保健の先生に声をかけられ目が覚める、辺りを見回しても菅井さんの姿はない。
「本当に大丈夫?」
はい、もう大丈夫です、保健の先生の視線から逃げるように保健室を飛び出す。暫く考え込んだ後、重い足を引きずるようにして職員室に向かうと、辺りを見回してから職員室のドアをノックして先生達に声をかける。
数学の先生は半ば呆れたように説教を始めた、先生の声と心の声両方に叱られうんざりしていると、それが顔に出ていたのか先生はさらに声を大きくする。他の先生が少し驚いたようにこっちを見てきて、頭の中に何人もの声が響いてきた。
「……もういい、顔色も悪いし、具合が悪いのは本当みたいだからな」
失礼します、と頭を下げてから職員室を後にする。放課後、運動部の威勢のいい声と、吹奏楽部の鳴らす音楽が聞こえてきた。いまだに重い足を引きずるようにして教室に戻ると、教室に誰かの姿を見つけ思わず足を止める。
「菅井さんだ」
どうやら机に突っ伏して寝ているらしい、起こさないようになるべく静かにドアを開けると、自分の席に行って帰り支度を始める。一通り支度を終え教室から出ようとした時だった。
「具合、どうよ」
『さっきはだいぶ顔色悪かったからなぁ』
声をかけられ振り向くと、眠そうな目で僕を見ている。あぁ、大分いいよ、そう作り笑いしていると、まだ具合悪そうだけど? と言われ頭を掻いた。
「まぁ……、体調悪いのはいつもの事だから」
そう言うとさっさと教室から出ていく。一度辺りを見回してから、誰もいないのを確認すると、少し速足で廊下を歩いていった。
学校から家に帰ってくると、早速自室へと向かう。鞄を投げると制服のままベッドに寝転がった。久々に話したクラスメイトが、まさか菅井さんになるとは思ってなかった。噂よりもずっといい人っぽかったし、なによりも言っている内容と心の声の内容であまり差がない、もしかしたら菅井さんとなら友達になれるかもしれない。
「まぁでもそれも菅井さん次第か」
今まで心を読めるなんて言ったら、殆どの人が僕から離れていった。そりゃそうだ、誰だって心の声を聞かれたら、気味悪くて仕方ないだろうし、そんな奴と友達になろうとは思わないだろう。とはいえ僕だって好きでこんな風になった訳じゃない、人目を気にして生きていて気付いたらこうなっていた、それ以来人に見られるのが余計に怖くなって、もともと引っ込み思案だったけど更にそれに拍車がかかってしまった。
「なんでこうなったんだろう」
人目を気にしないで生きていけたら、いや、こんな風に人の心の声が聞こえなければ、もっと生きやすい人生だったろうし、友達だって作れたかもしれないのに、なんでこうなったかな、なんでこうしたんだろう。両親に相談しても、先生に話してみても、病院に行っても、何も解決しないんだからどうしようもない。唯一の救いは心の声が聞こえるのが、その人が僕を見ているときだけだっていうことくらいだ。だからなるべく目立たないように生きてきた。人に関心を持たれないよう、そこら辺の石と大差ないくらい、地味な存在になった。初めは人の心の声が聞こえることに、普通とは違うことに多少の優越感もあったけど、それもやがて薄れて今では煩わしくて仕方ない。
「全部夢だったらいいのに」
なんて何度も願ったとしても、夢じゃないんだから目が覚めることもない。天井へと向けていた視線を自室の机へと向けた。参考書から人付き合いの本まで、色々な本がのっている何の面白みもない自分の机を見て、まるでそれが僕自身みたいに思えて思わず笑ってしまう。
疲れていたのか暫く寝ていたみたいだった。大きく伸びをして瞼を擦る。喉の渇きを覚えて飲み物を取りに一階に降りていく、廊下を歩きリビングからキッチンに入ろうとすると、見慣れた背中が見えて声をかけた。
「あ、あぁ帰ってたの」
母さんは僕を見ることなく夕飯の用意をしている。僕が人の心の声が聞こえるといってから、ずっとこんな調子だった。というか、その事実を知っている人はみんな、僕を見なくなった。誰だって心の声なんか聞かれたくないんだ、それが、実の息子だとしても、そうだろ。
「今日の学校はどうだった?」
冷蔵庫から飲み物を取り出しながら、僕も母さんを見ることなく、いつも通りだよ、と返すとさっさとキッチンから出ていった。ぼたり、と足元に涙が落ちる。後ろ手にドアを閉めてズルズルとその場に崩れ落ちた、誰にも見てもらえない、誰にも理解されない、僕は、僕は何のために生きているんだろう?