『蒼銀の戦姫〜叢生の扉〜(仮題)』プロローグ①

ランドールのはじまり

 夜空に流れる雲を見上げながら、月光が地平を照らすのを待つ。

 恐らく、雲間より銀月輝く時、はじまりを告げ、終わりを紡ぐ。

 多くの者が疲弊していた。

 多くの者が負傷している。

 王都の城砦は既に、有事の物々しさを物語る。城門は閉じ、幾人もの兵が見張りに立つ。

 この国は嘗てない戦渦に見舞われていた。誰が見ても明らかに人々は殺気立っている。

 ここはシャイノメス聖王国だ。聖地ドルディアを最果てに仰ぐ気高い騎士の国である。

 温暖な気候に恵まれ、公平な聖君の玉座が続いたことも、貴族を筆頭に上流階級の『高貴なるものの高貴ならざる献身』を美徳として受け継がれている。民もまた高貴なるものを模範として王家や領主に殉じようとしていた。

 光が闇を照らすように、闇が光をのみ込むこともあるのだろうか。

 数多の神々と光の精霊の恩寵とその加護を受ける人間とが共存してきた。

歴史に神代が織り交ざり合う聖なる王国は、闇よりも深く深淵に飲まれんとしている。

 そう、シャイノメス聖王国は、滅亡の危機に晒されていた。

 国境は山脈に囲まれている。

 ランドール・ラルフ・バルトロメは、シャイノメス聖王国騎士団長の一人だ。この国に、諸国にも、珍しく天を突くような大男で屈強な体躯を持ちながらも、人の好さそうな優しい面持ちをしている。

 城砦に囲まれた王都は守られている。城砦周辺の住民を避難させ戻ったところだ。

「食事が行き渡っていない者はいるか。一人一人聞いて回れ」

 少し嗄れた落ち着いた女性の声が響き渡る。胸に団長の証を付けたその女性は部下に給仕を命じていた。

「門の守備に当たっている者には、特に配慮しろ。手が空いてないだろうから……」

 少し考えこんでから、ふと思いついたように張りのある声を元気よく上げている。

「そうだな。麺麭を羹に浸して、口に突っ込んでやれ。飲み込みやすくなるんだ」

 ランドールは聞きなれた声の主を探した。

 戦闘に特化した部族・蒼き狼出身の騎士団の長マリア・ローズと言う女性だ。部族では女族長でもある。

 マリアは高く結った蒼銀の長い髪を揺らしながら、騎士たちや兵士たちの食事に気を払う。

 その姿は、さながら戦乙女ならぬ、女教師のようだった。

「随分と注文が多いな。マリー、気遣いご苦労さん」

 ランドールはマリアに声を掛ける。

「ランドール、お前こそ無事に住民の避難は済ませたか?」

 ランドールに振り返り、微笑む。

「誰に言ってるんです? 俺はアンタの薫陶を受けた優秀な騎士団長ランドールですよ?」

「全く、国一番のやんちゃ坊主が随分と立派に育ったものだ。私の教育が良かったんだな」

 そう言ってランドールの頬にマリアの手のひらが触れた。マリアの美しい顔が、彼の心を温かく包む。けれど、その瞳は揺れ、どこか哀しみが感じられる。

「なにか、心配事があるのか?」

 彼女はランドールにとって憧れであり、初恋の女性だ。既に人妻であるが、ランドールの瞳は常に彼女の一挙手一投足から感情を読み取れるほどに、その美しい姿を追っていた。

「少し前、和平交渉の伝令が口を裂かれて帰ってきたよな?」

「あれには俺も、怒りが沸いたが……今更だろう?」

 あまりにこの国は光の精霊の恩恵で輝き過ぎたのかもしれない。

 贅沢なほどに豊かな自然と温暖な気候が、王国全体を包み込んでいる。

 この国は余りに長い平和を享受し過ぎたのだ。

 最早、銀に輝く甲冑は重く、猛々しく振るわれていた槍や大剣は負傷や疲弊に身体を支える杖でしかないのかもしれない。

ーー少し前にも戦と呼べるものはあったんだがなぁ。

 今回はまるで勝手が違うというだけだ。

 雲を月が駆け抜けるように大地を照らし始めた。

 夜闇を蒼き狼の騎士たちが駆け抜ける。

 月光に照らされた白い刃が血に濡れ、赤く花が咲き誇った。

 

 

 トラシア帝国の軍事勢力が、他の国を戦渦に巻き込みながら、シャイノメス聖王国本土に侵攻を開始したのが七年前だ。

 狙いは王都の王脈。聖地ドルディアの聖脈。

 血統を絶つつもりか、奪うつもりか帝国の意向は判然としない。だが、最初から帝国の目的はこの国と聖地だ。和平交渉の伝令は口を裂かれ、半死半生のまま戻ってきた。

「帝国兵め、問答無用という訳か」

 伝令に安楽を与えてから、マリアが唇を噛みしめていた。

 このことに聖地ドルディアは聖峰に結界を張り、避難民のみの受け入れを決め、王国での戦いには高位神官を数十名寄越したが、若い者から外に出すことを拒絶し続けている。

 

 

 時は流れ、現在に戻る。

 城砦の防衛戦で、マリア率いる戦闘特化部族で構成された騎士団は、一旦はトラシアを城砦から引き剥がし、撤退させることに成功した。

 この国の広大な平野には丘陵地帯や山岳地帯の山河から流れる大きな川が流れる。

 ランドールは気晴らしにマリアを丘陵地帯の湖へ馬で遠乗りに誘っていた。

 自然は豊かで、光の精霊の恩寵を絵画にしたような周囲の景色は「外の世界」のことなど、嘘のようである。

「あれからもう、七年か。本当に最近までは平和だったのにな」

 ランドールは二頭の馬を繋ぎ、湖を見つけた途端に馬から飛び降り跳躍しながら、丘に登った三歳年上のマリアに呆れながらその背を追った。

「王都に避難できたのはどのくらいだ?」

 唐突にマリアがランドールに訊ねる。

「外周の住民と荘園の農民で手一杯だった。だが、方々にいる戦闘部族が保護するだろう。彼らは……」

 ランドールは苦々しい思いから、言葉を濁した。

「王都には来ない、と既に決めていた。だろう?」

 王都に入りきれない民を守る為に、城砦の外や故郷の地で戦うと決めた数々の戦闘部族を誇らしげに笑ってみせる。勝気な姿は彼女らしい。

 その反面、マリアの心に引っ掛かっているものがあるようだった。

「アンタが哀しげな瞳をしているの、それが理由か?」

 マリアの空色の瞳が揺れるのを見逃さなかった。

「娘がいる。夫が傍にいるから安全だろう。だが、気にならないと言えば、嘘になるな」

 戦場に咲く蒼薔薇の姫騎士と渾名されても、彼女は一人の子の母であり、伴侶ある妻だ。

「そりゃ当たり前だ。アンタじゃなくても当たり前のことなんじゃねえのか?」

 ランドールは胸の内をぎゅっと掴まれるようなその言葉にため息を吐いた。彼にとって、そこには途轍もなく、複雑な思いがある。

「帝国兵は一旦退いたが、援軍を率いて国境を越えてまた王都にくるだろう」

 そこで防ぎきれなかったら次は、王城が前線になる。

 マリアは当たり前のように言うが、そうじゃない。そういうことじゃないだろうとランドールは叫びたくなった。

 私心を捨て、国に忠義を尽くして、お前に何が残る。と問いただすこともできただろう。

 深く息を吐くランドールに、悪戯な笑みをマリアが浮かべる。

「娘と夫のことを私が口にした時、お前は一瞬、動揺したな? まだ私に気があるのか?」

 彼女の揶揄うような言葉に、ランドールは思わず、瞠目してしまう。

 騎士団に入りたての頃、体の大きさを怖れられて、同僚に馴染めなかった少年はいつの間にか大人相手に喧嘩に明け暮れ乱暴者になった過去がある。そんな乱暴者の毎日を一変させたのは、三歳以上は年上の『戦場に咲く蒼薔薇の姫騎士』だ。

「いつから、気が付いてた?」

 ランドールが問いかけたのは、目の前にいる可憐な人妻騎士である。

 初めて会ったその瞬間に一蹴の内に昏倒させられ、それからは根性を叩き直されるように、厳しい訓練を積まされる日々を送った。

 ひと度、戦場に出れば、一騎当千の戦果を挙げる。その背中に憧れた。

「私を知って恋に落ちない者がおるまい」

 彼女はいつもの余裕ある悪戯で勝気な笑みを讃えたまま言い張る。

 少年の頃、どれだけ研鑽を積んで試合に臨んでも勝てず、腹立たしいまま負け続けたが、気付いたらランドール自身の心も環境も変わっていた。

 自分は恋をしただけである。

 彼女に恋をして、追いかけるままにランドールは騎士団の長となった。

 かつて体の大きさを怖れられた少年が、今では同僚にも部下にも慕われる存在である。

――憧れと初恋の君ではあるが、そこには余りにも複雑な思いがあり過ぎて……。

「自信満々に言われたら逆に引くわ」

「まあ、そういう風に接していたのだから当然だ。これは懺悔のようなものだ」

 マリアはランドールの額にくちづけた。

「許しませんよ?」

 マリアは笑っていた。それでも構わないと思わせるほど、美しいのだから許せる。

 時よ、待っては、くれないか。このひと時を享受したいんだ。

 ランドールの願いは虚しく、戦局は大きく動いていた。

「マリー、マリー、どこだ いるなら声を上げてくれ」

 ランドールは怒号と粉塵と血煙舞う混沌の中にいた。

 戦局は混乱を呈した。

 王城の庭園は戦場と化している。敵の強襲があったとしかわからない。

 様々な色の薔薇や百合や蘭などの花々が咲き誇り、天上の再現と謳われた美しい庭園は、火炎と土煙に包まれた。

 かつて人だった肉塊はその尊厳すら踏みにじられた。騎士も兵士もなく、叫び声が各々の武器の音が混じり合い、絶え間ない混沌とした戦いが繰り広げられていた。

 剣や槍の刃が打ち爆ぜて、火の粉が血風と共に舞い、叫び声に怨念混じりの声が上がる。

「こんなのは戦争じゃない」

 惨状に耐えられず、この場から逃げようとして、規律に殺される者もいた。

 四方の何処からともなく聞こえてくる敵の魔術師の詠唱が目や耳を貫き、空から大地から出でる魔道の力に兵は身体を射貫かれ、四肢を焼かれ、全身が爆ぜ果てることもあった。

 それら魔術師を忍び寄って斬り伏せ、血反吐を吐きながらも、未だ生気ある目で立ち上がったのは戦闘特化部族騎士団の中でもマリアだけである。

 異形の言葉を奏でる魔術師に、五臓六腑を破壊され、自らの血で溺れる同僚の姿を幾人もランドールは見ていた。

 何の感情も無く、感慨もなく、ただ、ただただ、マリアのみを案じて、戦いの後に倒れ伏した彼女の身柄を拾ったその足で、少し離れた急拵えの土塁の中へ彼女と隠れた。少し走れば、騎士団の厩舎だが、今は危険でも休ませること、回復させることを優先してのことである。

 既に状況は地獄絵図と成り果て、陽炎の内に人間が沈んでいく。

 敵もなく、味方もなく、溶けていく。

 混沌と化した戦場の中に溶けていく。

「こんなのは戦争じゃない」

 誰が言ったか。

「マリー、マリー、聞こえるか」

 ランドールの指の間から、止め処なく溢れる赤い血は彼が呼ぶ女のそれだった。

「うるさい……聞こえ……て……る」

 辛うじてというか細い女の嗄れ声がする。

 蒼き狼、狩りと戦いを司る女神の名を冠する戦闘特化部族・蒼き狼。

 その能力は俊敏さ、敏捷さ、持久力、耐久力、柔軟さ、強靭さ、筋力、魔力の高さや肉体的な成長の早さと老化の遅い長寿性などもあるが、その本質は自己回復能力、自己治癒能力にあるという。

「どうして、血が止まらない⁉」

 ランドールはマリアの腹の傷を止血しようとしながら困惑していた。

「おか、しい……んだ。傷が……治ら……ない……なんて」

 マリアの声は焦点の合わない、うわごとのようなものになっている。言葉を吐くと血も溢れた。

「しゃべるな。動くな。血を止めるから」

 ランドールはせめて、血を溢れさせまいと彼女を制す。

 土塁の中でマリアはようやく瞼を下し、自己治癒に専念し始めた。

 最早、この戦局を覆すとしたら、彼女しか。と考えては、ならどうして彼女が傷を負っているのかという疑問に打ち消される。

 そして、彼女だけでもと、考えた時だった。

「水……」

 嗄れ声が一層嗄れて聴こえる。咄嗟にランドールは青褪めた色のない面をしている状態で震えるマリアに水筒の水を飲ませてやった。

「ラ、ラン、ランド、ル、頼みがある」

 落ち着いた静かな声が震えを含んで、聴こえる。まるで凍えているようで、失血量を思えば当然だった。

「どうした。マリー」

 ランドールは一言一句、彼女の言葉を聞き漏らすまいとする。少しでも耳を寄せた。

「故郷に……」

 涙に震えた彼女の声は、今にも戦場の音に消えてしまいそうで、ランドールは再び彼女を抱きかかえる。そして、走り抜けてそのまま厩舎に向かった。幸い愛馬は無事だった。

 マリアの故郷には行ったことがある。彼女がそれを願うなら、叶えてやりたい。

 それがこの時、自らも疲弊しきったランドールを突き動かしていた。

「わかった。抜けてみせよう。敵の狙いは王城だ。ここを抜ければ城砦を越えられる」

 恐らく、敵国軍の勢力は王の首狙いに玉座の間を目指している。対して王国軍はそこに戦力を集中させた。玉座を制圧されれば、次は聖地ドルディアだ。

 城砦には駐留兵を残してあるだろうが、突破する方法はいくらでもある。

 ランドールは馬を走らせ、大鉾を振るった。彼に周囲には数々の敵兵が迫りくる。幾百人もの敵兵を薙ぎ払って、彼を取り囲む場所こそが戦場の中心のようだった。大鉾が壊れるが、ランドールは素早く大剣を抜く。彼の剣は雄々しく振り下ろされ、その一振りごとに敵兵が倒れていく。彼の心には、マリアの最後の願いが刻まれていた。

敵兵の数は減っていくものの、それでも彼らの攻撃は容赦なく続いた。ランドールは息を切らしながらも、剣を振るい続けた。彼は戦場の混沌とした中で、ただひとつの目的を胸に秘めていた。

「もうすぐだ」

 ランドールは馬上で胸に抱いたマリアに声を掛ける。彼の声には力強さが籠っていたが、やや疲弊が見え隠れしていた。それでも彼は戦場に立ち向かっていく。

 それでも、ランドールは徐々に脱力していくマリアの命の危機を感じていた。彼女の心臓は力強く鼓動を打っている。

「もうすぐ、包囲を抜けられる」

 ランドールは敵兵が減ったのを感じた。

「そうか……だが、敵以上に己の過信こそ、甘く見るなよ」

 マリアは微笑みながら言葉を返す。その時、馬上のマリアがひょいと馬から滑り落ち、ランドールの懐から抜ける。驚きと焦りがランドールを襲った。

 真っ直ぐに立ち上がったマリアの手には二本の剣がある。

 彼女の凛とした姿が、そこにあった。眼差しは闘志に満ちている。

 剣を二本構えたマリアが向かってくる敵を切り伏せていく。

「油断するなと教えただろう?」

 そう、口にした彼女は楽しげだった。

 ランドールの周りに敵が囲まれていくが、それを守るかのようにマリアが立ち塞がっている。彼女の瞳は決意に輝き、臆する様子は微塵もなかった。

 ランドールは目を見開き、マリアの姿に圧倒される。彼女の強さと勇気に、彼の心は打たれた。

「ちょっと、待て」

 ランドールの制止の声は彼女の声に掻き消される。

「蒼き狼女族長、マリア・ローズ・ブラウヴォルフである。臆さずとも手負いの身だ。かかってこい。この首獲って、誉れとするがいい!」

 マリアが敵兵に向かって宣言した。その言葉は雄々しさと威厳に満ちていた。

「マリー!!」

 ランドールの絶叫が響く。ようやく、マリアは敵を一身に引き受けるつもりだと悟った。その姿はまさに戦場の女神そのものである。若しくは鬼神さながらの奮戦を見せた。

 だが、そんな力が残っている筈がないとランドールはわかっている。

 だから、ランドールは強く馬を拍車で蹴りあげ、ひとり、走り、出す。

 遠くに肉を裂く音が重なり、大きく血飛沫が上がった。

 その身には複数の槍が突き立てられている。血潮が彼女の周りに広がり、その美しい姿が次第に覆われていく。

 尚も、彼女は突き立てられた槍ごと敵兵を引きずり込む。そして、ランドールの周囲に迫る敵兵を薙ぎ払った。

「娘を頼む。お前も生きろ!」

 彼女の叫び声が風に乗って響く。

 それが最期の言葉であり、彼女の願いであり、ランドールに託された遺志となる。

 ランドールは涙を堪えながら、マリアの虚ろになった勇姿を胸に収め、馬を駆けた。

 早く。

 止め処なく涙が溢れる。

 早く。

 蒼き狼の故郷へと向かう。その決意は、彼女の犠牲が生かされることを約束するものだった。

 早く。

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黒巌麻里子

伝奇小説を主に書いております。イラストも描きます。 裁縫/工芸/DIY、毛糸を使う以外なら割となんでも作れるものは作ります。 日本の歴史、平安から幕末明治大正の文化と「和」が付くものが好きな割に、西洋甲冑好きが講じて西洋ファンタジーばかり書く文士です。 服飾や装身具、球体関節人形や立体造形物、耽美や倒錯、奇妙なものが好き。 ゲームやアニメ、韓と米英の海外ドラマや映画が主な栄養です。 イラストはデジタル作業と和睦の道を絶賛模索中。 とにかく好きなものと推しと自キャラが多い好奇心探求心旺盛な人間です。

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