火は雪の下で燃える-第七話-

第七話 証言の値段

ベルナ村が焼けた翌日、最初に整えられたのは遺体ではなく文言だった。

テリル連合国は、ハイネ帝国によるベルナ村焼討ちを「明白な民間人虐殺を伴う侵略行為」と非難し、加盟州の総力防衛を呼び掛けた。
ハイネ帝国は、ベルナ村周辺に潜伏していた連合武装勢力の無秩序な抵抗により火災が拡大したとし、帝国軍は退去勧告と住民保護を実施したと発表した。

焼け跡はまだ温かいのに、言葉だけが先に冷えていた。


ルスカ自治州州庁舎では、朝から証言の聴取が続いていた。

ベルナ村から逃げ延びた者、近隣村の住民、州兵、伝令、負傷者の付き添い。誰もが疲れた顔をしていたが、役人たちはその疲れを休ませるためではなく、使える形へ整えるために話を聞いていた。

ミナは母と並んで、廊下の長椅子に座っていた。焼けた服は着替えたが、髪にはまだ煙の匂いが残っている。
隣に座る母は、火傷した腕を布で吊っていた。顔色は悪い。けれど帰してはもらえない。祖父の件に続いて、今度はベルナ村の避難民としても話を聞かされることになったのだ。

「またですか」

母が小声で言う。

役人は事務的に答えた。

「事態が重大ですので」

重大。
その言葉の中には、同情より先に利用価値が含まれているようにミナには聞こえた。

廊下の反対側では、泣き崩れる女がいた。夫と息子をベルナで失ったらしい。役人が水を渡し、別室へ案内する。慰めているようにも見えるが、実際には「証言可能な状態」に整えているだけかもしれない。
ミナはそう思ってしまう自分に、少しだけ嫌気がさした。
でも、もうそういう見方しかできなくなり始めていた。

やがて名前を呼ばれ、母子は部屋へ通された。
机の向こうには文官が二人。ひとりは記録係、もうひとりは質問役だ。
質問役は柔らかい声をしていた。柔らかい声ほど、逃げ道を塞ぐことがある。

「ベルナ村で、帝国軍の退去勧告を聞きましたか」

母が答える。

「聞こえました。でも、何を言っているか全部は……」

「勧告の直後に砲撃が始まりましたか」

「すぐだったと思います」

「帝国軍兵士が住民へ発砲するのを見ましたか」

母は詰まった。
見たか、と問われれば、はっきりは見てはいないのだろう。
だが砲撃はあった。火は上がった。人は死んだ。
戦争の証言は、見たものと確信したものの境目がすぐ曖昧になる。

「……わかりません」

母はそう言った。

質問役は少しだけ間を置いた。

「では、住民が帝国軍の攻撃によって危険にさらされた、という理解でよろしいですか」

ミナはその言い方に、はっとした。
見たか、から、理解でよろしいか、へ。
わからないを、少しずつ言い換えていく。

母は疲れた顔で頷いた。

「はい」

記録係のペンが走る。

ミナはその音を聞きながら、紙の上ではもう母の迷いが消えている気がした。

「あなたは何か見ましたか」

今度はミナに向けられた。

彼女は喉が詰まった。
路地。火。倒れた兵。母とはぐれた手。
全部ある。だが順番がうまく言えない。

「兵士が……」

「帝国軍ですか」

「わからない」

「制服は」

「見ていない」

「撃たれたのですか」

「倒れた」

質問役は少し身を乗り出した。

「誰に撃たれたと思いますか」

ミナは黙った。
思いますか。
見たかではない。
思うことに値段がつく場だと、彼女は幼いなりに気づいた。

「わからない」

もう一度そう言うと、質問役の目がわずかに冷えた。
怒っているわけではない。
ただ、この子は使いにくい、と判断した目だった。


臨時診療所では、リアがベルナから来た負傷者の記録整理に追われていた。

火傷患者は容態の変化が激しい。朝に落ち着いていても、昼には呼吸が悪化する。煙を吸った者は見た目より危ない。子どもは熱を出しやすく、老人は静かに弱る。
戦場の傷は派手だが、火災の後はじわじわ死ぬ者が多い。

机の上の紙には、名前と症状と搬送時刻が並んでいる。
その中に、「身元不明 女児 推定六歳」「身元不明 男性 焼損重度」といった記載が混じる。
名前のない死者は、数として扱うには便利だ。だが現場でそれを書く手は重い。

「州庁舎から人が来るって」

マルタが言った。

「何しに」

「証言の裏取り。あと、写真を撮るかも」

リアは顔を上げた。

「写真?」

「宣伝用か記録用かは知らない」

リアは露骨に嫌そうな顔をした。

「患者を見世物にするの」

「見世物にしないと、遠くの人は信じないのよ」

マルタの声はいつも通り乾いていた。
だがそれは諦めの乾きであって、賛成の乾きではない。

そこへ、ミナと母が診療所に戻ってきた。
母の腕の処置のやり直しが必要だったのだ。
ミナの顔は、昨日よりさらに固かった。

「大丈夫?」

リアが聞くと、ミナは少しだけ迷ってから言った。

「大丈夫じゃない」

その答えに、リアはむしろほっとした。
大丈夫だと言われるより、ずっとましだった。

「何か言われたの」

「いっぱい聞かれた」

「答えたくないことも?」

ミナは頷いた。

「わからないって言ったら、困った顔をされた」

リアは小さく息を吐いた。
その光景が容易に想像できた。

「わからないでいいんだよ」

そう言いながら、彼女は自分の言葉の弱さも知っていた。
ここでは、わからないは嫌われる。
誰もが、怒るための輪郭を欲しがっている。


帝都グランヘルでは、ベルナ村事件はすでに別の形になり始めていた。

中央広報院に届いた連合側声明の要旨には「帝国軍による民間人虐殺」「退去中住民への無差別攻撃」「焦土化政策の兆候」といった語が並ぶ。
それに対抗する帝国側の文案も、当然ながら強くなる。

セシル・ノイマンは机で草案を読み比べていた。
どちらも、ある程度は本当なのだろう。
どちらも、ある程度は作っている。
戦争が進むほど、嘘はまるごとではなく、角度として現れる。

「連合側は子どもの証言を出してきそうです」

秘書官が言った。

「ベルナからの避難民の中に、印象の強い事例があるとか」

セシルは顔を上げた。

「子どもを使うのか」

「使う、という言い方は適切ではありません。実情を伝えるだけです」

「便利な実情だ」

思わずそう返すと、秘書官は少し眉を寄せた。
広報院の中で皮肉は効率が悪い。
だがセシルには、もう時々抑えきれなかった。

「こちらも住民保護の実例を集めます」

秘書官は続ける。

「燃える中から子どもを救出した兵士の報告が一件あります」

セシルは目を伏せた。
あるだろう。
実際に助けた兵士はいたはずだ。
そして、その一件は本物であるがゆえに、全体の免罪符として使われる。

「その兵士の名前は」

「確認中です」

またその言葉だ。
名前は確認中。
だが使い道だけは先に決まっている。


ベルナ村焼失の報は、帝国前線部隊にも別の形で戻ってきた。

エーリヒ・ヴァルナー少尉は司令部から回ってきた報告写しを読んでいた。

「敵武装勢力潜伏地域に対する制圧作戦は概ね成功。敵の抵抗射撃により火災が拡大したが、帝国軍は事前警告と住民救助を実施し、人道的配慮を保持した」

保持した。
その語が妙に引っかかった。

保持。
まるで人道が物資の一つみたいだ。
失われやすいから、保持したと書くのか。

「少尉、連合側の放送です」

ブルーノが小型受信機を持ってきた。
雑音混じりの中、連合側の声明が流れている。ベルナ村における帝国軍の蛮行、民間人虐殺、子どもの証言、焼けた礼拝堂。
語気は強く、感情を煽る作りだった。

エーリヒは黙って聞いた。
嘘ばかりではない。
だが全部でもない。
こちらの報告書も同じだ。

「どっちも都合がいい」

思わず漏らすと、ブルーノが肩をすくめた。

「戦争ですから」
「それで済ませるのか」
「済ませないなら、少尉は何をします」

エーリヒは答えられなかった。
報告書を破るか。命令を拒否するか。焼け跡に立って謝るか。
どれも現実ではない。
現実には、次の作戦命令が届くだけだ。

「南方道路の確保任務です」

ブルーノが新しい紙を差し出した。

「ベルナの先です」

焼けた村の先へ進む。
軍はいつも、何かを起点ではなく通過点に変える。


午後、州庁舎の一室で、連合側広報担当がベルナ村避難民の選別をしていた。

誰を前に出すか。
どの証言が最も伝わるか。
どの傷が写真映えするか。
そういう会話が、抑えた声で交わされていた。

ミナの母も候補に挙がったが、最終的には外された。
証言に迷いが多いからだ。
代わりに、夫と息子を失った女と、顔に火傷を負った少年が選ばれた。
悲惨さが明確で、語る内容に揺れが少ない。

ミナは廊下の隅からその様子を見ていた。
自分は選ばれなかった。
それでよかったと思う一方、選ばれた人たちがどこか商品みたいに扱われている気もした。

そこへ、州兵に連れられたダヴィドが通り過ぎた。
あの商人だ。
まだ拘束されているらしい。
顔の腫れは引ききっていない。

「間者なの」

ミナが小声で母に聞くと、母は疲れた顔で首を振った。

「わからない」

またその言葉。
でも今度は、少しだけ救いがあるように聞こえた。
わからないまま決めつけないことが、もうほとんど優しさになっている。


診療所の奥で、リアはダヴィドの額の傷を縫い直していた。

「まだ放してもらえないの」

聞くと、ダヴィドは乾いた笑いを漏らした。

「放したら困るんだろ」

「誰が」

「みんなだよ」

彼は天井を見たまま言う。

「帝国訛りの商人が一人いると便利なんだ。敵が近いって実感できる。俺が本当に何者かなんて、たぶんもう関係ない」

リアは返す言葉を失った。
その通りかもしれなかった。

「逃げればよかったのに」

「逃げる先がない」

ダヴィドは目を閉じた。

「帝国側へ戻れば連合に通じたって疑われる。こっちにいれば帝国の間者だ。商人ってのは、平時には境界を越えられるから食える。でも戦争になると、その境界のせいで真っ先に腐る」

リアは針を持つ手を止めかけた。
その言葉には、ただの愚痴以上のものがあった。国境に生きる人間の現実だ。

「痛む?」

「傷より、扱いがな」

彼はそう言って薄く笑った。
その笑い方が、少しだけセシルを思わせるような、諦めと皮肉の混じったものに見えて、リアは妙に嫌だった。


夜、帝都でセシルは連合側が公開した写真を見た。

焼けた家。泣く女。煤だらけの子ども。崩れた礼拝堂。
どれも本物だろう。
構図が良すぎる気もするが、本物であることと演出されていることは両立する。

彼は机に肘をつき、しばらく目を閉じた。
帝国側も、明日には別の写真を出すだろう。住民を抱えて運ぶ兵士、負傷した工兵、連合側の狙撃で倒れた若い兵。
どちらも本物。
どちらも一部。
その一部が、全体の顔として売られる。

「証言には値段がある」

ふと、誰も言うでもなく呟いた。

紙面価値。政治価値。徴兵価値。憎悪の燃料としての価値。
同じ言葉でも、誰がいつどこで言うかで重さが変わる。

そして値段の高い証言ほど、本人たちの手を離れていく。


その夜更け、ミナは診療所の窓辺に立っていた。

外は暗く、遠くでまた低い音が鳴っている。
もう驚きはしない。
そのこと自体が少し怖かった。

隣にリアが来る。

「眠れない?」

ミナは頷いた。

「ねえ」

「うん」

「本当のことって、どこに行くの」

リアは答えに詰まった。
焼けた村にあるのか。
証言の紙にあるのか。
帝都の発表文にあるのか。
前線の報告書にあるのか。
たぶん、どこにも丸ごとは残らない。

「少しずつ、いろんなところに残るんだと思う」

やっとそう言うと、ミナは窓の外を見たまま小さく言った。

「じゃあ、誰も全部は持てないね」

「……たぶんね」

ミナは黙った。
その沈黙は、子どものものにしては重すぎた。

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みき

気になったことを自分の意見も交えつつ記事にしていきます。 (内容は種類にこだわらずやっていきます)

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