数年前、生死の境をウロウロして「このまま寝たきり状態になるかも。」とお医者さんに言わせて家族を絶望の底に落としたいう、生きていく上でわざわざしなくてもいい経験をしたというのにもかかわらず、私は夏生まれのせいか、めっぽう冬の寒さに弱い。手を洗うときなどに知らないうちにできている小さい傷が水に染みて痛くなるだけで毎回泣きそうになっている。足が冷たくなってうまく歩けないのも、我慢ならない。
人知れず毎年そんな闘いをしているので、誰にも負けないくらいに春の訪れが待ち遠しくて仕方がない。あったかくなり始めたのを確認すると、冬眠から目覚めたクマよろしく、のそのそと動き始める。でも、いきなり行動範囲を広げたり、「やった!やっとあったかくなった!!」とすぐ薄着になりたがるので、油断すると体調崩しがちだ。
春を感じるために色づいた景色を観に行くのも良いけれど、わざわざ遠くに行かなくても、最近ではデパ地下やコンビニでも春限定のさくらやいちごのお菓子もいっぱい出てきて、売場はピンク一色で商品のパッケージを見るだけで華やかでウキウキする。食べるともっとウキウキする。
近所の和菓子店には和菓子職人が作る草餅や、ひなまつりや春の行事を感じる上生菓子が出てくる。各季節を楽しめる「練切り」なんて芸術品として飾っておきたい。でも、食べるために作られたモノだから食べるけど!

仙台の歴史ある和菓子といえば、茶の湯にも精通していた伊達政宗公のころまで遡る「仙台駄菓子」がある。伊達藩では、茶の文化と共にたくさんのお菓子も作られた。庶民は贅沢品だった白砂糖を口にすることができなかったが、米の生産が盛んであった仙台では、もともと、余った米を利用して駄菓子が作られていた。それらが、茶の湯の発展とともに進歩して庶民に浸透し、現在まで職人たちの手によって受け継がれている。

そこに、突如として大正時代後半に仙台駄菓子に仲間入りした「まころん」がある。
「まころん」はまさに19世紀に日本に入ってきた「マカロン」が元となっている。マカロンはアーモンドを主原料として作るお菓子だが、当時の日本ではアーモンドは手に入りにくく、その代わりに東北でも生産されていた落花生を使い、「卵白だけなんてもったいない!」と全卵を使用した。だからあんなに香ばしく、しっとりさっくりしているのだ!食べたことがない人、お試しあれ。
時代背景などがあり、日本仕様にアレンジされ作り出された「まころん」は、当時日本各地で似たモノが作られたが、今では発祥の仙台の名物となっている。見た目も存在も地味で「萩の月」や「ずんだもち」に隠れているが、知る人ぞ知る仙台のおみやげとして定番だ。

そういえば、高級ショコラと一緒にマカロンも流行り始めたころ、「まころん」が好きだった父と一緒に車に乗っていたとき、通りかかった某洋菓子店の前に貼られた「マカロンあります!1コ200円」と書かれたポスターを見た運転席の父は、頭の上に「?」マークを並べて、「1袋じゃなくて?1コ?」と大きめのひとりごとを言っていたのを私は静かに後部座席から見ていた。
…父よ、これはあなたの知っている仙台駄菓子の「まころん」じゃないよ…ヨーロッパの「マカロン」だよ…
日本でも高級ショコラなどが定着し、「自分へのご褒美です!」と購入する人もいる。それもいいと思うけれど、年に一度だけ他の国の有名ショコラティエの作った高級ショコラを緊張しながら食べるなんて、私にはまた我慢ならない。私は小さいことでも、「あれっ、私今回頑張ったんじゃない??じゃあ…」と、事あるごとにプチご褒美を自分に与えたほうが頑張れるタイプだ。それが、食べたいときにゆっくり味わえる、同じ街の名も無きアーティストたちが作った、昔から変わらない馴染みの味のほうが私には似合っている。
もうすぐ、春のお彼岸。今年も、仏壇には父が好きだった「まころん」を供えるつもりだ。今年はしれっと一緒に「マカロン」も置いておこうと思ったけれど、また父が混乱したらいけないので、やめておこう。