけ薄く変わることがある。誰かが話すのをやめるわけではない。あからさまに黙るわけでもない。ただ会話の表面だけが少し滑らかになって、私の入る隙間がなくなる。机に鞄を置く音だけが妙に大きく聞こえる。窓際の席に座って教科書を出していると、後ろのほうで小さな笑い声が起きる。振り向くほどではない。振り向けば、たぶん何も起きていない顔をされる。

最初のきっかけは、たぶん本当に小さなことだった。

体育祭の準備で、クラスTシャツのデザインを決めるとき、私は一度だけ反対意見を言った。派手すぎると思ったからだ。別に誰かを否定するつもりはなかった。ただ、もう少しシンプルなほうがいいと言っただけだった。そのとき、中心にいた女子の一人が、へえ、と笑った。明るい声だった。悪意はないように聞こえた。

「じゃあ、代わりに考えてよ」

そう言われて、わたしは言葉に詰まった。すぐに案が出るわけではなかったし、みんなの視線が集まると頭が白くなる。結局、「いや、別にいい」と曖昧に引っ込めた。すると、その子は肩をすくめて、「だよね」と言った。周りが少し笑った。あのときの笑い声が、あとから何度も形を変えて戻ってきた気がする。

それから、私の発言は少しずつ軽く扱われるようになった。

何か言うと、「また真面目」と笑われる。知らないことを聞けば、「え、それもわかんないの」と言われる。たまたま答えを間違えると、必要以上に面白がられる。どれも一つずつなら、いじめと呼ぶほどではないのかもしれない。先生に相談しても、「気にしすぎじゃないか」と言われそうな程度のことだった。だから余計に厄介だった。痛いと訴えるには傷が浅すぎて、でも確実に皮膚の下へ染みてくる。

昼休み、私はよく図書室へ行くようになった。静かで、誰も私を見ないから楽だった。ページをめくる音と、遠くで椅子を引く音だけがある空間は、教室よりずっと親切に思えた。けれど、ずっとそこにいるわけにもいかない。五時間目が近づけば、また教室へ戻らなければならない。廊下を歩きながら、心臓が少しずつ重くなる。教室の前で足が止まりそうになる。そんな自分が情けなくて、誰にも見られていないのに恥ずかしかった。

ある日、机の中にプリントが丸めて突っ込まれていた。開くと、私の似顔絵が描いてあった。目だけが異様に大きく、口はへの字に曲がっている。下に、小さく「こわ」と書いてあった。私はそれを見て、なぜか安心した。やっと形になったと思ったのだ。見えないものとして続いていた悪意が、紙の上に乗っている。これなら、何かあったと言える。そう思った。

けれど、その紙を先生に見せることはできなかった。

もし見せたら、誰がやったのか探されるだろう。クラスの空気はもっと悪くなる。犯人が見つからなくても、私が告げ口したことだけは残る。そうなったとき、今より楽になるとは思えなかった。私は紙を細かく破って、トイレのゴミ箱に捨てた。流してしまいたかったが、詰まったら嫌だった。

放課後、昇降口で靴を履き替えていると、後ろで誰かが私の名前を真似した。少し鼻にかかった、間延びした声だった。振り向くと、三人の女子がいた。目が合うと、そのうちの一人が「なに」と言った。私は首を振った。三人は笑いながら外へ出ていった。校庭の向こうは夕焼けで、フェンスが黒く見えた。

家に帰ると、母が夕飯の支度をしていた。

「おかえり。今日どうだった」

私は「普通」と答えた。

母はそれ以上聞かなかった。助かったような、少し残念なような気持ちになった。本当のことを言えば、きっと心配するだろう。学校へ連絡しようかと言うかもしれない。それは困る。けれど、何も聞かれないと、自分の一日が最初から存在しなかったみたいでもあった。

夜、風呂に入っていると、ふと、明日も同じように朝が来るのだと思って息が苦しくなった。たったそれだけのことで、と自分でも思う。殴られたわけでもない。物を壊されたわけでもない。なのに、教室のドアを開けることが、日に日に難しくなっていく。人はもっとひどいことにも耐えているのに、自分はこんな程度で揺らいでいる。そう考えるたび、苦しさに加えて軽蔑が増えた。

六月の終わり、グループ発表があった。四人一組で、テーマごとに調べて前に出る。私はじゃんけんで最後まで残り、空いている班に入れられた。班の三人は露骨に嫌な顔はしなかったが、歓迎もされなかった。打ち合せの間、私の意見はほとんど拾われず、役割分担では一番目立たない資料集めだけが回ってきた。

発表当日、私はプリントを全員分コピーして持っていった。けれど、開始直前になって班の一人が「これ、頼んでたのと違う」と言った。そんな頼み方はされていなかった。私は説明しようとしたが、相手はもう聞いていなかった。その声は周りには聞こえない程度だったが、私には十分だった。

発表が終わったあと、教室の後ろで何人かが笑っていた。私のことだと断言はできない。でも、そうではないと考える理由も見つからなかった。

その日の帰り、雨が降っていた。傘を持っていなかったので、校門の前で立ち尽くした。しばらく待てば弱まるかもしれないと思った。けれど、空は暗くなるばかりで、雨脚はむしろ強くなった。周りの生徒は次々に帰っていく。昇降口の屋根に打ちつける雨音が、世界を狭くしていた。

「入る?」

声をかけられて振り向くと、同じクラスの男子が立っていた。ほとんど話したことのない人だった。黒い傘を少しこちらへ傾けている。私は一瞬、返事ができなかった。親切にされる準備が、もううまくできなくなっていた。

「……いいの」

「駅までだろ」

私は頷いた。

傘の下は思ったより狭くて、肩が少し触れた。相手は何も聞かなかった。私も何も言わなかった。ただ、雨音だけが傘の布を細かく叩いていた。校門から駅までの十分ほどの道が、その日だけ妙に長く感じられた。

別れ際、その人は少し迷うようにしてから言った。

「最近、あんまり気にしないほうがいいよ」

私は足を止めた。

「みんな、深く考えてないから」

慰めのつもりなのだとわかった。悪意もないのだろう。けれど、その言葉は私の胸の中で変な形に折れた。深く考えていないなら、なおさら残酷だと思った。考えずに人を削れるということだから。

「うん」

私はそう言った。

家に帰ると、制服の裾が少し濡れていた。母がタオルを持ってきて、「風邪ひくよ」と言った。私は笑って受け取った。そのとき、自分がどんな顔で笑ったのかわからなかった。

夏休み前の終業式の日、教室の黒板には担任が書いた大きな文字が残っていた。

「楽しい夏休みを」

みんなが浮き立っていた。予定を話し、写真を撮り、机を寄せて騒いでいた。私はその輪の外で鞄を閉めた。長い休みが来ることにほっとしている自分と、九月になればまたここへ戻るのだと知っている自分が、胸の中で静かに向かい合っていた。

教室を出る前に、一度だけ振り返った。

窓際の席、笑っている人たち、床に落ちた紙くず、誰かの水筒、開いたままのロッカー。どこにも特別なものはなかった。いじめなんて、最初から存在しなかったと言われれば、たぶんそう見える景色だった。

けれど、私は知っていた。人は、傷つけた痕を残さずに、誰かを毎日少しずつ壊すことができる。むしろ、そのほうが簡単なのだと。大きな音も、決定的な暴力もいらない。ただ、笑いの向きを揃えて、沈黙の位置を決めて、一人だけそこから外せばいい。

廊下に出ると、蝉の声が遠くから聞こえた。夏の匂いがした。明るい季節のはずなのに、胸の中には薄暗い部屋が一つ残っていた。

私はその部屋に鍵をかける方法を、まだ知らなかった。

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みき

気になったことを自分の意見も交えつつ記事にしていきます。 (内容は種類にこだわらずやっていきます)

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