小学5年生の時の担任の先生がすごく変な先生で、ものすごく印象に残っています。
給食の時に一切しゃべることはだめですと言われ、思わず一言話した生徒はなんの躊躇もなく、びんたされていて、ものすごい恐怖を覚え、私は一切給食中にしゃべることをやめました。
その先生は、もともと美術の先生らしく、図工の時間にみんなで絵具で絵を描いたのですが、乾かすのに一日かかるということで、後ろの棚にみんな自分のその絵を置いていたのですが、次の日学校に行ったら複数の生徒の絵に落書きのような絵が重ね描きされていて、私はたまたまなにも描かれていなかったのですが、友達の絵には描かれていて、友達は泣いていました。
その先生は給食を残すことを一切許さない先生でしたが、自分は、堂々と残す先生でした。いまでは信じられないことですが、休憩時間に煙草を吸ったりもしていました。そんな先生だったので、私は、給食時間と昼休みに、食べきるまで、私を教室からださないという態度の担任の言うことなんて聞けなかったので、怒っていた担任の叫び声を無視して、給食室に自分の給食を持っていって捨てました。あとからわかったことですが、その担任は、きょうだいの下の教科書などを入れる台に、パンを入れていました。まるで、家で問題がある子などが、やっていたことをやっていました。捨てたいならちゃんとゴミ箱に捨てたらよかったのにと思いました。
その先生を私は嫌いになっていたので、座席が決まっているのに、よく休む子の隣りの席が仲のいい友達だったので、その席で授業を聞いていました。その担任は私の態度が気に入らなかったらしく、ちゃんと怒って私に納得させて元の席に座らせればいいのに、国語の時間などは、順番に音読させるのも私を飛ばして、全ての授業を私は無視されていました。。
ある時、担任の心代わりか、クラスでいじめられているっぽい子が、友達と給食時話せるようにと、席替えがありました。いじめられている子が、その時は分からなかったけれども、知的障害がある子で、恐らく、担任も分からなかったであろう、担任は自分をいいことをする先生を演じて満足していたのだろうと思います。
私はその時、同じグループの席に座らなかったので、実際にはどうなったかはわかりませんが。
あと。私もそんなにクラスに馴染めてなかったので、自分のために担任にそんなことされたらいやだなと思います。暴力や同級生からお金を取られたりしないかぎり、私は、逆に勉強を教えてくれたりしたほうがいいです。
いつも、シャリシャリいうジャージをきていたので、私はそれも嫌いになっていました。友達が入院した時も、入院証明書の紙の裏に落書きをしていて、信じられないと思いました。
小学3年生と4年生の時の担任の先生も変な先生でした。誰もやりたくないドッチボールを放課後させられて、しんどい目にあわされたり、キックベースをやらされたりして、私は、自分の得意な面を伸ばしてほしいと思いました。忘れ物をしたら、女子もパンツを下げてはたいていました。
給食の当番に当たった時に教室の後ろの台が汚れていたままだったら、給食当番の子の給食着を脱がせて、制服を着たまま袖を「こうやってきれいにするんや」と言って、その子の上着をつかんでむりやりふかせていました。
そのほか
なぜかは知りませんが、先生は教室に草鞋を持ってきて、1年くらい黒板の角に飾っていました。のちに草鞋が黒板から落ち、担任は草鞋の尾がはずれたことを、生徒の責任にしようとしました。草鞋だから一年もたてば外れてもおかしくないのにと私は思いましたが、先生は「誰が草鞋を外したおばけやろうなあ。先生の机に近づいたやつはお化けじゃなかったらだれやろうなあ。近づいた者は、後ろに立て。」と言って、放課後犯人捜しがはじまりました。草鞋は、先生の机のすぐそばに落ちていたので、クラスメイト全員毎日の宿題の絵日記を提出していたのですが、私も含めて、全員が先生の机に近づいているはずなのに、だれも草鞋に近づいたという生徒はでてこなかったので、私は当たり前だなと心の中で思わず笑ってしまいました。先生の机にくっつけて授業をしていたので、先生もこれは、先生の机に近づいたことにならないのかなと思いながら、早く帰りたいと思っていた時に、一人の女子生徒が泣きながら手を挙げて、教室の後ろに立って、「朝、絵日記を先生の机に提出したので、先生の机に近づきました。」と言ったら、先生は、草鞋をちぎったと言っていないのに、よし、分かったと言って帰っていいことになりました。多分、先生も含めクラス全員が、「あっ。」と思ったと思います。
その先生と私は、なぜか卒業した後も、切手収集の仲間として、先生が切手を私に送ってくれて、私が為替で切手代を払っていたという仲でいましたが、みんなが就職するころに一度食事をした時に、私が双極性障害で、働けなかったのにそれを知らなかった先生は、私に向かって「お前、ただ働きたくないんやろう。怠けてるだけやろ。」と笑いながら言ったので、年賀状のやり取りだけになりました。いまとなっては、なんの義理で今年まで、年賀状を送っていたのかわかりません。