火は雪の火は雪の下で燃える-第十五話-

第十五話 封を切る指

戦争が長引くと、秘密は罪より先に疑われるようになる。

何を隠しているのか。
誰に伝えようとしているのか。
なぜ黙っていたのか。
ただ言えなかっただけのことも、戦時にはすぐ意図へ変換される。

そのため、手紙はますます危ういものになる。
届いてほしいから書かれるのに、届くまでのあいだに何度も他人の目を通る。
封を切る指は、いつも送り手のものではない。


帝都グランヘルでは、私信検閲の体制が一段階強化されていた。

中央広報院の別室には、軍務省から回された封書の束が積まれている。
前線から帝都へ。
帝都から前線へ。
国境地帯から州都へ。
州都から避難所へ。
どの方向の手紙も、戦争の中では疑われる。

セシル・ノイマンは本来、個別検閲の担当ではない。
だが、引用候補や広報上問題となる文例の確認のため、今日はその部屋へ呼ばれていた。

「最近は、感傷的な内容より、位置情報や補給状況の漏洩より、むしろ士気低下表現の方が問題視されます」

検閲官が淡々と言う。

「『寒い』『足りない』『怖い』『帰りたい』あたりは、単独では即削除ではありませんが、文脈によっては弾きます」

セシルは頷いた。
もう驚かない。
驚かないことを、少し前から諦め始めている。

「こちらを」

差し出された一通は、前線兵士から妹宛ての手紙だった。
字は若い。ところどころ乱れている。

「母さんには言わないでほしいけど、昨日、道の上に子どもがいた。撃ったのは俺じゃない。でも同じ場所にいた。帰れたとしても、前みたいに笑えるのか少しわからない」

赤鉛筆で大きく線が引かれている。

「前面差し止めです」
「理由は」
「士気低下、および不適切な現場描写。家族間での不安伝播」

家族間での不安伝播。
正確で、冷たい言い方だった。

「代替文案を付すこともあります」

検閲官は続ける。

「『元気に任務に励んでいます』『心配はいりません』などへ誘導する」

セシルはその手紙を見つめた。
帰れたとしても、前みたいに笑えるのか。
その一文は、あまりに本物だった。
本物だから通らない。

「この兵士は、何を送ったつもりなんでしょうね」

思わず漏らすと、検閲官は少しだけ肩をすくめた。

「本音でしょう。しかし本音は、しばしば通信に向きません」

その言い方に、セシルは薄く息を吐いた。
通信に向かない本音。
国家にとってはそうだろう。
だが人間にとっては、むしろそこにしか残らないものもある。


前線では、エーリヒ・ヴァルナー少尉の検問所に、郵便袋が一時留め置かれていた。

橋の損傷と道路混雑で、軍用郵便が遅れているのだ。
袋には前線兵士宛て、後方家族宛て、軍属宛ての手紙が混ざっている。
兵たちはそれを見て、冗談めかして自分の名前を探したがる。
もちろん許されない。

「封を切るなよ」

ブルーノが釘を刺す。

「軍法ものだ」

その言葉に兵たちは笑った。
笑えるうちはまだ軽い。
だがエーリヒは、その袋の重さが妙に気になった。
中には無事を装う文も、怖いを飲み込んだ文も、もう届かないかもしれない文もあるのだろう。

昼頃、検問に一人の若い女が来た。
農村の娘らしい身なりで、布鞄を胸に抱えている。
通行証はある。行き先は北方避難所。
理由欄には「親族捜索」。

「鞄を見せろ」

兵が言うと、女は素直に差し出した。
中には着替え、乾パン、布、そして封書が数通。

「誰宛だ」

女は少しためらってから答えた。

「姉と、その娘に」

「避難所にいるのか」
「たぶん」

たぶん。
その曖昧さは、今では珍しくない。
珍しくないが、検問では嫌われる。

兵が封書へ手を伸ばす。
女の肩がわずかに強張った。

「読まないでください」

小さな声だった。
だがその一言で、兵の目つきが変わる。
読まないでほしい。
それだけで、読む理由が生まれる。

「なぜだ」
「家のことだから」
「家のこと何が書いてある」

女は答えない。
答えれば答えるほど、疑いの形になるとわかっている顔だった。

エーリヒはそのやり取りを見ていた。
止めるべきか。
だが止めれば、また甘いと言われる。
甘いと言われるだけならいい。
本当に連絡情報があった場合、自分が責任を負う。

「少尉」

兵が判断を仰ぐように振り返る。

エーリヒは数秒迷った。
その数秒の間に、女の顔から血の気が引いていく。

「……一通だけ確認しろ」

口にした瞬間、自分で嫌になった。
全部は読まない、という半端な正しさ。
だが完全に止める勇気もなかった。

兵が封を切る。
中には短い文があった。

「姉さんへ。父の墓は掘り返されていません。家の鍵は井戸の裏に埋めました。帰れるなら、あの布袋だけ持っていって」

兵は顔をしかめた。

「暗号か?」
「違います」

女が即座に言う。
声が震えている。怒りではなく、侵入された恥に近い震えだった。

「家のことです。本当に、それだけです」

兵は紙を裏返し、透かし、もう一度見てから返した。
何も出てこない。
当たり前だ。
ただの家の秘密だ。

「通せ」

エーリヒが言うと、女は手紙を奪うように受け取り、足早に去った。
礼はなかった。
当然だった。

ブルーノが低く言う。

「何もなくてよかったですね」
「そうだな」
「もし何かあれば、少尉の判断でした」

エーリヒは返事をしなかった。
何もなかった。
だが何もなかったからこそ、自分たちが何をしたかがはっきりする。
家族の秘密を、戦争の必要で裂いたのだ。


北方避難所では、ミナが書きかけの手紙をまだ持っていた。

わたしたちはまだ生きています。
また書けたら書きます。

その二文だけの紙を、何度も折っては開いている。
親戚へ出すべきか。
出しても届くかわからない。
届いたとして、誰かに読まれるかもしれない。
そう思うと、急に何も書けなくなる。

「出さないの?」

母が聞く。

「読まれるかも」

ミナがそう答えると、母は少しだけ黙った。

「そうかもしれないね」

否定しない。
もう、そういう世界だと母も知っている。

「じゃあ、何を書けばいいの」

ミナの声は、少しだけ苛立っていた。

「本当のことを書いたら読まれるし、嘘を書いたら変だし」

母はすぐには答えなかった。
その代わり、寝床の脇に置いていた祖父の古い帳面を手に取った。
中には買い物の記録や、村の小さな用事、誰に何を貸したかが細かく書かれている。
戦争の前の、取るに足らない生活の文字だ。

「昔、おじいちゃんが言ってた」

母が帳面を撫でながら言う。

「本当に大事なことは、他人に見せる紙には書かないって」

「じゃあ、手紙って何を書くの」

「届いてほしいことだけ」

ミナはその答えに納得できない顔をした。
届いてほしいことだけ。
でも、本当に言いたいことほど届いてほしいのではないか。
その矛盾が、彼女にはまだうまく飲み込めなかった。


診療所では、リアが避難民の持ち物検査に立ち会わされていた。

感染症対策と称して、布や食料、私物を確認するのだ。
実際には、それだけではない。
怪しい文書や連絡物がないかも見られている。

「私まで必要?」

リアが不満そうに言うと、州兵は答えた。

「医療品の紛れ込み確認です」

もっともらしい。
もっともらしい理由は、たいてい複数の目的を隠す。

老婆の荷から、布に包まれた小さな束が出てきた。
開くと、古い手紙が十通ほど。
戦争前の家族の往復書簡らしい。
州兵が一通を手に取る。

「これは必要か」

老婆は目を見開いた。

「返して」

「内容確認を」
「だめ」

その拒絶は、鋭かった。
リアは思わず老婆の方を見た。
あまりに強い声だったからだ。

「息子の字なんです」

老婆は震える手で言う。

「死んだ息子の。今さら何も隠していない。でも、それは……」

最後まで言えなかった。
州兵は少し困った顔をした。
困った顔をするくらいなら、最初からやらなければいいのに、とリアは思った。

「確認だけです」

州兵が言い、封を開けようとする。
リアはその手を押さえた。

「これは古いものです。現在の連絡ではない」
「でも」
「医療品でもない。感染源にも見えない」

州兵は不満そうだったが、周囲の目もあり、手を引いた。
老婆は手紙の束を胸に抱き、何度も頷いた。
礼を言う代わりに、ただ抱きしめていた。
その仕草が、リアにはひどく痛々しかった。

あとでマルタが小声で言う。

「今日は止めたのね」
「今日は、ね」
「明日は?」
「わからない」

その返ししかできなかった。
毎回止められるわけではない。
止めれない時の方が多い。
それでも、今日止めたことだけは残る。
小さく、役に立たないかもしれない抵抗として。


帝都の夜、セシルは検閲室で見た手紙の写しを思い返していた。

帰れたとしても、前みたいに笑えるのか。
家の鍵は井戸の裏に埋めた。
死んだ息子の字。
届いてほしいことだけ書く。
どれも公文にはならない。
だからこそ、人間の輪郭がある。

彼は自室の机を開け、便箋を一枚取り出した。
誰に宛てるでもなく、書き始める。

私は、毎日少しずつ言葉を壊しています。
壊していると知りながら、整えるふりをしています。
前線にいないのに、血の外側で加担しています。

そこまで書いて、手が止まった。
この手紙は出せない。
出せば、読まれる。
読まれなくても、届かない。
届いたところで、相手を困らせるだけだ。

彼は便箋を折り、封にも入れず引き出しへしまった。
封を切られる前に、自分で送らないことを選ぶ。
それもまた、別の種類の検閲だった。

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みき

気になったことを自分の意見も交えつつ記事にしていきます。 (内容は種類にこだわらずやっていきます)

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