次の日の朝、なんだか幸と顔を合わせたくなくて、身支度を整えると俺は近くの公園に向かった。相変わらず夏の日差しはきついし、広い公園の中、人はまばらだったが、今となってはちょうどいい。長年描いてきて、なかなか上手くならなくて、やきもきして嫉妬して、そんな事ばかりしていたら、いつの間にか何もかもうまくいかなくなっていた。
「アイツが来てから、変われたと思ったんだがな」
確かに幸の絵が上手くなるのは嬉しい、応援してたやつが実力をつけるのを見るのは楽しい、でも自分はいつまでたっても前に進めてない、という焦燥感だったり、いつまでも変われないという、自分への失望ももちろんあった。ベンチに座りながら、次々に浮かんでくる負のイメージを、ただぼうっと眺めていると、ふと目の前に誰かの影が落ちた。
「君、いつも、よくこの公園に来ているね」
声をかけられ顔を上げると、よくここで絵を描いているあの人だった。突然声をかけられたことに驚きつつも、えぇ、この頃はあんまり、でしたけど、と苦笑する。
「あぁ、すまない、よく見るもんだから、勝手に知り合いになった気でいたよ」
年は俺よりも遥か上に見える、どこか優し気に笑うその男性は、いつも通りスケッチブックと画材を持って立っていた。隣、いいかい？ と聞かれ、暫く考えた後、小さく頷いた。
「絵、好きなのか？」
俺は曖昧に頷くと、彼は嬉しそうに笑いながら、私も絵が好きなんだ、と言って手に持ったスケッチブックを手渡してきた。俺はそれを受け取ると、ページをめくっていく。なんというか、彼らしい、優しい絵柄の風景画が並んでいる。
「君も絵を描くのかい？」
俺が熱心に絵を眺めていたからか、それとも彼を見ていたことに彼が気付いていたのか、ふとそんなことを聞いてきた。まぁ、昔はよく描いてました、と言ってから、あ、でも上手くはないんです、と苦笑しながら返す。
「上手い下手も大事かもしれないが、私個人としてはその絵を描いた人が、その絵が好きならば他はどうだっていいと思っているよ」
絵が好きなら、それ以外はどうでもいい、俺は彼の言葉を復唱しながら、でもやっぱり誰かに見てもらいたいんです、誰かに自分の絵で何か感じることがあってほしいんです、とぽつりと呟いた。
「君は、誰かのために絵を描いているのか？ それとも自分の為に絵を描いているのかい？」
分かりません、消えそうな声で呟くと、彼はどこか困ったように笑う。きっと、いつか分かる日が来る、その時まで描き続けなさい。そう聞こえたかと思うと、辺りがしんと静まり返った。次第に辺りの景色がぼやけていく、確かにあった筈の地面の感触がない。
辺りが白く染まり、まっさらな紙のような世界の中で、俺は自分の絵を破り捨てる俺を見つめていた。口が自然と動く、声が、思いが、喉の奥から言葉となって出ていく。
「それは、俺の世界だ、俺の思いだ、俺の言葉だ、それは全部俺自身なんだ」
全部の絵が破り捨てられた後、その小さなかけら一つ一つが、鮮やかな花になって咲き誇る。辺り一面を色とりどりの花が覆いつくしていく。俺は俺を見上げた、俺は、彼は、優しげな笑顔で、ただじっと俺を見つめていた。
