目次
第一章:『バナナの皮』
いつの世でも、死亡事故は突然にして起こる。大小関わらず、まるでその者の運命であるかのように。しかし時として、それは他者に不可解な謎を残すこともある。この車多商店街(しゃたしょうてんがい)においても、まさに一人の刑事がその謎と対面しようとしていた。
*
暑い夏の某日、まだ人通りも少ない朝6時40分頃、車多商店街の路上で死体が発見された。第一発見者の主婦からの通報を受け、速やかに現場近くの城団出警察署(じょうだんでけいさつしょ)から、五里蘭次郎(ごり らんじろう)警部補、猿山将大(さるやま まさひろ)巡査他、捜査班が派遣された。がっちりと大きな体格のアラフィフ、五里と、ひょろっと小柄な体格のアラサー、猿山。さながら凸凹コンビのような二人は、現場の捜査に当たっていた。
猿山「ゴリさん、鑑識の結果、死因は転倒による頭部の打撲と思われます。タイルの血痕の位置とも一致します」
五里「うん」
猿山「それでゴリさん、転倒理由についてはおそらく……」
五里「アレだと」
五里の指さす先には、バナナの皮があった。老年の被害者男性の右足が、しっかりとそれを踏んでいる。
猿山「……なのでまぁ、運悪くバナナの皮を踏んじゃって、それで転んで死んじゃったんじゃないかなぁと……思うんですけど、どうですかねゴリさん?」
五里「……はぁ」
猿山「……えっ⁉なんですか『……はぁ』って⁉こっちは真面目にやってんですよゴリさん!」
五里「いやぁ……やっぱ血見るの嫌だなぁって」
猿山「苦手なのはわかりますけどゴリさん、仕事なんだから頑張りましょうよ!」
やけにローテンションな五里を猿山がなだめる。しかし、逆に五里が難癖を付け始めた。
五里「……猿山君さぁ、さっきからゴリさんゴリさんって。私のことは『ゴリラ』って呼んでくれって前から言ってるじゃない。相棒の君が言ってくれないから、署内でも全然言ってもらえないんだよ。これじゃあ愛称じゃなくて、自称だよ。失礼じゃあないか」
猿山「人間をゴリラ呼ばわりする方が、よっぽど失礼だと思うんですけど……」
五里警部補は、訳あって『ゴリラ』と呼ばれたいようだが、どうも浸透していないようだ。折角なので、今から地の文では『ゴリラ』と表記してあげることにしよう。
猿山「とりあえず、これはまぁ事故死で決まりですね」
ゴリラ「……ホントにそう思う?」
猿山「えっ、違うんですか?」
ゴリラ「いやぁ、だっておかしくないかい?」
猿山「確かに、不謹慎ですがおかしな死体ですね」
ゴリラ「いや、そっちの意味じゃなくてさぁ……」
ゴリラは被害者の足元にある、バナナの皮の前にそっと身を落とした。
ゴリラ「コレだよコレ」
猿山「このバナナの皮が?」
ゴリラ「どう考えてもおかしいんだよ」
猿山「普通のバナナの皮にしか見えませんが……」
ゴリラ「全然違うよ。コレね、高級バナナの皮だよ。スーパーなんかじゃ絶対置いていないイイやつだよ」
猿山「こ……高級バナナ?」
ゴリラ「この色といい、艶といい、間違いない。『ゴールデンジャラス』だ!」
猿山「……はぁ?」
ゴリラ「おいおいなんだよ『……はぁ?』って?こっちは真面目に言ってんだよ猿山君」
猿山「いやそんな……でもバナナなんてみんな似たようなもんじゃないですか?」
ゴリラ「猿山君、その発言は私含めて全世界のバナナ好きを敵に回すことになるよ」
猿山「えぇ……って待って下さいよ。そのゴールデンなんとかが現場にあることの何がおかしいんですか?被害者の口内にも、ちゃんとバナナは残っていますし……」
ゴリラ「まぁ待ってなさい」
するとまるでタイミングを図ったかのように、猿山の携帯電話に着信が入る。別の捜査班からの連絡だ。
猿山「……はい、はい、了解しました」
電話を切ると、すかさず猿山はゴリラに報告を伝える。
猿山「ゴリさん、被害者の身元が割れました。名前は家持大志(いえもち たいし)さん。年齢は七十代で、この近くの金城公園(きんじょうこうえん)でホームレスとして暮らしていたそうです。お仲間から証言が取れました」
ゴリラ「ご苦労さん」
猿山「……ん?ホームレス?……あっ!」
ゴリラ「わかったかい」
猿山「はい、ホームレスの方がこんな……」
ゴリラ「高級バナナを持っているのは不可解なんだよ」
第二章:『古内果物店』
すぐさまゴリラと猿山は、ゴールデンジャラスの流通ルートを調べることにした。ゴリラの申すように、一般的な店舗にも出回らないようなら、捜査は難航することになるが……。
ゴリラ「ここだね」
猿山「えっ⁉近くないですか⁉」
事件現場から歩いて5分程、シャッターだらけの車多商店街にポツンと、その『古内果物店』は存在した。店主と思われる男性が、いそいそと開店準備を行っている。
ゴリラ「私の鼻がそう確信しているんだよ」
猿山「は、はぁ……」
ゴリラと猿山は、店内に入っていった。
店内には様々な果物が所狭しと置いてある。その最前列には光り輝く例のバナナが。
猿山「ゴリさん!ありましたよ!ゴールデンなんとか!」
ゴリラ「コラコラ、挨拶もなしに」
店主と思われる男性は、怪訝そうな様子だ。
猿山「あっ、失礼しました!すみませーん、警察の者なんですけどぉ……」
ゴリラ「あなたが、店主の方でしょうか?」
猿山とゴリラが警察手帳を持ちながら尋ねる。
古内「……あぁ、そう。店主の古内弥太郎(ふるうち やたろう)。……今忙しいんだけど、なんか用?」
ぶっきらぼうな態度で、古内が答えた。
ゴリラ「初めまして、私、刑事の五里蘭次郎と申します。どうぞ気軽に、『ゴリラ』とお呼び下さい」
古内「……」
ゴリラ「……」
場に冷たい空気が流れた。
猿山「……あっ、えっと、部下の猿山と申します。実はこの近くで事件がありまして……」
古内「事件?」
猿山「はい、とある男性があの、ここから歩いて5分ぐらいのところで、死体で発見されまして」
古内「うん?」
猿山「で、死因が転倒による打撲と思われてるんですけど……」
古内「それが俺と何の関係があるの?」
ゴリラ「あぁ、はい、単刀直入に言います。事件現場にこちらのバナナの皮があったんです」
ゴリラが現場で撮影した写真を見せる。
古内「コイツは……」
古内の目の色が変わった。
ゴリラ「お分かりですか」
古内「当たり前だ。果物やってて知らねぇ人間はいねぇよ。ゴールデンジャラスだろ?」
ゴリラ「はい、その通りです」
古内「コレが現場に?」
ゴリラ「そうなんですよ。それで被害者の……家持さんというんですけど、その方の右足が、このバナナの皮を踏んでいたんです」
ゴリラが店内のゴールデンジャラスを指さす。
古内「つまりアレかぁ、奴さんはコイツで転んで逝っちまった……」
ゴリラ「……と、なりそうなんですが、私は違うと思うんです。実は家持さん、ホームレスだったんです」
古内「……それじゃあとても買えねぇな」
猿山「ちなみに、おいくらなんですか?」
ゴリラ・古内「「1本1万円」」
猿山「いぃっ⁉いいい……1万円⁉」
猿山が腰を抜かす。
ゴリラ「それで家持さんが何故ゴールデンジャラスを持っていたのか、今調べているんです」
古内「ほぉ……」
すると古内がハッとしたような表情に変わった。
古内「おい、その家持って爺さんの写真あるか?」
猿山「あぁ、はい。こちらです」
猿山が古内に、先程鑑識から借りた、遺体の現像写真を見せる。
古内「……やっぱりだ。コイツだ」
猿山「何がですか?」
古内「今朝、ウチのゴールデンジャラスを万引きしやがった爺さんだよ!」
古内が声を荒げる。
ゴリラ「……本当ですか?」
古内「あぁ、間違いねぇ。今朝の6時半だ。俺が店の奥で開店作業してる間に、この爺さんがスッとバナナ掴んで、スタコラ逃げってたのよ」
ゴリラ「その……お言葉ですが、追いかけはしなかったのですか?」
古内「そりゃあ捕まえたかったが、あいにく重てぇダンボール持っててよ。逃がしちまった」
古内が床に置かれた、『夜張メロン』と書かれたダンボールを指さしながら答える。
ゴリラ「それで……万引きに遭われた後は、ずっと開店作業の方を?」
古内「あぁ、そうだよ」
ゴリラ「えっと……監視カメラの映像とかは……」
古内「個人経営店にそんなもん付ける余裕はねぇよ」
猿山「ゴリさん、繋がりましたよ!家持は万引きしたバナナの皮で事故死したんですよ!」
ゴリラ「……」
猿山「死体発見の通報があったのが6時40分!だから、万引きしてから10分の間にバナナ食って、それで皮で転んで死亡したんですよ!」
ゴリラ「うん……」
意気揚々と喋る猿山に対し、ゴリラは考え込んだ表情をしている。
古内「どうした?」
ゴリラ「あっ、いえ、ありがとうございます。大変貴重な証言を頂きまして」
古内「これで……事件解決かい?」
ゴリラ「うーん……まぁ、この後の調査次第ですかね。いやホント、ご協力ありがとうございました」
猿山「えっ?あっ、ありがとうございました」
ゴリラと猿山は頭を下げて店を出ていく。
古内も軽く会釈をする。
ゴリラ「ちなみにお店の営業時間は?」
くるっと振り返ってゴリラが尋ねた。
古内「朝の8時から夕方の5時まで」
再びぶっきらぼうな態度で古内が答えた。
ゴリラ「また来ます」
ゴリラは笑みを浮かべ、猿山と共に去っていった。
第三章:『金城公園』
ゴリラがスタスタと歩いている中、猿山は困惑の表情を浮かべながら一緒に歩いていた。
猿山「ちょっ、ちょっとゴリさん!」
ゴリラ「なに?」
猿山「さっきの僕の推理聞いてなかったんですか⁉」
ゴリラ「聞いていたよ」
猿山「なら決まりじゃないですか!」
ゴリラ「猿山君さぁ、刑事が人の意見を簡単に信用するのは、良くないと思うよ」
猿山「えっ、じゃあさっきの古内さんの話は?」
ゴリラ「どうも引っかかる」
猿山「何がです?」
ゴリラ「それを確かめるために、私達は今歩いているんだよ」
猿山「……どういうことです?」
ゴリラは軽くため息をつきながら答えた。
ゴリラ「金城公園にいる家持さんのお仲間達に、話聞きに行くんだよ」
*
金城公園への移動中、猿山がゴリラへ質問をする。
猿山「あっ、あのゴリさん、ホームレスで思い出したんですけど……」
ゴリラ「……なに?」
猿山「なんでゴリさん、家持のことすぐにホームレスってわかったんですか?あの電話の早さは、他の捜査班に予め伝えてたってことですよね?」
ゴリラ「あぁ、そのこと」
ゴリラはフフッと笑いながら答えて見せる。
ゴリラ「まぁ容姿だよね。ボサボサの髪に、髭は伸びっぱなし。それでいて服装はツギハギ」
猿山「でも、そういうファッションの方も探せば……」
ゴリラ「いるだろうから、ニオイを嗅いでみたよ。アレはお風呂に何日も入っていない」
猿山「なるほど……」
ゴリラ「それで財布も携帯もなくて、身分証も持っていないとなると……」
猿山「ホームレスに絞られる……」
ゴリラ「……とか言っている間に、着いたよ」
車多商店街から歩いて8分程、『金城公園』に二人は辿り着いた。金城公園は周りが住宅で囲まれた中に、ポツンと存在する小さな公園である。遊ばれなくなって久しいであろう、錆びたブランコやすべり台以上に、端っこにあるダンボールハウスは異彩を放っていた。ホームレス達の住処である。
猿山「すみませーん」
ゴリラ「警察の者なんですけどー」
ダンボールハウスに向かって、二人は大声で呼びかけていた。するとしばらくして、老人男性がぞろぞろと、三人出てきた。
ホームレスA「……家さんのことかい」
ゴリラ「あっ、はい。お話が早くて助かります。五里蘭次郎と申します。こっちは部下の猿山です」
ホームレスB「……どうも」
ゴリラ「どうぞ私のことは気軽に、『ゴリラ』と呼んで下さい」
ホームレスC「……」
猿山「ゴリさん!」
ゴリラ「……あぁ、はい失礼。えぇっと、お三方は家持さんとは長い付き合いで?」
ホームレスA「そりゃあまぁ……7年?」
ホームレスB「……8年じゃなかったかのぉ?」
ホームレスC「……6年じゃろ?」
ゴリラ「と、とにかく長い付き合いで。それじゃあ、お亡くなりになって辛いことでしょう……」
ホームレス一同「「「……おぅ」」」
ホームレス達は皆寂しそうな表情だ。
ゴリラ「お悔み申し上げます。……ただ、実は大変言いづらいことなのですが、家持さんが亡くなる直前、バナナを万引きしたという証言があがりまして……」
その言葉を聞いた瞬間、ホームレス達の顔つきが険しくなった。
ホームレスA「ありえん!」
ホームレスB「何かの間違いじゃ!」
ホームレスC「家さんを侮辱する気かぁ⁉」
ゴリラ「いえいえいえ!あくまで証言でして……。それでは、家持さんをよく知るお三方からしたら、信じられないことなのですね?」
ホームレス一同「「「おぅ!」」」
猿山「いやでも……食うものに困るとかはしょっちゅうあったんじゃないですか?」
ホームレスA「バカにするな!」
ホームレスB「コレを見ろ!」
ホームレス達がダンボールハウスの扉を開けてみせると、そこには大量の山草が置いてあった。
ホームレスC「飢え死にとは無縁じゃあ!」
猿山「し……失礼しました」
すると興奮したのか、ホームレス達は家持との各々の思い出を語り始めた。
ホームレスA「家さんはいい人じゃった……。ワシらみたいな社会の落ちこぼれにも優しかった……」
ホームレスB「家さんの作る山菜料理は絶品だったわい……」
ホームレスC「また宴会をしようと約束したのに……」
猿山「ホームレスでも宴会出来るんですね」
ホームレス一同「「「当たり前じゃあ!」」」
猿山「し……失礼しました」
ホームレスC「……ん?待てよ宴会……?」
ゴリラ「どうかなさいましたか?」
ホームレスC「いや、ワシ確かデザートでバナナを用意したんじゃよ」
ホームレスA「あぁ、アレは美味かったのぉ」
ホームレスC「でも家さん、『バナナアレルギーだから』と断ったんじゃ」
猿山「えっ⁉」
ゴリラ「本当ですか⁉」
ホームレスC「あぁ、よく覚えておる」
ホームレスB「……えっ?ワシ聞いてないぞ?」
ホームレスA「……ワシも」
ゴリラ「あの……何かその時の映像とかは……」
ホームレス一同「「「ないよ」」」
ゴリラ「でしたら写真とか……」
ホームレス一同「「「ないよ」」」
ゴリラ「そうですか……」
ゴリラは困り果てた表情を見せる。
すると猿山が耳元で囁いた。
猿山「……ゴリさんどうするんですか?お言葉ですけど、こんな老人の意見を鵜呑みにする気ですか……⁉さっき僕に言ったこと忘れてませんよね…⁉」
ゴリラ「あぁ……うん、わかっているよ」
ゴリラがホームレス達に向かって、一礼をする。
ゴリラ「いやはや、大変なところご協力ありがとうございました。とても参考になりました」
ホームレスA「……なぁ刑事さん」
ゴリラ「はい?」
ホームレスA「家さんは殺されたのか?」
ホームレスB「犯人に目星は付いているのか?」
ホームレスC「動機はなんなんじゃ?」
一瞬絶句するゴリラであったが、すぐに平静を取り戻す。
ゴリラ「……まだ何とも言えません。ですが、亡くなった家持さんと皆さんの無念を晴らすためにも、全力を尽くして見せます」
ホームレス達はその言葉を聞いて、ダンボールハウスへと戻っていった。
ホームレス一同「「「頼んだぞ」」」
ゴリラと猿山もまた、その言葉を聞いて公園を去っていった。
第四章:『指紋』
ゴリラと猿山は、再び古内果物店に向かっていた。
猿山「ゴリさん、もしかしてあのホームレス達に感化されたなんて言いませんよね?」
ゴリラ「……そういう風に見える?」
猿山「見えますね。……ってか、よく考えたらあの人達公園に堂々と住んでるとか、普通に違法行為じゃないですか。本来ならとっ捕まえられる立場ですよ」
ゴリラ「……まぁまぁ、とにかく古内さんにもう少し話を聞く必要があるのは、確かじゃあないか」
そんな話をしている内に、二人は店に到着した。時刻は8時半を回っている。
古内「……またあんたらか」
ゴリラ「えぇ、また来るって言ったので」
怪訝そうな古内とは対照的に、ゴリラは笑みを浮かべている。
ゴリラ「それで古内さん、お忙しいところ恐縮なのですが、お話よろしいでしょうか?」
古内「いいよ。忙しくねぇから」
猿山「お客さんもいないですしね」
古内「……」
ゴリラ「猿山君……」
猿山「……失礼しました!」
*
ゴリラはホームレス達の証言を、古内へと伝えた。
古内「……つまりアレか。俺の証言は嘘くせぇと」
ゴリラ「いえ、そうではなくてですね。何故このような矛盾が生じるのか、それを知りたいんですよ。バナナアレルギーであるはずの家持さんがバナナを万引きした、その理由を」
古内「それ考えるのが警察じゃねぇのか?」
ゴリラ「そこを突かれると痛いのですが……。お願いします古内さん、プロのお知恵を拝借させて下さい」
古内「……じゃあ、こうは考えられねぇか。バナナアレルギーは嘘だったって可能性だ」
ゴリラ「ほぅ!」
古内「その、家持って爺さんは仲間から評判良かったんだろ?だから宴会で出されたバナナも、適当な理由付けて譲ったんだよ」
ゴリラ「なるほどぉ!」
古内「でも、実は大の好物で、ある日無性に食べたくなって……」
ゴリラ「万引きに走った!」
古内「どうだ?」
ゴリラ「いやはや、感服いたしました!素晴らしい推理です!」
ゴリラが拍手をする。
古内「……ホントにそう思ってんのか?」
ゴリラ「えっ?何故です?」
古内「こちとら客商売10年やってんだよ」
ゴリラ「えぇっと……ハハハ……」
ゴリラは苦笑いで答えるしかなかった。
すると店の外にいた猿山が戻ってきた。他の捜査班と連絡を取っていたのである。
猿山「ゴリさん!ゴリさんの思惑通りです!」
ゴリラ「ご苦労さん」
古内「なんかわかったのか」
ゴリラ「えぇ、気になったことがあって、鑑識の人達に調べてもらってたんです」
古内「何を?」
ゴリラ「現場にあった、バナナの皮の指紋です」
古内「んなもん調べて何になる」
ゴリラ「いいえ、大発見です。家持さんの指紋、付いていなかったんです」
古内「……ほぉ」
ゴリラ「普通、外でバナナを食べる時は、皮を剥いて食べます。家持さんの口内にはバナナが残っていました。それでいて手袋の類もしていなかったですから、指紋が付かない訳がないんです」
古内「ふむ……」
ゴリラ「ただ誰かの指紋が付くとしたら……。あのぉ……バナナの包装はお店で?」
古内「……あぁ」
ゴリラ「やはりそうですか。でしたら指紋は農家さんか問屋さんか……」
古内「ウチは問屋は使ってねぇ」
ゴリラ「失礼。でしたら指紋は農家さんか、古内さん、あなたのものということになります」
古内が黙り込む。
ゴリラ「古内さん、あのゴールデンジャラス、本当に家持さんが盗んだ物でしょうか?」
古内「……刑事さん」
ゴリラ「はい?」
古内「あんた一つ見過ごしてるぜ」
ゴリラ「えっ?」
古内「皮に直接触らずとも、包装のまま皮を剥きゃあ食えるじゃあねぇか」
ゴリラ「あっ……」
余裕に満ちていたゴリラの表情が曇る。
古内「家持は万引き犯なんだ。むしろご丁寧に包装を外すほうが不自然だろ」
ゴリラ「し、しかし現場に包装は落ちていません」
古内「風か何かで飛んでったんだろ」
ゴリラ「いや、しかし、犯人が持っていった可能性も……」
古内「刑事さんよぉ」
ゴリラ「……何でしょう?」
古内「どうやら俺を嘘つき野郎と言いてぇようだが、ならもっと確実な証拠を持って来るんだな」
ゴリラ「……」
ゴリラは古内が想像以上に手ごわい相手であると思い知った。
第五章:『夢』
ゴリラと古内が舌戦を繰り広げている中、猿山は店内の果物に夢中であった。見たことも聞いたこともない、色とりどりの果実が光り輝いている。朝食もロクに食べていない彼にとって、いずれの果物も魅力的であった。
猿山「あのぉ~…」
古内「なんだ?」
猿山「ここに並んでる商品の……そのぉ……試食って出来ます?」
ゴリラ「猿山君……」
ゴリラは猿山の厚かましさに呆れてしまった。
古内「試食?」
猿山「はい!」
古内「ない」
猿山「……はい?」
古内「ウチに試食はない」
猿山「なっ……ないんですか……⁉」
ゴリラ「当たり前じゃないか猿山君。スーパーの果物売り場とは違うんだよ」
猿山「えぇ……でも、一口くらいは……」
古内「だめだ」
猿山はがっくりと肩を落とした。しかし次の瞬間、覚悟を決めたように顔を上げた。
猿山「じゃ……じゃあ買います!」
古内「どれを?」
猿山「この……『ラブラブド・オレンジ』を!」
猿山は『1㎏:3000円』と値札の付いた、少し色の濃いオレンジの袋を指差した。
古内「ほぉ」
ゴリラ「ちょっ、ちょっと猿山君。今月財布ピンチとか言ってなかったっけ?大丈夫こんな買い物して?」
猿山「この空腹が満たせるなら安いもんですよ!」
猿山の目は血走っていた。
古内「おいアンタ」
猿山「はい?」
古内「まさか店出てすぐに、生で食う気じゃねぇだろうな?」
猿山「えっ?あの……ダメなんですか?」
古内「てめぇなぁ……『ラブラブド・オレンジ』は甘くて果汁が多いんだぞ⁉」
突然、古内が激昂し始めた。
古内「生で食ってどうすんだ⁉果汁がこぼれてもったいねぇ!どうせなら絞ってジュースにして飲め!真っ赤な果汁が口いっぱいに広がってうめぇぞ!」
猿山「いやでも……早く食べたいし……」
古内「馬鹿野郎!果物に失礼だ!雑に食い散らかすなんて、罰当たりもいいところだ!」
猿山「そこまで言います⁉」
ゴリラ「あ、あの古内さん。部下の非礼は詫びますから、どうかその辺で……」
しかし古内の怒りは収まらない。
古内「とにかくてめぇにウチの果物は売れねぇ!そんなに腹満たしてぇなら、スーパーにでも行け!」
猿山「そ、そんなぁ……」
猿山はすっかり意気消沈してしまった。
ゴリラ「あのぉ……古内さん」
古内「なんだ?」
ゴリラ「もしかして、他のお客さんにもこんな対応を?」
古内「わかってねぇ客にはな」
ゴリラ「し、しかしそれでは売り上げが……」
古内「いいんだよ。『わかっている客』にさえ売れれば」
ゴリラ「いやしかし……売れてます?」
古内「……利益は出てねぇな」
すると、古内はゴリラ達に語り始めた。
古内「刑事さん、ここはな、俺の夢の店なんだよ」
ゴリラ「夢?」
古内「こだわりぬいた果物だけを売り、味のわかるお客にだけ買ってもらう。売上なんて度外視の、いわば俺の自己満足だ」
ゴリラ「……いつからそんな夢を?」
古内「ガキの頃からだ。この商店街もすっかり廃れているが、昔はうめぇもん売ってる店がたくさんあった。特に果物屋は、スーパーなんか相手にならねぇくらいの、いいもんだらけだった。思ったよ。将来は俺もこんな店で働きてぇって」
嬉々として語る古内だったが、突然表情が曇った。
古内「しかしどうだ。俺が大人になる頃には、すっかりここも活気がなくなった。スーパーやら通販やら知らねぇけどよ。俺が憧れた店も、潰れちまってよ。仕方ねぇから、やりたくもねぇサラリーマンやって……」
ゴリラ「でも、夢を諦めなかったんでしょう?」
古内「あぁ、10年前に脱サラして、40になってようやく開業したんだ。あの時みてぇな活気はねぇが、それでもいい」
ゴリラ「ここが夢の店だからですか」
曇っていた古内の顔つきが少し晴れた。
古内「……少し喋りすぎたな」
ゴリラ「いえいえ、貴重なお話ありがとうございます」
すると古内が、ゴリラに中身の入ったレジ袋を手渡した。
ゴリラ「これは……ゴールデンジャラスじゃあないですか!いいんですかこんなに⁉」
古内「皮の黒くなったお勤め品だ。俺もちょくちょく食ってるが、どうせなら誰かに食われたほうがいい」
ゴリラ「で、でもバナナは……」
古内・ゴリラ「「腐りかけが一番甘い」」
二人とも思わず笑みを浮かべる。
古内「どうやらあんたは、わかってる客みてぇだ」
ゴリラ「ありがとうございます」
ゴリラはまだ落ち込んでいる猿山を引っ張り、店の外へと出て行った。
ゴリラ「お店何時まででしたっけ?」
くるっと振り返ってゴリラが尋ねた。
古内「夕方の5時まで」
少し優しい言い方で古内が答える。
ゴリラ「また来ます」
笑みを崩さぬまま、ゴリラは猿山と共に去っていった。
第六章:『報道』
時刻は9時を過ぎ、ゴリラと猿山は、車多商店街の中を練り歩いていた。ゴリラは早速古内から貰ったゴールデンジャラスを、包装を付けたまま皮を剥き、食べていた。
ゴリラ「確かに食べられる……そして……美味い」
猿山「いいなぁ……」
ゴリラ「なんだい?」
猿山「だってずるいじゃないですかゴリさんだけ!僕は買う資格ないって言うんですか⁉大体なんなんだあの偉そうなオヤジは……」
ゴリラ「まぁまぁ、夢を叶えた立派な人じゃあないの」
猿山「夢なら僕にだってありますよ!」
ゴリラ「何さ?」
猿山「警視総監です!」
ゴリラ「へぇーそれはでっかい夢だねぇ。……アレ?猿山君、キャリア組だったっけ?」
猿山「え?ノンキャリアですけど何か?」
ゴリラ「えっ……あっ、そう……」
ちなみに警視総監になれるのは、キャリア組だけである。
*
ゴリラと猿山が他愛のない話をしていると、商店街の入口の方から、テレビクルーと思われる集団が走ってきた。
猿山「あっ!あのアナウンサー見たことありますよ!」
ゴリラ「私もあるなぁ。えーと……誰だっけ?あの朝のお笑い番組でよくモノマネとかしてる……」
ゴリラ・猿山「「北風(きたかぜ)アナ!」」
するとその北風アナが二人に近づいてきた。
北風「失礼します、TPSの取材班です。警察の方でしょうか?」
猿山「あっ、ハイそうです!」
生のアナウンサーに会えて嬉しいのか、猿山が元気よく答える。
北風「この商店街で起きた『バナナの皮殺人事件』の捜査中ですよね⁉」
猿山「あっ、ハイそうで……」
ゴリラ「『バナナの皮殺人事件』⁉誰がそんなことを?」
北風「実は視聴者の方から情報提供がありまして」
ゴリラ「えーっと……どなたから?」
北風「それが匿名希望の方で……」
猿山「ゴリさん、もしかして第一発見者の、あの主婦のおばさんじゃないですか?」
ゴリラ「えー……口外しないでって言ったんだけどなぁ……」
北風「とにかく事件があったのは確かなんですね⁉」
ゴリラ「えぇ……まぁ……殺人かどうかは微妙なところなんですけど……」
北風「バナナの皮で人が死んだんですよ!これはもうバナナによる立派な殺人事件だ!」
北風アナが興奮気味に語る。
北風「被害者は万引きを犯したホームレス!犯人は魅惑の高級バナナ、ゴールデンジャラス!これは視聴者も興味津々の怪奇事件ですよ!」
ゴリラ「そ……そこまで漏れてるの?」
困惑するゴリラをよそに、カメラマンやディレクターと思われる男性達から、北風アナを急かす声が聞こえてくる。
北風「あっ、では我々は古内果物店に急ぎますので!捜査の方頑張って下さい!」
ゴリラ「どうも……」
猿山「あそこの店主、面倒なオヤジだから気を付けて!」
北風アナ達はそそくさと、古内果物店の方に走っていった。
猿山「はぁー……帰ったら自慢しよっ!」
ゴリラ「あのさぁ猿山君」
猿山「はい?」
ゴリラ「いくらなんでも情報回るの、早すぎじゃあないかな?」
猿山「まぁ、今はネット社会ですし、仕方ないんじゃないですかね」
ゴリラ「うーむ……」
首を傾げるゴリラだったが、あることに気が付き、目を見開いた。
ゴリラ「猿山君、コレはチャンスかもしれないよ」
猿山「チャンス?」
ゴリラ「だって全国ネットで報道されるんだ。家持さんの知り合いが見つかるかもしれない」
猿山「でもホームレスの知り合いなんて……」
ゴリラ「そうなる前の話だよ。ホームレス仲間の人が言ってたろ?『ワシらみたいな落ちこぼれにも優しくしてくれた』ってさ。きっと元はどっかの会社で、上の立場にいる人間だったんだよ」
猿山「な、なるほど……。でも、時間かかりますよ?」
ゴリラ「なぁに、第一発見者のおばさんにも話聞く必要があるし、ココにも念のため行っておきたい」
ゴリラはバナナの包装に書いてある住所を指差した。
ゴリラ「やることはいくらでもある。気合い入れていくよ猿山君!」
猿山「りょ、了解です!」
二人は商店街の入口に向かって走っていった。
第七章:『報告』
時は過ぎ、夕方5時を迎え、古内果物店は閉店作業を進めていた。古内はふと、店奥の棚上にあるテレビを点ける。ちょうどニュース番組では『バナナの皮殺人事件』の特集が組まれており、古内のインタビュー映像が流れていた。同じ系列のお昼のニュース番組や午後のワイドショーでも流れており、古内も既に何度も見ていた。
ゴリラ「様になっていますねぇ」
古内「うわぁっ⁉」
古内の背後には、いつの間にかゴリラが立っていた。
ゴリラ「あっ、すみません。驚かせるつもりはなかったんですけど」
古内「今日はもう来ねぇかと思っていたよ……」
ゴリラ「はい、私も間に合うか不安でしたが、猿山君がいい運転をしてくれました」
すると古内がとある違和感に気が付く。
古内「……あんた一人かい?」
ゴリラ「えぇ、猿山君には先に帰ってもらいました。明日、何かと身体を張ってもらうので」
古内「そ、そうかい」
ゴリラ「しかしホントいい映り具合ですねぇ。受け答えもスムーズで……なんか台本とか用意してました?」
古内「馬鹿言え、即興だよ」
ゴリラ「そうですか。いやしかし、こう、実に人当たりのいい感じが出てるインタビューというか……」
古内「何が言いてぇ?」
ゴリラ「いやぁそのぉ……猿山君が『僕の時と全然態度が違う』って文句を言っていまして……フフフ……」
ゴリラはその時のことを、思い出し笑いしていた。
古内「それで、用があるんだろ?」
ゴリラ「あぁ、はい。実はあれから色々と調査を重ねましてね。是非とも聞いて欲しいんですよ」
古内「……まぁ、証拠持ってこいって言ったのは俺だから文句はねぇが……」
ゴリラ「あっ、そんな身構えないで下さい。えーと……何から話しましょうか……」
ゴリラは調査をまとめたメモ帳を、パラパラとめくる。
ゴリラ「まずはこれにしましょう。第一発見者の主婦の方の証言」
古内「ふむ」
ゴリラ「いやその、店主であるあなたの前で言うのもアレなんですけど、このお店の評判を聞いたんですよ」
古内「評判ねぇ……」
ゴリラ「それでそのぉ……大変言いづらいんですけど……」
古内「……最悪だったと」
ゴリラ「ご名答!あっ、失礼……。聞けばその主婦の方、入院中のおばあちゃんのために、メロンを買いに来たことがあったそうですけど……」
古内「……あぁ、あの客か」
ゴリラ「あなたは『入院中の老人にそんな刺激物与えるな』と大激怒した……」
古内「うん、確かに言った」
ゴリラ「それで主婦の方も負けじと口論になって……」
古内「俺が『出て行け』と言った……」
ゴリラ「……フフッ」
古内「おかしなこと言ったかい?」
ゴリラ「いえ……正論ではあると思いますが……ちょっと言い方ってものが……フフフッ」
ゴリラは笑いを堪えるのでやっとのようだ。
ゴリラ「あっ、失礼しました。要するに何が言いたいかというと、その主婦の方を始め、この近辺の人はどうもあなたのことが苦手らしいということです」
古内「……まぁ、今更な話だな」
ゴリラ「ただ」
古内「ただ?」
ゴリラ「私、てっきりこの近辺の方がテレビ局にリークしたんじゃないかと思ったんですけど、どうも違うみたいなんですよ」
古内「リークって何を?」
ゴリラ「この事件についてですよ。警察の発表よりも早く、TPSの取材班が情報をキャッチしていたんです。匿名希望の視聴者から」
古内「待てよ。逆になんでこの近辺の住民が、テレビ局にリークしてねぇってわかるんだ?」
ゴリラ「事件現場にあったバナナについて、皆さんピンときてなかったんですよ。まぁ、ゴールデンジャラスなんて品種、私やあなたみたいな人でないとまず知りえませんからね」
ゴリラは古内に向けて指を差す。
ゴリラ「にも関わらず、テレビ局には事件現場にあったバナナがゴールデンジャラスで、それが古内果物店で売られていたもので、おまけに万引きされていたことまで漏れていた。これは明らかにおかしいことです」
古内「……誰が漏らしたんだろうなぁ」
ゴリラ「誰が漏らしたんでしょうねぇ」
すると、ゴリラは店内のとある異変に気が付いた。
ゴリラ「……アレッ⁉ゴールデンジャラスないじゃないですか⁉朝はあんなにあったのに……」
古内「簡単なことだよ」
古内がニッと笑う。
古内「売れたの」
ゴリラ「か、完売したんですか⁉」
古内「あぁ、テレビを見たお客が何人も来てな。気づけばぜ~んぶ売れちゃった」
ゴリラ「それはスゴイ……アレ?いやでも、テレビじゃ『バナナの呪い』だの散々悪いイメージで言われてたじゃあないですか」
古内「それが不思議なもんでな。若ぇもんはそういうのを面白がって買っていくんだよ。確か、動画の配信やってるとかいうのが10本買ってったな」
ゴリラ「へぇ~それじゃあ、能家(のうげ)さんはさぞかし喜ばれることでしょうね」
古内「まるで会ってきたような口ぶりだな」
ゴリラ「えぇ、会いに行きましたから」
その言葉を聞いた瞬間、古内が驚く。
古内「まさか……包装の……」
ゴリラ「はい、貰ったゴールデンジャラスの包装にバッチリ『能家バナナ農園(のうげバナナのうえん)』って書いてあったので。車で行かせて頂きました」
古内「あの農園まで何時間かかると思ってんだ……?」
ゴリラ「確か……往復4時間でしたかね。猿山君が運転頑張ってくれました」
古内「警察も暇なもんだな……」
ゴリラ「で、一応事件当時のアリバイも聞きましたが、奥さんと仲良く農作業をされてたそうです。そもそも、ワープでもしないと、あの時間に事件現場に来るのは不可能ですからね」
古内「そりゃそうだ。……ってそんなことのために行ってきたのか?」
ゴリラ「まぁ……一度日本のバナナ農園をこの目で見たかったってのもありますが……。古内さん、あなたの話を聞きに行ったんですよ」
古内「俺の?」
ゴリラ「はい、有益なお話が聞けました。しかしスゴイですね古内さん。毎回わざわざ軽トラ使って、直接仕入れに行くんですってねぇ」
古内「だって、直接見ねぇとわからねぇだろ」
ゴリラ「おぉ、プロのお言葉だぁ」
古内「よせやい。大体俺は通販ってのが嫌いなんだ。ウチの果物は全部、俺が現地で品定めしてんだよ」
ゴリラ「いやぁ、スゴイの一言に尽きます。能家さんはあなたのそういうところを信頼して、一般の果物店では唯一商品を預けているそうですよ」
古内「ほぉ……そりゃありがてぇ」
ゴリラ「ただ」
古内「ただ?」
ゴリラ「入荷した商品が完売したというお話は、一度も聞いたことがないと仰っていました。つまり、今日が記念すべき初完売日ということになります」
古内「……」
ゴリラ「あっ、別に煽っている訳ではないんですよ。ただ、事件に使われたという不幸な日に、大変めでたいことも起きたという、それだけのことです」
古内「……一応お褒めの言葉と捉えておくよ」
ゴリラ「ありがとうございます」
古内「あのよぉ刑事さん。そろそろ閉店作業してもいいか?俺も晩飯の用意とか色々してぇんだよ」
ゴリラ「あぁ、長々と失礼しました。ただ、まだ当初の目的を話していませんので……」
古内「……証拠の話か?」
ゴリラ「そう、それです。お時間取らせませんので、どうかお付き合い下さい」
古内「……しょうがねぇなぁ」
その言葉を聞き、ゴリラはパラパラとメモ帳をめくった。
ゴリラ「えぇー、そう、テレビの報道ですね。最初は困惑しましたけど、こちらとしては有難かったんですよ」
古内「というと?」
ゴリラ「家持さんの知り合いの方、見つかったんです」
古内「ホームレス仲間か?」
ゴリラ「いえ、家持さんの元上司、いや、とある建築会社の元社長さんです」
古内「ほぉ」
ゴリラ「家持さん、10年前まではそこの現場責任者として働いていたそうなんです。今思えば、公園にあるダンボールハウスも見事なものでした。アレは家持さんが作ったものだったんですね」
古内「で、そんな立派な人がなんでホームレスに?」
ゴリラ「会社が倒産したんです」
古内「あぁー……」
ゴリラ「元々小さな会社だったそうで、歯止めがかからなかったみたいですね。家持さんも責任を感じたのか、倒産直後に音信不通になってしまったそうです」
古内「それでホームレスに、か」
ゴリラ「なのでその社長さんも、今回の報道で大変驚かれたそうで、警察に連絡を取ってくれましてね。先ほど会ってきましたが、ホームレス仲間の方々と同じことを言っていましたよ。『家持は万引きをするような人間じゃない』と……」
古内「……で、それが証拠と何の関係があるんだ」
ゴリラ「はい、実はその社長さんから預かってきたものがありまして……」
ゴリラはスーツの内側から、資料の入ったファイルを取り出した。
ゴリラ「コレ、家持さんの個人情報なんですよ。社長さんがどうしても直接手渡したいと長年保管していたんですが、この度叶わなくなったということで、私が代わりに頂いたんです」
古内「なるほどな」
ゴリラ「……で、私が欲しかったのがコレです」
ゴリラは1枚の紙を古内に見せた。
古内「健康診断表か?」
ゴリラ「確かにそれも預かっています。膝が悪いとか、興味深いデータもありましたが……今は違います。アレルギー表です。家持さんマメな方で、毎年会社に提出していたそうです」
古内「へぇ……」
ゴリラ「それで……ここ、見えますか?ちゃーんと書いてあります。『バナナアレルギー』と」
古内はアレルギー表をじっと見つめている。
ゴリラ「どうでしょう?これで家持さんが、少なくともバナナアレルギーということは確定しました。これが私が半日かけて揃えた、『確実な証拠』です」
古内「なるほどな……」
古内はしばらく黙り込んだ後、口を開いた。
古内「だが……」
ゴリラ「アレルギーは年齢を重ねるごとに変化します」
古内「……⁉」
ゴリラ「10年前のこのデータが、現在の家持さんにも当てはまっている保証はありません」
古内「……」
自分が言おうとしたことを先に言われ、古内は思わず絶句してしまった。
ゴリラ「そういう可能性は承知の上です。それでも私はこの証拠を、大切に使わせて頂きます。この事件の謎を解くために」
古内「……話は以上か」
ゴリラ「はい。閉店作業中に失礼しました。どうか明日のお仕事も頑張ってください」
古内「アンタもな」
ゴリラ「どうも」
ゴリラは会釈すると、古内果物店から出て行き、くるっと振り返る。
ゴリラ「お店……」
古内「朝8時からだよ」
古内が食い気味に答える。言い方は優しかったが、笑みはない。
ゴリラ「また来ます」
そう言って、ゴリラは夕方の空に向かって去っていった。
第八章:『叫び声』
日が明けて、車多商店街は朝5時を迎えていた。数少ない住民達も眠りにふける中、古内は一人、清掃を行っていた。ほうきとちりとりを手に、黙々とゴミを集めていく。
ゴリラ「熱心ですねぇ」
古内「うわぁっ⁉」
古内の背後には、いつの間にかゴリラが立っていた。
古内「お前……」
ゴリラ「あっ、すみません。驚かせるつもりはなかったんですけど……あのぉ、どうもすみません」
古内の怒りを察したゴリラが、必死に謝る。
古内「なんでこんな時間に……」
ゴリラ「いやぁ、本当は開店後に伺おうかと思ってたんですけど、実は昨日言い忘れてたことがあって……すみません。居ても立っても居られなくて」
古内「そうかい……」
ゴリラ「はい。あっ、でも今お掃除中ですよね?」
古内「あとでやるよ」
ゴリラ「いえいえ、それじゃあ悪いですし……そうだ!私がやりますよ!」
ゴリラが古内から掃除用具を強引に奪い取る。
古内「あっ、ちょっ……」
ゴリラ「どうぞご心配せずに。こう見えて私キレイ好きなんですよ」
ゴリラがテキパキと、商店街に落ちたゴミを集めていく。鼻歌まじりで、実に軽快である。
古内「で、言い忘れたことってなんだ?」
ゴリラ「あぁ、はい。昨日主婦の方のお話したじゃないですか」
古内「あの悪評の話か」
ゴリラ「いえ、重要なのはそこじゃなかったんです。第一発見者としての証言の方です」
古内「どういうことだ?」
ゴリラ「実はその方、ある叫び声をハッキリと聞いて、家持さんの死体を発見されたんです」
古内「叫び声?」
ゴリラ「はい、『うわぁーっ!』という叫び声です」
古内「そりゃお前……亡くなった家持の叫びだろ?」
ゴリラ「いやでも……おかしくないですか?」
古内「何がだよ」
ゴリラ「だって『うわぁーっ!』ですよ?70歳のおじいさんに叫べますかね?」
古内「叫ぼうと思えば叫べるだろ。それに、家持は建築会社の現場責任者って言ってたじゃねぇか。大声出すのは慣れてるはずだろ」
ゴリラ「いやしかし……」
古内「なんだよ」
ゴリラは掃除していた手を止め、胸ポケットから携帯電話を取り出した。
古内「ったく、馬鹿馬鹿しい」
古内はゴリラから掃除用具を奪い返す。
???『き”~み”~が”~あ”~よ”~お”~は”~」
古内「……⁉」
ゴリラ「あっ、びっくりしました?コレね、家持さんの声なんですよ。10年以上前の忘年会の時の」
ゴリラの携帯電話から声が響く。
家持『ち”~よ”~に”~い”~ぃ”~や”~ち”~よ”~に”~』
古内「……それも社長さんから貰ったのか」
ゴリラ「えぇ。このように、家持さんはハスキーボイスと言いますか、喋る言葉全部に濁点が付くと言いますか、とにかく独特な声質の方だったそうで」
古内「つまりアンタが言いたいのは……」
ゴリラ「はい、なぜ叫び声がハッキリ『うわぁーっ!』と聞こえたかということです」
古内「……」
ゴリラ「あっ、掃除は私がやりますよ」
ゴリラは古内から再び掃除用具を奪った。
ゴリラ「ゴールデンジャラスの包装落ちてないですかねぇ」
古内「……どうだろうな」
*
ゴリラは掃除をしながら、古内と共に商店街を歩いていた。
ゴリラ「いつもこんな早朝からお掃除を?」
古内「……俺自身、朝型なもんでな。つっても暇つぶしみたいなもんだが」
ゴリラ「他のお店の方は、まだ眠ってらっしゃるようですねぇ」
古内「あぁ、みんな朝ドラの時間にならないと起きてこねぇんだ」
ゴリラ「掃除してて、誰かとすれ違ったりは?」
古内「ないな」
ゴリラ「へぇ……では家持さんとも?」
古内「……どういう意味だ?」
ゴリラがポケットからメモ帳を取り出す。
ゴリラ「いや実は、昨日の夜ですね。さっきの家持さんの動画について意見が欲しくて、またホームレスの人達に会いに行ったんです。で、動画自体は『ワシらの知ってる家さんの声じゃあ!』って具合にお墨付きを頂けたんですけど……』
ゴリラがメモ帳をパラパラとめくる。
ゴリラ「……おっ、あったあった。えぇー、どうやら家持さん、ここ最近健康のために、早朝ウォーキングをされていたそうで、亡くなった昨日も含め、毎朝6時に出発されていたそうなんです。それも飽きないように、コースは毎日変えていたそうで」
古内「ほぉ……」
ゴリラ「どうでしょう?以前見かけたことはありませんか?」
古内「……俺の意見は変わらん」
ゴリラ「え?」
古内「俺が家持を見かけたのは、ゴールデンジャラスを万引きされた、あの時だけだ」
ゴリラ「そうですか……」
ゴリラがガクッと肩を落とす。
古内「もういい、返せ」
古内がゴリラから掃除用具を奪い返す。
古内「大体俺は、掃除は30分で終わらせて、6時には朝食って決めてんだ。出会いようがねぇよ」
ゴリラ「なるほど。それでその後6時半から、開店作業って訳ですね」
古内「そういうこと」
古内はゴリラ以上に手際よく、掃除を進めていく。
*
その後も古内は、素早く掃除を進めていった。その後ろを、ゴリラは付いて歩いていた。
古内「……なぁ、刑事さん」
ゴリラ「はい?」
古内「いつまで付いてくるつもりだ?」
ゴリラ「あぁ、すみません。私もこの先に用がありまして」
古内「そう……」
そうしてしばらく進んだところで、ゴリラが口を開いた。
ゴリラ「あっ、ここです」
古内も思わず立ち止まる。
古内「何が?」
ゴリラ「微妙に血痕が残っています。ここが事件現場です」
古内「ふーん。じゃ、俺はこの辺で……」
ゴリラ「あっ、ちょっとお待ちを!」
古内「……なんだよ?」
ゴリラ「あの……ホントすぐ終わりますので。ちょっと確認したいことがあるんです」
古内「……ハイハイ、手短にどうぞ」
ゴリラ「ありがとうございます」
ウンザリしている古内のとなりで、ゴリラは商店街の、店と店の間にある路地を指差した。
ゴリラ「あちら、見えますかね。あの路地。ここから約300mといったところですね。第一発見者の主婦の方は、あちらにいらっしゃったんです。なんでもゴミ出しだったとかで。で、その最中に叫び声を聞いたんです」
古内「『うわぁーっ!』って声をか」
ゴリラ「はい。ただその……やっぱり引っかかるなぁ」
古内「ハッキリ『うわぁーっ!』と聞こえた理由か?」
ゴリラ「いや、それも気になるんですけど、あそこまでそれなりの距離があるんですよ。ということは、叫び声もそれなりの声量でなければならない」
古内「何が言いたいんだ?」
ゴリラ「古内さん、あなたには聞こえなかったんですか?」
古内「えっ」
ゴリラ「あなたのお店は、ここから歩いて5分。それなりの声量の叫び声なら、聞こえないはずがありません」
古内「あっ……」
ゴリラ「あなたの証言が必要なんです。聞こえたんですか?聞こえなかったんですか?」
古内「えっと……。お、思い出した!確かに何か声が聞こえた!」
ゴリラ「本当ですか⁉」
古内「あぁ、あれはバナナを万引きされた後の……6時40分だ!そん時は頭に血が上ってて、大して気にも留めなかったが……」
ゴリラ「で、何と聞こえたんです?」
古内「確かアレは……『ぐわぁーっ!』だ!」
ゴリラ「『ぐわぁーっ!』⁉」
古内「あぁ、うん。そう、聞こえた……」
ゴリラ「なるほどぉ……。『ぐわぁーっ!』ですかぁ」
古内「参考に……なりそうかい?」
ゴリラ「えぇ、なりますとも。……あっ、そうか!主婦の方は『ぐわぁーっ!』の『ぐ』を聞き逃して、『うわぁーっ!』と聞こえたのかぁ!」
古内「な、なるほどな……」
ゴリラ「いやぁ、ありがとうございます。確かに『ぐわぁーっ』なら、家持さんにも叫べたかもしれません」
古内「そ、そうかい」
ゴリラ「これで満を持して、捜査に踏み切れます」
古内「そりゃあ良かった……」
ゴリラ「はい。……あっ、じゃあ私はこれで。部下を待たなきゃいけないんで」
古内「おぉ、ご苦労さん」
古内は軽く手を振ると、ゴリラの前から去ろうと……
ゴリラ「あっ、古内さん!」
古内「なっ……⁉」
……去ろうとしたが、呼び止められてしまった。
古内「ま……まだ何か用か?」
ゴリラ「どうもすみません。いや実は……厚かましいお願いなんですが、新品のゴールデンジャラスを1本売って欲しいんです」
古内「昨日あげたやつは?」
ゴリラ「昨晩全部食べちゃいました……」
古内「しょうがねぇなぁ……。貴重な今日の出荷分だからな?大事に食えよ?」
ゴリラ「いやぁ、ありがとうございます。これで捜査が進みます」
古内「バナナで?」
ゴリラ「はい、猿山君とバナナの皮を使って、ちょっと検証をしようと思いまして」
古内「検証……?」
ゴリラ「ズバリ、『バナナの皮で人は殺せるか』です」
その言葉を聞いた瞬間、古内の表情に僅かながら変化があった。おそらく古内本人も無意識であろう、焦りとも喜びとも取れる、一瞬の変化。ゴリラには、それがハッキリと見えていた。
第九章:『検証』
時は流れ、車多商店街は朝10時を迎えていた。ゴリラは事件現場近くのベンチにて、すっかり待ちくたびれていた。しばらくすると、走る人影が見えてくる。ゴリラを待ちくたびれさせた男、猿山である。
猿山「ゴリさ~ん!」
両腕にダンボールを抱え、汗ダラダラでベンチに向かってくる。
猿山「はぁ……はぁ……ご……ゴリさん……お……おはようございます……!」
ゴリラ「……猿山君」
猿山「は……はい?」
ゴリラ「私、確か朝8時集合って伝えたよね?」
ゴリラの表情は怒りよりも、呆れが前面に出ている。
ゴリラ「なんで遅刻したの?」
猿山「す……すみません!」
ゴリラ「……うん、まぁ、昨日は私も悪かったと思うよ。バナナ農園まで往復4時間も運転してもらって、警察署からここまでも送り迎えしてもらったし……」
猿山「ゴリさん……!」
ゴリラ「……でも早上がりしたじゃん?あとバナナ農園でもすっごい試食してたじゃん?いくら奥さんからのご厚意とはいえ、食べ過ぎなくらい食べてたじゃん?」
猿山「……そうッスね」
ゴリラ「なんで遅刻したの?」
猿山「……寝坊しました!」
ゴリラ「……正直でよろしい」
*
一応の許しを得た猿山は、持ってきたダンボールを開き、中からヘルメットとプロテクターを取り出す。
猿山「ゴリさん、古内とは?」
ゴリラ「あぁ、それなりに話したよ」
猿山「……どうでした?」
ゴリラ「まぁ……クロだろうね」
猿山「じゃあゴリさん、コレやる意味あるんですか?」
ゴリラ「というと?」
猿山「いやだって……古内が犯人なんですよね⁉」
ゴリラ「九分九厘ね」
猿山「ならとっとと捕まえちゃえばいいじゃないですか⁉」
ゴリラ「何の罪で?」
猿山「そりゃ……家持さんを殺した罪でしょう!」
ゴリラ「証拠は?」
猿山「えっと……いやでも!1本1万円もする……ゴールデンなんとかが爆売れしたんでしょ⁉」
猿山が携帯から動画サイトを開く。
猿山「見て下さいよコレ!人気の動画配信者が古内の店で10本も買ったんですよ!話題性バツグンですよ⁉これで古内は大儲け間違いなし!だから殺害動機は店の宣伝の……」
ゴリラ「甘いよ猿山君、バナナより甘い」
猿山「へ?」
ゴリラ「確かにゴールデンジャラスはメチャクチャ売れているけどね、お店は決して儲かってなんかいない」
猿山「な……なんで?」
ゴリラ「他の果物が全く売れていない」
猿山「えっ⁉」
ゴリラ「昨日の朝と夕方、陳列棚を見ていたけど、変化らしい変化はゴールデンジャラスしかなかった」
猿山「そ……そんなまさか……」
ゴリラ「君の買おうとしたラブラブド・オレンジも、キレイに売れ残ったままだったよ」
猿山「あんなに美味しそうだったのに……」
ゴリラ「昨日来たお客さんは、ゴールデンジャラス以外眼中になかったんだ」
猿山「いやでも……ゴールデンなんとかの売り上げだけでも相当なものじゃ……」
ゴリラ「足りないと思うよ。元々そこまで数が出回る商品でもないし。それに古内さんは店の果物を、全部直接仕入れていると言っていた。他の果物もバランス良く売れなきゃ、商売にはならないよ」
猿山「な、なるほど……」
ゴリラ「わかったなら、はい!」
ゴリラが猿山にヘルメットとプロテクターを手渡す。
ゴリラ「コレを着ける!」
*
二人は事件現場まで移動した。猿山は、警察署のマークが付いたヘルメットとプロテクターを装着している。その姿はさながら、これからスケートボードにでも乗るかのような格好である。
猿山「ゴリさん……マジでやるんすか?」
ゴリラ「うん」
猿山「僕じゃなきゃダメなんですか?」
ゴリラ「家持さんの身長は?」
猿山「え?えっと……163cmでしたっけ?」
ゴリラ「君の身長は?」
猿山「……165cmです」
ゴリラ「で、私の身長は180cm」
猿山「デカいッスね……」
ゴリラ「猿山君、適任者は君しかいないんだよ。家持さんの転びを再現できる人間は。そのために靴だって、わざわざ同じタイプのを用意したんだ」
そう言いながら、ゴリラはバナナの皮を地面に置いた。早朝に古内から購入した、ゴールデンジャラスである。もちろん、ゴリラが美味しく完食済みの物だ。
ゴリラ「さぁ、踏むんだ!……というか転ぶんだ!」
猿山「こ……こんなの人体実験だぁ!」
そう言いながらも、渋々猿山はバナナの皮を右足で踏んだ。『グチュッ』そんな皮の声が聞こえる。
猿山「あっ……あっ……」
猿山の靴がバナナの皮の粘液によって滑り、猿山のバランスを崩そうとする。
猿山「……危ない!」
猿山の左足が本能的に動き、大地を踏みしめ、バランスを整えた。
猿山「うぉぉぉぉぉっ‼」
猿山は転ばなかった。
ゴリラ「……」
猿山「あっ……今のナシで!」
猿山は再びバナナの皮の前に立ち、今度は思い切り右足で踏んだ。『グチュッ』また皮の声が聞こえる。
猿山「あっ……あっ……」
猿山の靴がバナナの皮の粘液によって滑り、猿山のバランスを崩そうとする。
猿山「うわぁぁぁぁぁっ‼」
猿山は転んだ。力の限り転んだ。真後ろに。家持の転んだ方向とは正反対に。
猿山「あの……ゴリさん」
ゴリラ「なんだい?」
猿山「もしかしてコレ……」
ゴリラ「うん、やり直し」
*
猿山「検証は難航を極めた。家持のように前のめりに転ぼうと猿山は挑戦を重ねたが、どうにも上手くいかなかった。原因は主に、猿山の恐怖心にあった。いくらヘルメットとプロテクターを身に着けていても、硬いタイルに顔面がぶつかるかもしれないという恐怖が、猿山の方向感覚を狂わせていた……」
ゴリラ「誰に向かって言ってんの」
猿山「あっ、すみません。なんか転びすぎて意識がもうろうと……」
ゴリラ「頼むよ猿山君」
猿山「……っていうかゴリさん。そもそもコレで何がわかるんですか?」
ゴリラ「うん?あっ、そうか。言ってなかったっけ。ごめん、言い忘れてた」
猿山「えぇ……」
検証開始から既に、2時間が経過していた。
ゴリラ「いやさ、実を言うと私、バナナの皮で転んで人が死ぬって、そうそうないと思うんだよ」
猿山「い……今更ですか⁉」
ゴリラ「猿山君見てて改めて思ったけど、人間転ぼうとすると、本能的に防ごうとするんだよね」
猿山「まぁ……危ないですからね」
ゴリラ「じゃあ何故、家持さんは防ぎきれなかったのか」
猿山「年齢の問題じゃないですか?」
ゴリラ「その通り」
猿山「え?」
ゴリラ「家持さんにはきっと、年齢的に防ぎようのない、『転ぶ理由』があったんだ」
猿山「そ……その理由とは?」
ゴリラ「いや……だからそれがわかんないから、君に家持さんと同じように転んで欲しいのよ」
猿山「ズコーッ‼」
猿山が前のめりに転んだ。もしかしたら天職は刑事でなく、お笑い芸人だったかもしれない。
猿山「全く……ゴリさんあなたって人は……」
ゴリラ「ストップ!」
猿山「え?」
ゴリラ「そのまま動かないで!」
猿山「え?え?」
ゴリラ「今までで最高のポーズだよ猿山君!ちょっと待って、今カメラ出すから!」
猿山「あっ……はい」
ゴリラがダンボールから、ポラロイドカメラを取り出す。ヘルメットなどと同じく、警察署からの借り物だ。
ゴリラ「はい、チーズ!」
シャッター音が響き、瞬時に写真が印刷されていく。
猿山「ど……どうですか⁉」
ゴリラ「うん、そっくりだ!」
猿山「やったぁ!」
ゴリラ「……あっ、ダメだ」
猿山「えっ」
ゴリラ「皮踏んでないや」
猿山「あぁっ⁉」
初歩的なミスである。
猿山「はぁ……またやり直しかぁ……」
だが、その時であった。
ゴリラ「ストップ!」
猿山「え?」
ゴリラ「そのまま動かないで!」
猿山「え?え?」
ゴリラは猿山の右足の、靴の部分を掴むと、それをバナナの皮に押し当てた。『グチュッ』何度も聞いた音がする。
ゴリラ「よしっ」
再びシャッター音が響き、写真が印刷されていく。
ゴリラ「今度こそ正真正銘のそっくりだ!」
猿山「ゴリさん……」
ゴリラ「ん?」
猿山「この方法でいいなら、別に転ぶ必要なかったじゃないですかぁっ‼」
ゴリラ「あぁっ!ごめんごめん!もうこの際、手で押し付けちゃえって思って……」
その瞬間、ゴリラが閃いた。
ゴリラ「……そういうことかぁ」
猿山「え?」
ゴリラ「お手柄だよ、猿山君」
猿山「はい?」
ゴリラ「検証は終わりだ。お昼にしよう」
猿山「は……はい」
猿山はようやく起き上がるも、事情がよく飲み込めない。
ゴリラ「ただ」
猿山「ただ?」
ゴリラ「まずは鑑識に連絡しよう」
猿山「な……なんて?」
ゴリラ「『古内が犯人だっていう証拠が見つかった』ってね」
*
一方その頃、古内果物店は大変賑わっていた。客の目当てはもちろん、ゴールデンジャラスである。人気動画配信者によってピックアップされたことで、その熱は昨日以上のものであった。
古内「い……いらっしゃい……ませ」
店主の古内は一人、汗を流していた。
客A「でもどうするぅ?食べたら死んじゃうかもよぉ?」
客B「今更かわいこぶるんじゃねぇよ!ネタで買うんだよ!ネタ!」
客C「今にプレミア付くでぇ!」
客D「転売ヤーとしての血が騒ぎますなぁ!」
客E「フヒヒヒヒヒ……呪い……呪い……!」
客F「マジやべぇ……俺死ぬんだ……!」
客G「あっ、ユーもチュブの動画見た感じぃ?」
客H「当たり前田のクラッシャー!ギャハハハハハ!」
店内はまさに混沌と化していた。そんな中、古内は勇気を出して、とある提案をしてみる。
古内「み……みなさん!その……バナナ以外にも良かったら……メロンはどう……です⁉オレンジも……甘くて美味しい……です……よ⁉」
だが客の反応は、冷たいものだった。結局ゴールデンジャラスだけを購入して、全員去っていった。
古内「……」
古内の額からは、汗が噴き出ている。表情はなんとか笑顔を保とうとしているが、握りしめた拳からは、今にも血が溢れ出そうだ。
古内「……いつ……来るんだ……」
内心無駄とわかってはいても、『わかっている客』が訪れることを望んでしまっていた。その客がたとえ、刑事であったとしても。
*
時間はそれから刻々と進み、夕方の4時を回った。昼食といくつかの用事を済ませたゴリラと猿山は、商店街の入口付近で、鑑識からの連絡を待っていた。
ゴリラ「うーん……」
猿山「遅いッスねぇ」
ゴリラ「いや、そっちじゃなくて」
猿山「なんです?」
ゴリラ「一つだけわからないことがある」
猿山「えっ⁉まずいじゃないですか⁉」
ゴリラ「だから今考えてんのさ」
ゴリラが首を傾げる。すると、遠くの方にいる女子高生達3人の存在に気が付いた。募金活動の最中のようだ。
ゴリラ「あの子達、お昼からずっとやってんの?」
猿山「いえ、朝の9時からですよ。お昼休憩1時間取って、夕方5時までやるそうです」
ゴリラ「へぇーそりゃ大変……ってなんで君がそこまで知ってんの?」
猿山「募金しましたから」
ゴリラ「いつさ?」
猿山「朝ですよ。この炎天下で可哀想だなと思って、千円札あげたらキャーキャー言ってもらえて……。で、ついでに色々と話した訳ですよ」
ゴリラ「ふーん……えっ、朝?」
猿山「あっ」
ゴリラ「つまり君はアレか。朝寝坊したにも関わらず、女子高生からキャーキャーされる余裕があったのか」
猿山「ご……誤解です!慈善活動の一環です!」
ゴリラの冷たい視線を受けながら、猿山が必死で弁解をする。
猿山「いやホント可哀想な子達なんですよ!こんな人気のない商店街で募金活動だなんて!」
ゴリラ「人の多い駅前とかでやればいいじゃない」
猿山「そういうところは許可取るの大変なんですよ!彼女達は言うなれば、被害者です!こんな人の来ない所で、しんどくても募金してもらうために一生懸命に笑顔をつくって……」
ゴリラ「あーハイハイ。わかったわかっ……」
その瞬間、ゴリラがまた閃いた。
ゴリラ「……わかった」
猿山「はい?……あっ」
猿山の携帯電話が鳴った。待ちに待った鑑識からの連絡だ。
猿山「はい……はい……はい!わかりました!あとでゴリさんの携帯にもデータ送って下さい!ご苦労様です!」
電話を切ると、猿山はゴリラにすぐさま内容を伝えようとしたが、姿が見当たらない。
猿山「あれ?」
すると遠くの方で、女子高生達の歓声が聞こえる。
女子高生A「嬉しいですぅ~!」
女子高生B「1万円もありがとうございますぅ~!」
ゴリラ「これぐらい普通だよ。じゃ、頑張ってね」
女子高生C「ご協力ありがとうございましたぁ~!」
ゴリラがスタスタと猿山の方に戻ってくる。
猿山「なにしてんですかゴリさん⁉」
ゴリラ「えっ、なにって……慈善活動だけど」
猿山「嫌味ですか⁉当てつけですか⁉僕より10倍多く募金して浴びる歓声は格別ですかぁ⁉」
ゴリラ「うるさいなぁ……それより電話あったんでしょ?」
猿山「ありましたよ!内容はゴリさんの推理通りでしたぁ!文句ありますかぁ⁉」
ゴリラ「ないけど……」
猿山は怒り心頭のようだ。
ゴリラ「あぁもう、悪かったよ猿山君。後で君の食べたいものおごるから許してよ」
猿山「えっ、いいんですか⁉なににしよう……」
ゴリラ「ここで考えといて」
猿山「はい!……ってゴリさんどこ行くんです?」
ゴリラ「決まってるだろ、古内果物店さ」
ゴリラには古内を逮捕出来る、確信があった。車多商店街の中を一人、ゆっくりと歩いていく。
猿山「待ってます!」
猿山の声援を受け、ゴリラは右手を挙げる。その背中は、とても頼もしく見えた。ちなみに、後でわかることだが、先程の募金で財布の中はすっからかんになっていた。
第十章:『真相』
時刻は夕方5時を迎えようとしていた。古内果物店は、昼の賑わいが嘘のように、閑散としていた。だが古内は、その状況にむしろ安心を覚えていた。閉店時間を前にして、ようやく得た平穏である。
古内「……来たか」
だがその平穏は、そう長くは続かない。
ゴリラ「お疲れ様です」
古内が待ち望んだ『わかっている客』にして、この2日間で最大の難敵である刑事の登場である。
古内「悪いが、ゴールデンジャラスはとっくの昔に売り切れたよ」
ゴリラ「大丈夫です。こちらも買い物が目的ではないので」
古内「一応聞こう。何の用だ」
ゴリラ「古内弥太郎さん、あなたを逮捕しに来ました」
最後の舌戦の幕開けだ。
少しの沈黙の後、先に古内が口を開いた。
古内「……名前、なんと言ったかな」
ゴリラ「私ですか?」
古内「あぁ」
ゴリラ「私、五里蘭次郎と申します。なんでしたらどうぞ気軽に……」
古内「ゴリラ」
ゴリラ「あっ……」
古内「で、いいんだな」
ゴリラ「ありがとうございます」
ゴリラが軽く会釈をした。
古内「……それでゴリラ、俺を何の罪で捕まえようって言うんだ」
ゴリラ「古内さん、あなたは昨日の朝亡くなった、家持大志さんに、大きな被害を与えました」
古内「俺が殺したって言いたいのか」
ゴリラ「いいえ、それ以前の問題です」
古内「なんだ?」
ゴリラ「わかっていらっしゃるでしょう。あなたは家持さんがゴールデンジャラスを万引きしたという、事実無根の罪を被せました。名誉を傷つけたのです」
古内「ほぉ……なら言ってみろよ。家持が万引きしてないっていう証拠をな」
ゴリラ「もちろんです」
するとゴリラは、店内にある『夜張メロン』のダンボールを持ち上げた。
ゴリラ「ちょっと失礼」
古内「あっ、お前」
そして数秒持った後、それを元の場所に降ろした。
ゴリラ「確かに重い……ですが、動けなくなる程の重さじゃあない」
古内「ゴリラ、それはお前個人の感想だ」
ゴリラ「いいえ違います。あなたはこれぐらいの重さ、運び慣れているはずです。直接現地に向かい、商品を仕入れているあなたには」
古内「ぐっ……」
ゴリラ「にも関わらず、あなたは家持さんの万引きを、このダンボールを持っていたという理由だけで逃している。これを置いてすぐに追えば、いや、多少時間がかかっても追いかけさえすれば、余裕で捕まえることが出来たはず」
古内「いや、家持の足が早かったんだ」
ゴリラ「それはありえません」
古内「何故断定出来る?」
ゴリラはスーツの内側から、書類を取り出した。
古内「またバナナアレルギーの話か」
ゴリラ「いいえ、今日使うのは……こっちです」
健康診断表だ。
ゴリラ「お忘れかもしれませんが、私、昨日ちらっと言いました。家持さん、膝が悪かったんです」
ゴリラは古内に健康診断表を手渡す。古内はそれをまじまじと見つめる。
古内「……あくまで10年前のデータだ」
ゴリラ「確かにそうです。しかし、その後の家持さんはずっとホームレスとして生きていました。おそらく医療機関から治療を受けるのも難しい状態で、どうやって膝を劇的に治せるでしょう」
古内「……なら早朝ウォーキングは⁉健康のためにしてたんだろ⁉」
古内が声を荒げる。
ゴリラ「しかし、始めたのは最近です」
それに対しゴリラは、冷静に答える。
ゴリラ「古内さん、家持さんにあなた程の足の速さはありません。私が保証します。今朝のあなたのテキパキとした掃除、あれは健康な足腰あってこそです」
古内「うっ……」
古内が顔をしかめた。
古内が持っていた健康診断表を、商品棚の上に置く。ゴリラはそれを黙って回収する。
古内「……なぁ、ゴリラ」
ゴリラ「なんでしょう」
古内「じゃあお前、家持が死んだ理由はどう説明するつもりだ?」
ゴリラ「……と言いますと?」
古内「とぼけるな!お前は俺をずっと、家持を殺した犯人だと疑っていたはずだ!だから何度も、しつこく反応を伺った!」
古内がヒートアップしていく。
古内「だが果たして証拠はあったか⁉俺が家持を殺したっていう、確固たる証拠は⁉」
ゴリラ「古内さん……」
ゴリラは一呼吸置いた。
ゴリラ「そうですね、言っておきましょう。あなたが家持さんを殺したという証拠は、一切ございません」
古内「そうだろう!なら……」
だが古内の言葉を遮るように、ゴリラが呟く。
ゴリラ「だってあなた、殺してないじゃあないですか」
古内「えっ」
ゴリラ「私、あなたが殺したなんて、一言も言っていませんよ」
古内「あっ」
ゴリラ「あなたの罪は、殺人罪じゃあない」
古内「あっ……」
ゴリラ「家持さんの死を、偽装したことです」
古内「俺が……何を……偽装したと……?」
ゴリラ「ちょっといきなり過ぎましたかね?そうですね、昨日の朝の出来事を、順を追って話していくとしましょうか」
軽快に話すゴリラに対し、古内は明らかに動揺を隠せていない。
ゴリラ「あっ、これはあくまで私の推論ですので、異論があるならいつでもどうぞ」
古内「お……おぅ」
ゴリラ「まず古内さん、あなたはいつも通り早起きをし、朝5時から商店街の掃除をしていた。そして30分程で終わらせ、朝食の準備に入った。ここまでいいですか?」
古内「……あぁ」
ゴリラ「ですがここで私は、一つ考えました。朝食は一体なんだったのか」
古内「……事件と関係ねぇだろ」
ゴリラ「いいえ、あります。お米でしたら炊かなくてはいけませんし、パンなら温めなくてはいけません。準備にも食べるにも後片付けにも、それ相応の時間がかかります。ですが……あなたは何屋さんです?」
古内「果物屋……」
ゴリラ「そうです。わざわざ他の物を食べなくても、果物ならたくさんあります。私にお勤め品のゴールデンジャラスをくれた時も、『ちょくちょく食べてる』と仰っていましたよね?」
古内「……だとしたらなんだ」
ゴリラ「大幅な時間の短縮になります。それこそバナナであれば、食器の準備すら必要ありません」
古内「要するに何が言いてぇ……」
ゴリラ「つまりあなたには、6時半の開店準備よりも早く、動ける余裕があったということです」
古内は肯定はせずとも、否定もしなかった。
ゴリラ「さて、ここで家持さんの動きに注目しましょう。ホームレスの人達の証言によれば、朝6時に金城公園を出発しています。そして、ここで考えなければならないのが、家持さんの歩行速度です。参考までに、私と猿山君でここから公園に向かった際は、約8分かかりました。膝の悪い家持さんはとりあえず……倍の約16分と仮定しましょう」
古内「大雑把だな……」
ゴリラ「あくまで仮定なので……。で、ここからしばらく仮定が続いて申し訳ありませんが、家持さんは出発から約16分後、この車多商店街の、古内果物店の前を通過しました。そしてこの時、ある人とすれ違います」
古内「俺か……」
ゴリラ「はい、朝食を終えて暇していた……かはわかりませんが、古内さんです。とは言っても、接触も会話もなかったでしょうけど」
古内「……言い切るじゃねぇか」
ゴリラ「見知らぬ人に声をかける程、あなたはフレンドリーじゃあないですから」
古内が苦笑を浮かべる。
ゴリラ「ただ、普段滅多に見かけることのない通行人。多少、気にはなったことでしょう。しかし、その通行人が5分……いえ10分歩いた後、あるアクシデントが起きます」
古内「……勿体ぶらず言ってみろ」
ゴリラ「はい、転倒です。それも前のめりに、タイルに思い切り頭を強打する、最悪の転び方です」
古内「……」
ゴリラ「そして古内さん、あなたにはその音が聞こえた。急いで駆け寄ったことでしょう。しかし、残念ながら家持さんは既に事切れていた……」
古内「……」
ゴリラ「そして……その死体を見た瞬間、あなたはある偽装工作を思いついてしまった」
古内「偽装……工作……」
ゴリラ「店のゴールデンジャラスを使い、皮で転倒死したように見せかけるんです」
古内「……何のために?」
ゴリラ「それは後で話します。とにかく、死体を発見したのはおそらく6時26分頃。主婦の方が死体を発見して通報したのが6時40分なので、10分程あなたは動ける時間があった。その間にバナナの皮を用意したり、家持さんの口内にバナナを仕込んだりしたんです」
古内「……おい待て。それじゃ叫び声の辻褄が合わねぇ。主婦が聞いた叫び声はなんだったんだよ?」
ゴリラ「何って……あなたですよね?」
古内「ふざけてるのか……?」
ゴリラ「いやいや、大真面目ですよ?死体の発見と通報をしてもらうために、あなたはわざと『うわぁーっ!』という叫び声を出したんです」
古内「別に叫ばなくても、待てばいいだろ……」
ゴリラ「滅多に人が通らない商店街ですよ?下手すると、日が暮れてしまいます。それに皮で転んで死んだという印象付けのためにも、叫び声は必須だったはずです」
古内「……」
ゴリラ「そしてあなたは、叫び声を聞いた主婦の方が死体に近づく間に、スタコラ逃げてお店に戻ってきたという訳です」
古内「……」
ゴリラ「以上が、私の考えた推理です」
先程まで動揺を隠せていなかった古内だが、ゴリラの推理を聞き終わる頃には、落ち着きを取り戻していた。
古内「なぁゴリラ」
ゴリラ「はい」
古内「自分で考えていて、馬鹿馬鹿しいとは思わなかったのか?」
ゴリラ「うーん……まぁ多少は」
古内「そうだろう。お前のその仮説は、明らかに飛躍し過ぎている」
ゴリラ「ほぉ……どの辺が?」
古内「家持の死因だよ。いきなり転んで死んだぁ?そんな都合良く、死んでたまるかよ」
ゴリラ「バナナの皮で転んで死ぬよりは、現実味がありますけどね」
古内「……そうかい。だが証拠は……」
ゴリラ「膝です」
古内「アレルギーの次は膝の連呼か……。刑事も随分いい加減な……」
文句を言いかけた古内に、ゴリラは携帯電話の画面を見せる。
古内「……これは?」
ゴリラ「先程鑑識から送られてきた、司法解剖の結果です。こちら見えますかね?右足の膝のところ」
古内「ね……『捻挫』……⁉」
ゴリラ「はい、亡くなる直前、捻挫の症状が現れていたんです。つまり家持さんは、急激な膝の痛みでバランスを崩し、運悪く頭部を打撲して亡くなったんです」
古内「なっ……」
ゴリラ「ちなみに胃の中も調べてもらいましたが、山菜以外は何もなかったそうです。当然、ゴールデンジャラスなんてありません」
古内「ぐっ……いや……じゃあなんだ⁉俺が家持の死を偽装して、なんの得がある⁉」
ゴリラ「そりゃあ……ゴールデンジャラスが飛ぶように売れましたよね」
古内「あくまでテレビ報道のおかげでな!」
ゴリラ「テレビに報道させたのはあなたでしょう」
古内「……!」
ゴリラ「あなたが匿名でリークしたんです。『バナナの皮殺人事件』という、いかにもテレビ局が食いつきそうな題名で」
古内「何故そう……言い切れる……⁉」
ゴリラ「いくらネット社会とはいえ、当事者しか知りえない情報が一瞬で出回ったんです。あなた以外にありえません」
古内「ぐっ……!」
ゴリラ「そして見事、事件効果も相まってゴールデンジャラスの宣伝は成功し、大量に売り捌きました」
古内「だが……ゴリラ……わかるはずだろ⁉ゴールデンジャラスだけが売れたところで、俺の店が赤字ってことぐらい‼」
古内がゴリラに向かい、吠える。怒り以上に、悲しみを訴えるかのように。
ゴリラ「えぇ、そうです。それが引っかかっていました。ですが……あなたの本当の狙いは、ゴールデンジャラスを売ることでしたか?」
古内「……⁉」
ゴリラ「ゴールデンジャラスを買っていったお客さんの中に、あなたの言う『わかっている客』がいましたか?」
古内「そ……それは……」
ゴリラ「いないでしょう。本来のあなたなら、主婦の方や猿山君の時のように、動画配信者にも、話題に釣られたミーハーな客にも、売るようなことはしなかったはずです。それでもあなたは必死で我慢し、商売をする必要があった。これ以上余計な、悪評を広める訳にはいかなかった。何故なら……」
ゴリラは素早く携帯電話を操作し、とある画面を古内に見せつけた。
ゴリラ「クラウドファンディングを控えていたからです」
古内「あっ……⁉」
概要には『バナナの皮殺人事件で風評被害に遭った古内果物店に救いの手を!』というタイトルで、目標金額500万円、返礼品に『お店で使える割引券』と表示されていた。
ゴリラ「ついさっき見つけました。通販が嫌いと仰るあなたに、勝手にネットにも疎いというイメージを抱いてしまっていました。でも実際は、そんなことなかったんですね」
古内「は……はは……」
声は笑えど、古内に笑顔はない。
ゴリラ「クラウドファンディング……。ご存じだと思いますが、不特定多数の人が、インターネット等を通じて、他の人々や会社、各種団体に資金提供が出来るサービスですね。一個人が夢や目標を叶えるために、活用するケースも増えていると聞きます。そして募金と違うのは、資金提供者に返礼品が与えられること。何かしらの権利が貰えたり、それこそあなたのように特定のサービスを受けられるというものが多いみたいですね」
ゴリラが古内にビシッと指を差す。
ゴリラ「考えましたねぇ。あなたの偽装工作で事件に見せかけたことで、世間からは大きな注目を集めている。これ以上ないビジネスチャンスです。今の内に資金を集め、そして返礼品の割引券でリピーターを増やせれば、業績は大きく回復することでしょう」
古内「……そうだな」
ゴリラ「素晴らしい手腕です。人の死を利用したこと以外は」
真剣な眼差しのゴリラに対し、今にも崩れ落ちそうな古内。だが、今ここで負けを認める訳にはいかない。
古内「ゴリラ……」
ゴリラ「古内さん……」
古内「確かに見事な推理だ……だがな」
古内が拳を握りしめる。
古内「ここは俺の……夢の店だ‼今はボロボロだが……クラウドファンディングで……絶対に経営を立て直す‼それだけじゃねぇ‼この商店街にも……活気を取り戻す‼」
その迫力に、ゴリラも思わず圧倒される。
古内「そんなに俺を捕まえてぇなら……事件に関わったっていう決定的な証拠を出してみろ‼」
初対面のぶっきらぼうな姿とはまるで違う、熱血漢の姿がそこにはあった。
ゴリラ「……わかりました」
だがゴリラも一人の刑事として、そして亡き家持とその周りの人々のためにも、ここで引き下がる訳にはいかない。
ゴリラ「こちらをご覧ください」
取り出したのは、2枚の写真。家持の死体と、転んでいる猿山だ。
古内「それは……」
ゴリラ「昼間に行った、例の検証です」
古内「『バナナの皮で人は殺せるか』……だったな」
ゴリラ「そうです。猿山君にはバナナの皮を踏んで、家持さんと同じように転んでもらうよう、お願いしました」
古内「ん?……おい⁉同じポーズじゃねぇか⁉」
ゴリラ「はい、撮れるまで苦労しました。もう真後ろに転んだりと大変で……」
古内「そうじゃねぇだろ⁉これはバナナの皮で転んだ可能性があるっていう証拠に……」
ゴリラ「……なりません。コレ、皮を踏まずにすっ転んだ写真なんです」
古内「は……はぁ⁉」
ゴリラ「で、もう1枚、コレを見て下さい」
古内「こっちは……踏んでる‼ちゃんと踏んで……」
だが古内の喜びも束の間であった。
ゴリラ「いいえ。私が猿山君の靴に、バナナの皮を押し当てて撮ったんです」
古内「えっ」
ゴリラ「その瞬間、思いました」
古内「あっ……」
ゴリラ「犯人も同じことをしたんじゃないかと」
ゴリラが再び携帯電話を操作し、古内に画面を見せつける。
ゴリラ「古内さん、家持さんの靴から、あなたの指紋が発見されました」
その瞬間、先程まで闘志に溢れていた古内の表情が、一気に青ざめた。
古内「あっ……あぁ……」
ゴリラ「古内さん、いかがでしょうか」
古内「あぁ……そうだ……お前の……推理通りだ……」
ゴリラ「古内さん……」
古内「俺が……やった……」
古内は、その場に崩れ落ちた。
*
夕方の5時を知らせるチャイムが響く。二人は店内に座り込んでいる。
古内「……なぁ、刑事さん」
ゴリラ「ゴリラでいいですよ」
古内「……ゴリラ……いつから俺が怪しいと思ってたんだ……?」
ゴリラ「最初からです」
古内「……最初だぁ?」
ゴリラ「えぇ、最初会った時に、あなた口を滑らせましたから」
古内「なんて……?」
ゴリラ「猿山君にこう言ったんです、『家持って爺さんの写真はあるか?』って。私達は男性が亡くなったとは伝えましたけど、年齢はまだ触れていませんでした」
古内「……馬鹿だな俺は」
古内は思わず天を仰ぐ。
古内「もっと早く……お前さんみたいな客と出会いたかった……」
ゴリラ「私も同感です。でも古内さん、あなたはもっとお客さんを信じても良かったんじゃないですか?」
古内「えっ……?」
ゴリラ「ここの果物はどれも一流です。しかし、お客さんにまで一流であることを要求するのは、酷です」
古内「うむ……」
ゴリラ「きっと、あなたの方から寄り添えば、お客さんにだって、熱意は伝わったはず」
古内「そうか……本当にわかってなかったのは……」
ゴリラ「えぇ、おそらくは……」
古内が立ち上がる。ゴリラもそれに合わせて立ち上がる。
古内「閉店だ……」
古内とゴリラが店外に出る。
ゴリラ「残りの果物は、どうされるんですか?」
古内「……任せるよ」
ゴリラ「そうですか……。じゃあ、協力して頂いたホームレスの方々に、差し入れしましょうかね」
古内「ありがとよ……」
古内果物店のシャッターが降りていく。10年続いた歴史が、終わりを告げる。
ゴリラ「行きましょうか」
古内「……あぁ」
二人は商店街入口に向かって、歩いていく。
古内「……そういやなんで、そんなに『ゴリラ』って呼ばれてぇんだ……?」
ゴリラ「えっ?あぁそれは……えーと……理由はいくつかありまして……まず私の名前に『ゴリラ』が入っているのと……それと大のバナナ好きで……」
暑い夏の某日、車多商店街の店の灯りが、また一つ消えた。