初夏の風が穏やかに舞う日だった。
「依桜ちゃん、オレ達と一緒に暮らそう」
泣き喚くわたしの手を取って、海くんが言う。幼いわたしは、ぶんぶんと横に首を振った。
たとえ何があっても、あの家から離れるなんて考えられない。わたしのお家はただひとつしかないのだと、それだけをよすがに立っていた。
「っ、依桜ちゃん…」
ぎゅうと握られた手が温かくて、それでいて少し震えていて。ますます涙があふれる。こぼれる。
息をするのが苦しかった。
生きているのが苦しかった。
「おうちに、かえる、っ、…かえるもんッ!いるもん!きっと、パパも、ママも、みんなも、イオが来るの、まってる!だからっ、だから…!」
もう二度と会えないのに、お父さんとお母さんのことばかり考えていた。どうしても受け入れ難かった。
死ってなんだろう。なんで会えないんだろう。どこにいっちゃったの。
病院から帰れば、あの無機質な白い部屋から抜け出せば、また”普通”に戻れるのだと思った。
会えないよって言われても、この世界のどこにもいないんだよって言われても、どうしても。
「オレ達が、待つよ。パパやママの代わりにはなれないけどっ、でも!一緒に生きていこう」
「ゔ、やだぁ〜!!なんで、なんでっ!?」
どれだけ跳ね除けても、海くんは手を離さないでいてくれた。真っ赤な瞳はいまにも泣きそうに揺れているのに、一筋の光も零すことなく、ただわたしを見つめてくれた。
「オレ達が一番、力になれると思うから!
依桜ちゃんが困ったとき、迷ったとき、今みたいに苦しくて悲しくてどこにもいけない気持ちになったとき、力を貸してあげたいって、思うから」
本当は、かけてくれた言葉の意味を半分も理解できていなかったと思う。けれど、たしかに信じられる何かがそこにはあった。
「……、ほんとに、みんな、っもう…いないの…?」
大好きな人達の顔が、脳裏に浮かんでは消えていく。いつも優しく頭を撫でてくれたあの手も、抱きしめてくれた時に感じる体温や匂いすら、もうこの世界のどこにもないのだ。
頬を滑り落ちた最後の涙が、地面に溶ける。水には戻らない。
「…うん。でも、全部無くなったわけじゃない。依桜ちゃんの中で、ちゃんと…生きてるよ」
変わらず息が苦しくて、心には喪失感しかない。
この先を一人で歩くのが怖い。
でも、わたしはちゃんと持ってる。
皆との思い出を持ってる。
目の前には、皆との思い出を持ったわたしと一緒に生きたいって言ってくれる人がいる。
暗闇を照らす光は眩しくて、優しい。
その優しさを受け取りたかったから、あの日わたしは───彼の手を握り返したのだ。
四季折々の日常を「1話 前編」
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