飲み物を片手に部屋に入ると、床に広げられた絵を眺める。外に出て歩き回ったのと絵を描いた疲れからか、幸は俺のベッドの上ですぅすぅと寝息を立てている。ゆさゆさと肩をゆすっても起きない、ふと自分の持っている、ジュースの入ったペットボトルが目に入った。
寝息を立てる幸の額に、キンキンに冷えたジュースをあてる。悲鳴を上げ飛び起きる幸を見て、俺はゲラゲラと腹を抱えて笑う。ムッとすると、こっちに向かって手を出した。
「喉も乾くのか」
意外に思いながら幸に飲み物を手渡すと、ごくごくと喉を鳴らして中身を飲み干していく。幸は空になったペットボトルで、ポコポコと俺の頭をたたいてきた。
「絵、描き終わったのか」
どこか自信なさげに小さく頷く幸の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。俺が頭から手をどかすと、手櫛で髪を整えながら、どうかな? とやはり不安げに聞いてきた。
「それ、聞くのやめた方がいいぞ」
え? どうして? と当たり前の反応が返ってくる。俺は苦虫を嚙み潰したように眉間に皺を寄せながら、これを見て俺がどう思うかより、これを描いてお前がどう感じたか、の方を大切にしろ、と俺らしくもないことを言ってみた。
「楽しかったよ? でも、こうして見ると、なんかすごく下手で」
しょんぼりと肩を落とす幸を見て、初めて描いて上手くいくと思うな、とデコピンする。額を押さえ涙目になっているのを無視しながら、でもまぁ、と続けた。
「俺は良い絵だと思う、本当にこれが好きで、楽しく描いたんだろうな、って伝わってくるから」
初めて絵を描いた、でも上手くいかなかった、あそこも変だし、そこも変だ、でもなにより描いていて楽しかった。最終的に評価を下すのが他人でも、なんだかんだ大事なのは、絵を描いて楽しかったかどうか、それこそ初心者の内はそうだ。絵を好きになる、出来はどうであれ、それが大事なんだと思う。なんて当たり前なんだろうけどなぁ。
「ねぇ、お手本描いてみない?」
すっとシャーペンと紙を差し出され、俺はしばらく固まってしまう。もう久しく絵は描いていない、筆を置いたなんてもんじゃない、叩き折ったくらいの勢いだ。人と比べて、比べられて、お前らしい、とかいう、どうでもいいような、誉め言葉を受け取って、何もかも嫌になって投げ出した。そんな俺が、また、絵を描くのか? 夢である彼女の前で?
「久々に描いたら、楽しいかもしれないよ? それに今は君と私しかいないし、私は元々君と同じなんだから、その絵を見るのは君一人だよ」
震える手でシャーペンと紙を受け取ると、暫く頭の中で犬を思い浮かべてから、紙にシャーペンを落とす。思い通りに動くペン先を見ながら、ただ夢中になって頭の中の犬を動かしながら、それを紙へと書き取っていく。あぁ、上手くいかない、キチンと描けているとは思えない、俺ってこんな下手だったっけ、ぐるぐると思考が回り始める。犬の姿が消えて、嫌な思いがふつふつと沸き起こる。嫌だ、あぁ、もう、嫌だ。こんな気持ちで描きたくない。もっと楽しくないとダメなんだ、もっと楽しまないとダメなんだ。
「もう、いいよ」
幸に声をかけられ我に返る、出来上がった犬の絵は、どこか辛そうな顔をして、ただじっとその黒い目を俺たちへと向けている。泣いていたのか、涙がしみになって、線が滲んでいた。ごしごしと目元を擦ると、だめだな、俺、と幸に向かって笑った。