私が実家を出て一人暮らしを始めたのは8年くらい前のことだった。家探しから捨てるものと持っていくものを分けるのに半年くらいじっくりかけて行った。私は、物持ちがいいと言えば聞こえがいいが、買い物好きで、ストック好き、趣味や思い出のものをコレクションしたりして、捨てられない人間だったので、限られたアパートの広さに入る分以外は捨てなければいけなかった。もう実家に帰るつもりはなかったので、自分の全財産をかけての引っ越しだった。まず、捨てるものが多かったのは、洋服だった。お店ができるんじゃないかしらと思うくらい数は持っていたが、毛玉がいっぱいついたセーターや肩パットの入ったジャケットなど、流行遅れの洋服は迷いなく捨てられたが、のちに引っ越し先のクローゼットに入らないくらいの洋服がまだあって、泣く泣く捨てなければならない洋服もあった。値段が高かったという理由で、殆ど着ていないコートなどは、持っていたかったが、捨てた。スポーツをしないのに、持っていたスポーツウェアと水着、私は外で働いていなかったので殆どパンストやタイツを履かないのに持っていたり、ほぼ買った時にしかしていなかったベルト、学校の卒業式に一回しか着ていない、若い人にしか向かないピンクのワンピースなどがクローゼットから消えた。今は、パンストやタイツを履かないかわりに、足先が見えるレギンスをずっと履いている。黒のストッキングだけ、冠婚葬祭の時用に新品だけを残しておくことにした。ジーパンは、そんなに好きでもなく、家の中で履くものと思っていなかったわりには、たくさん持っていて(おしゃれ着の一つとして持っていた。)、太って着られなくなったものやローウエストが流行っていた時代に買ったジーパンも捨てた。
私は、首が日焼けするのが嫌で、真夏もリネンなどのストールを首に巻いていて、たくさんあったなか、リネン以外の比較的安いストールは思い切って捨てた。冬用の被ってこなかった帽子、これまた冬にする手袋も捨てた。中にはレザーの手袋があったが、以前黒のレザーの手袋をしていた時に、友人に(冗談ではあるが)銀行強盗みたいと言われたのが、ずっとひっかかっていてこれも捨てた。あと、私は、高校生の時から耳にピアスをあけていたので、安くてちゃちい若い時に買ったピアスと大きな石が付いているデザインの、芸能人がテレビに出るときににくらいしかしないであろうネックレスも捨てた。それから、中途半端に使って既に使われなくなっていた、アイシャドウや、チークも捨てた。自分を着飾るもの系で、大量にもっていた、既に誰もしていなかったカチューシャや飾りがついたヘアゴムやピンもすてた。化粧品のストックは、いっぱいあったが、消費期限を見て、使えるものは残すことにした。
テレビで女性は鳥のように巣作りする習性があるというのをやっているのを見て、私は、テレビ台の上にたくさん小物を飾っていたが、それが巣に見えて、まんまと本能通りにやっている自分が恥ずかしくて、家族以外見ないのに、私はその自分の巣を撤去した。
他に捨てるのに考えたのが、友人・知人からもらったものの処分だった。だいぶん前に友人の出産祝いのお返しにもらった黄色の金運があ上がるよと言われて飾っていた信楽焼きの狸(特に金運は上がらなかった)やディズニーランド20周年記念のその時見てもかわいいキーホルダーとかも捨てた。捨てた最大の理由は、ネットでディズニーランド開園からちょうどその時30周年と書いてあって、10年間も箱の中に入れっぱなしだったので、これからも箱を変えて保管することになるだろうなと思い捨てた。
あと、ベトナム土産の竹でできた今でいうクラッチバック風のものををわざわざ、買ってきてくれた人がいて、遠い海外で少しでも私のことを考えてくれていたんだなと思うと申し訳なかったが、なにも入らないので、捨てさせてもらった。
あと、もう一つ友達に言われたのが、「ぬいぐるみってどうしてる?」と聞くと、「まだぬいぐるみなんかもってんの?」と言われショックだったが、狭い1Kの部屋に12人のぷーさんやディズニーのキャラクターのぬいぐるみを持って行けなくて、これらも泣く泣く処分した。片付けは、見せる収納をするか、できないなら、入れ物を一切買わないで、今ある収納に入るだけの引っ越しをしなければならない。それは引っ越ししてしばらくして、痛感した。私は、映画が好きだったので、映画雑誌も持っていこうと思ったが、一回読んでから全然読んでいなかったので捨てた。逆に残したのは、CDだ。まだ聴けるコンポがあったこともあり、思い出として、100枚くらいのCDを持参した。もう一つ捨てられなかったのが、小学生から収集していた切手だった。最近は買う頻度は減ったが、切手と言えばのりでつけるものだったが、郵便業界も進化し、シール式が大半を締めてきた。私は、昔の切手で値段以上の価格で売っている切手は買わなかった。なぜなら、今、自分が買ったものもいずれ古くなるからだ。需要がなくなってきた切手は、今売っておいたほうが、高く売れると思うが、売るつもりは一切ないので、別にいい。あと、私が切手収集をしていることを知っている知人達が海外へ行く時に私に切手をお土産として買ってきてくれたのでそれは嬉しかった。日本では使えないのは当たり前だが、国内では、よっぽど海外の切手が好きな人でなければ買わない。それに古切手屋では、まず買い取ってもらえない。しかしある意味日本から出ない人、私みたいな人には、充分価値はある。ある時、切手をカメラで撮影して、USBにいれておいたらと誰かに言われたが、それではまったく意味がない。ただの紙切れである。切手そのものに価値を感じる。
断捨離をしながら、ミニマリストになっている人の本を読んだが、それはそれは徹底していた。ものをあげない、もらわないと決めている作者の本を読んだが、その人は医者で、大学の卒業証書を家の書斎に飾っていたが、カメラで写真をとって、証書そのものは捨てたそうだが、私は、そんなに学歴がないので、卒業証書を自分の部屋に飾ろうと思ったことがない。このお医者さんは、誰にも見せずに、医者だという証明みたいな卒業証書をなぜオフィスに飾らなかったんだろうと思った。この作者のモットーみたいなのは、「自分がいらないものは誰もいらない。」だった。私はそれはそうだなと思い、いらないものや捨てるのに迷ったものは最後は大体捨てることにした。今ではメルカリとかで、割り切って他人が使ったものを買ったりしている人がいるが、私は、古本以外知らない人が使ったものは使いたくないので、そういう気持ちを考えると、メルカリの売る側になれない。この医者の本は少し古い上にアメリカの方だったのだが、クリスマスカードを贈らないらしいので、多分人間関係もタイトだろう。いらないものを倉庫からだして、庭でバザーをしたりしたが、全く売れなかったことから、多分、上のような境地に達したのだろう。
他の外国人の話では、これまた古くなるが、作者の母親が家中がらくただらけなのに、絶対に何も捨てられない人で困ったが、その母親が、1929年の世界大恐慌の時にちょうど若い時を過ごし、お金をいくら積んでも何も買えないという苦しい体験をしたからだということを知った作者は、納得して母親に無理に断捨離をさせるのをやめたそうだ。欲しいもの、必要なものがお金で手にはいらないのはたしかに恐怖である。お金がなくて、これから何も買えないというのもこれまた恐怖であるが。具体的に洋服を買った時についている予備のボタンをその母親は残していて、私はええーと思った。なぜなら私も洋服を買った時についている予備のボタンをかなりの量持っていたからだ。裁縫箱にいれてあったボタン全てを私はすぐに捨てた。全く使う時などこないものは、こんなところにもあったのだ。
昔の人は、一つのものを修理して大事に使っていたな、とものすごく思う。もちろん100均のお店もしっかりしたものもあるが、私の祖父は、理容師が使うバリカンやハサミ、そのほか包丁などを研ぐ技師だった。一度研ぐのを注文してきた人は、出来上がったら半年はお店に来なかった。それぐらい剃り具合が良かったのだ。
それとは話がずれるが、祖母は、服をたくさん持っていて、引っ越しの時に叔母にバンバン洋服を捨てられていた、祖母は、着ない洋服を「捨てないで。」と叔母に泣いて頼んだが、叔母は容赦なかった。嫁入り道具で持ってきた三つの箪笥を処分しなければならなかったからだ。だが、着ないのに捨てられない気持ちはよく分かる。
インスタで日本人の断捨離をやっている人で、冷蔵庫も洗濯機もないという人がいた。冷蔵庫がなかったら、真夏などすぐに食べ物が腐ってしまうんじゃないかと思う。もしかしたら、エアコンをガンガンつけていたかもしれない。さすがに布団だけでは寝られなかったのか、ベッドマットだけは買って生活していた。朝、昼はどうしていたのかは分からないが、仕事帰りにスーパーに毎日寄って自炊はしていたらしい。しかし、自炊するにしても、まな板とか包丁が邪魔でもキッチンばさみとか炊飯器は、最低いるだろうし、自炊場面は見たことがなかったので、多分、お弁当とか食べていたんだろうなと勝手に思う。
自分でなんでこんなものを残していたのだろうと思うのが、高校の制服と鞄である。100パーセント着ることがないのに丁寧に箱に入れて残していた。高校時代が素晴らしくいい思い出ででもない上に、私の歳になると持っていると、誰かになんて言われるか分からないと内心思いながら、処分した。私は残しておきたいけれど、捨てなければいけないものの写真とかは撮らなかった。なぜなら、それ自体も荷物になるし、1年365日のあいだに、それらを見て、思い出に浸ることがないと思ったからだ。結局、高校の思い出を校章にした。小さくてどこにでもいれられるし、失くしてもショックは少ないだろうと思ったからだ。
私が引っ越しするのと同時に家族も引っ越しすることになったが、ひな人形や市松人形なども供養せずに捨てた。成人式の着物も二束三文で売り、腕時計やティファニーのネックレスなども売ったが、全部で数千円にしかならなかった。
夜中にネットで粗大ごみ24時間回収というのをみつけたが、見積もりが、ものすごく高い料金だったので、そこに回収を頼むのをやめた。金額が高いのと、24時間受付というところから、夜逃げとかに使われる業者かなと思った。結局私は、引っ越し屋さんに少しの料金で、粗大ごみ全部を持っていってもらった。騙されないでよかったとなんだか思えた。24時間の会社が怪しい不当な会社かははっきりしなかったが、安いことに越したことはない。
あと、父が珍しく誰かの絵画展を見に行ってその画家の版画を買ってきたことがあった。それはかなり大きい版画で、私はネットで、鑑定士を検索し、家に来てもらうことになった。絵のことが分からない私でも、何百枚のうちの一枚の版画の値段は予想できた。その版画は多く流通していて、版画は古いと安くなるらしく、父が想像していた値段の二十分の一の値段で、父はかなりがっかりしていた。父はよっぽどその版画が気に入っていたらしく売ることはなかった。
それよりも時間がかかったのが、ネガ時代の写真や、もう付き合いのない人からの手紙や年賀状、それから、私しか見て分からない風景写真などを捨てたら、かなりの量が整理された。あと、これ誰だっけ?という人と一緒に写っている写真も捨てた。
あと、捨てられなかったものの中に小学生の時に2年間毎日宿題で書いた絵日記があった。。今でも家の隅に置かれている。たわいもない日常を書いた子供の頃、まだ病気になっていなかった健康だったころの、自分でいうのもなんだが活き活きしていたころの日記なので、私は、その絵日記を亡くなったら、棺にいれてもらいたいくらだ。
台所用品の中に、私が集めていたマグカップがあった。おしゃれなマグカップ達だった。私は、そこに、コーヒーとかだけではなく、お茶や牛乳を入れて飲んだりもしていた。コーヒーは嫌いではなかったが、コーヒーメーカーで入れると、時間がかかるのでコーヒーを飲むときは、ほぼインスタントを飲んでいた。ちょっとせっかちなところがあるのと、高級コーヒーを飲んでも、美味しいのは分かるが、そのコーヒーの何処が美味しいのか分からない人間が飲むのは失礼だと思っていた。実家の食器棚は大きかったので、たくさん置いていたが、またまた持っていくものを厳選しなければならなかった。結局5個くらい選んで、あとは、家族に任せようと思った。
家族がばらばらに暮らすことになって、4,5人用の土鍋や、焼き肉用の鉄板も捨てることになった。私は、その時一人暮らしの不安はあったが、ある意味楽しみでもあった。ほぼいらないものは捨てて身軽になったような気がしたからだ。新しい生活で、新しい調理器具を結構買った。だが、今ではスパゲティを茹でる大きな鍋とか、大きいボウルやホイッパー(泡だて器)、すりこぎなども使わずじまいで今までやってきた。使ってきたのは、おたまや木べら、菜箸、密封できるタッパーくらいだ。もちろん、まな板と包丁はもっている。意外と使うのがキッチンばさみで、これは便利で邪魔になりにくい。
私は、キャベツの千切りを包丁でそんなにうまく切れないので、最初から、スライサーを使っていたが、キャベツの食べ方が、サラダ以外に、ロールキャベツしか思い出せなかったので、サラダにキャベツを入れなくなってからスライサーも使わなくなった。
引っ越しの自分の部屋の家具で持っていったのは、ベッドとサイドテーブルと箪笥だけだった。意外といらないのが、テレビ台とかドレッサーだった、
洋服は、5年着なかったものは捨てる、化粧品も中途半端に残っていたものは、、流行がどんどん変わっていくので捨てる。
私が、狭い家に、いるかどうかで迷ったのが、スリッパだった。もちろん床暖房などない。
秋に引っ越したのもあり、フローリングの床は想像以上に冷たいので、私は、ユニクロのルームシューズ(スリッパとは書いていない)を秋冬で毎年はきつぶしている。スリッパも高いけれど、足の冷え性でもある私には必須である。
忘れていたが、書籍、漫画が大量にあったので、郵便局でゆうパック用の箱をもらってきて、大きな古書店に送料は相手もちで、大量に送ったが、これも大した値段にならなかった。漫画の中に「ドラえもん」45巻があったのだが、「ドラえもん」なのに、ついた値段は一冊1円だった。多分漫画を多く扱っている会社に送ったら、1円なんて値段はつかなかっただろう。
それから、父が持っていた何年も前の法律の書籍などは値段がつかなかったが、ひきとってもらえるだけでも有難いとこちらは思った。
あと、レコードを聴く機械もなかったので、レコードも売った。ビートルズとかあったからちょっとは高く売れるかと一瞬思ったが、ビートルズはスーパースターだったから、今でも持っている人が多そうなので、そんなに高く売れないだろうと思ったら。その通りだった。
そして、音楽系でいうと、父はカセットを持っていたが、聴く機械がなかったので、はじめは売りたがらなかったが、聴く機械がないことを切々と私が語ったら諦めて捨ててくれた。私は、MD世代だったので、これまた聴く機械がなかったので、捨てることにしたが、自分で好きな音楽を録音して聴いていた日々を思い、後ろ髪を引かれる思いで捨てた。
私には、小さい時に一緒に住んでいて遊んでもらった大好きな曾祖母がいて、105歳まで、認知症がありながらも最後は老衰で亡くなった。
その曾祖母が100歳になった時に、市から金盃をもらっていて、純金ではないだろうから、そんなに高く売れないだろうあなと思って質屋持って行ったら私の歯の矯正に充分役立ってくれる値がついた。
それから、父が学生の頃集めていた、昔の紙幣も銀行で変えてくれると初めて質屋に持っていった時に知って、変えてもらいにいった。父の古い紙幣は、そんなに古くなくて、銀行で変えてもらうほうがいいと質屋にアドバイスを受けて銀行に行った。
引っ越しして、これも必要なかったなと思ったのは、食器の大皿である。そこで、格好よくワンプレートディッシュみたに料理ができたらいいのだが、私の家では、子供のころから、おかずをそれぞれ、一人ずつ盛り付けたお椀やお皿にいれていたので、大きなお皿に食べ物が色々乗っている料理の盛り付けや料理それ自体何を作っていいのかわからなかったので、捨てることにした。
服や靴を捨てたら、残ったのは、洋服のカバーやハンガー、靴の半永久的に使える乾燥剤などだった。全部お金を出して購入したものだ。ハンガーとカバーは潔く捨てることにした。使わなくなったハンガーやカバーは洋服を捨てられた証で、気持ちがすっきりした。
鞄は、なかなか捨てられなかった。自転車の籠にポイっと入れられるくらいの値段のポケットいっぱいの機能性のある鞄や、足が悪いので杖を突いている時には、リュックを背負っているから、捨てられない。今捨てようかどうか迷っているのは、トートバッグだ。かわいいし、雨が降っているときにも使えるので、捨てるのに迷う。
あと、何年も使っていなくて、何かの景品でもらったエコバッグも判断に困る。せっかく無料でもらってもあまり入らないのもあるし、買ったエコバックもある。そうなると、やはりちゃんと選択して買ったエコバックは残しておきたい。
私は、今年一年洋服を買わないで過ごそうと思っている。下着と靴下は別として。これもどなたかが書いた書籍からの受け売りなのだが、増えないので自然と持っている洋服を着る回数が増え、どれだけ自分が洋服を持っているか認知できる。買わないと思ったら、お金が減らないと考えられて、なんだか気持ちが楽になる。もう、やっぱり買いたい、買わないという心の葛藤も終わった。
私は、1Kの家に住んでいるが、クローゼット以外に服を置いていたら、そこは部屋として使えない。毎月物置場にお金を払っていることになる。そのことに気が付いたから、洋服をかたずけられたんだと思う。年齢があがるにつれて、似合う色が変わったりもするので、おしゃれ好きさんには、1年、服を買わないのは寂しい。だが、デザイナーでもファッション関係者でもない人間には、アンミカのように白が何種類あるか、何年前の白かなんて分からない。正直、おしゃれって疲れる。でも、洋服を買うために働いたり、おしゃれの歴史を学ぶのも楽しい。今から断捨離する方は、今の時期の洋服を実際に着てみて、鏡の前に立って似合っていたら、残そう。そして少しでも違うと思ったら、捨てよう。
最後に断捨離は、本当は自分の持ち物しか手をつけてはいけないらしい。たとえ家族でも、思い出や趣味などが違うからだ。私はその点で、家族の断捨離もしてしまったので、そこは失敗かなと思ったが、時間がない時は、家族の背中を押さなければならない時もある。
父とは、父が持っている数本の爪切りで、喧嘩したことがある。一本でいいのに何本も持っていたからだ。
引っ越ししない方もこれからのいい季節に(4月ごろ)断捨離してみてはどうですか?