いつも迷子になる夢を見る
デパートのエスカレーター越しにみる赤いワンピースが心裏腹、笑っているようだった
泣きじゃくって探すのは最初だけで,
何かに追われるように上へ上へと
長いエスカレーターを登っていく
長く余韻を残す夢もあるけれど、この夢はすっと消えていく、そんな夢
爪をかじってた、幼い頃。病気の予兆だと言われ、かじるのを止めた。
女の子の噂話あの子のこういうところが嫌なのよね。
耳をそばだてて聞いては自分はしないようにしようと行動指針を決めていた
理詰めで考えては結論を導き出し、迷いはなかった
してはいけないこととしてよいことはよく理解していた。
つまり善と悪については
聖書に答えが書かれていたから
大人びた形式、パターン化された言動は得意でも私に意思はなかった
欲しいものも特になかったし食べたいものもなかったただ、怯えていた
これはしてもよいことだろうか悪いことだろうか
本だけが私のぬめった心を掃除してくれた
現実と虚構の微睡。
幼い頃禁止されたものがある
暴力的なもの、卑猥なもの、悪霊的なもの
それらに触れてはならないと、考えてもならないと
でも本にはそれらがあふれていた、魔法に幽霊にモンスター、恋焦がれる主人公に殺人事件。
いけないご本を読むたびに
懺悔を繰り返した
恥の多い人生を送ってきました。そう語った文豪がいたっけな
私も恥をよく感じていたから彼の言葉が痛くて、優しかった
幼い頃に善悪を知ってしまうのは苦しいことだ
葛藤の連続に苛まれるからだ。出来ないことが恥で、幼子にとって試行錯誤をする前に答えを知っているというのは恐ろしいことだ
動けなくなる。ルソーも言っていた。
もし人間が赤子ではなく、大人の姿で生まれてくるとしたら、恐怖で一部も動けないだろうと。
悪い世との交わりは有益な習慣を損なうのです。ねえ神様。どう落とし前付けてくれる。
大人しすぎて薄気味悪い。
親戚のおばさんにそういわれても
心臓が一回ドクンと跳ねただけで
私は無表情だった
子供はよく理解している
今大人になって、子供を馬鹿にしたり、分からないだろうという馬鹿な大人たちを本当に軽蔑する
わたしが容姿を可愛いと言われる横で苦虫をかみつぶすあの子たちの泣いている心がどうしてわからないのだろうと
私は大人をじっと見つめるしかなかった
こええ日本人形みたい
それをたしなめてくれた優しいお姉さんはもういない。
私は伝える言葉を、尋ねる言葉を知らなすぎる
意思がないから。意思を持ってはいけなかったから。
教師は、大人は何もわかっちゃいない。
ただ笑いを求めるようになったけれど、やっぱり私には似合わないみたい
悲しそうに笑う私がたまらなく好きだと、あっこちゃんは言った。
道行くとき目に留まった人を話題にしたことがある人はどのくらいか、統計を取ってみたい
人生で一度はある人が10割と想定する
わたしは出歩くとき、その人の一度を、何十人と向けられるんだ
あなたにとってはたった一度かもしれない。
けれど、その一回をその他多勢から向けられるわたしの身にもなってほしい
目に留まりやすい人間は確かに存在する
布合わせ、コーディネートが好きなだけで見て欲しいわけじゃないのに
オシャレをしなければ眼鏡とマスクをすれば言われずに済むのも知ってる
でもそれはわたしではない。葛藤
だから私は自分の病名を葛藤症候群と名付ける
薬ばかり出す嫌な先生だったけど、当事者研究で自分で病名を付けてごらんと言われたんだそれは目から鱗だった
でも滲み出る悪意は消せてなかったね先生。葛藤症候群と言ったらそんなものは間違ってると言われた
最初に会ったのと本当に同じ先生だろうか。きっと空間が違ったんだ。
夢、縦横無尽に動くエレベーターに乗って、急降下したり行きたい行先に行けなくてもどかしかったり恐ろしかったりまるで私の人生みたい。ちぐはぐな感覚が付きまとう。
幼い頃見る夢はどれも恐ろしくて、なにか霊のようなものが玄関から入ってこようとドアをガタガタさせていて私は閉めだそうと上と下のカギをかけて、ロックチェーンを何度もかけ直すんだけどドアに隙間が空いて冷気が入り込んでくる。その時母が帰ってきてほっとしてドアを開けるんだけど違くてお母さんじゃなくてお父さんが怒って髪を掴んで外に放り投げるとそいつは妖艶に姿を変えた。
これは夢ではなくて幼い頃の記憶なんだけれど、車で山に新鮮な水を汲みに行ってたんだポリタンクを何個も持って、
でもその山道は細い一本道で対向車が通り抜けられるはずもないのにすり抜けた記憶がある。
入院中、私は魔女なの。そう言う女の子に出会った
私は信じるよ。
魔女はいる。あの老婆が一瞥しただけでペットショップの犬たちが眠るように死んだんだ。私は必死に犬たちに心の中で語り掛けたら犬たちの腹が胎動し、目が痙攣してドクンと鼓動が戻った。一匹一匹私は声をかけ続けたんだ。そのあと目を開けて私と遊んだ。足の動かない犬の後ろ足をなぜたら毛づやがよくなってピョンピョン飛び跳ねられるようになった。
幼い頃から本気で願って叶わないことは無かった。ずっと好きだった星野君。唯一小学校一年から中学三年までずっと同じクラスだった席順のくじ引きもいつも前後左右斜め近い席になり続けた。一度だけ離れた時があったけど、その時に限って先生は席替えを早めた。くじ引きも、当たる時は妙な自信があって当たるというと当たった。
私も魔女か?いや、人は元来、魔女なのだ。動物たちのように、第六感はある。
神の怒りを買い起こった、ノアの時代の大洪水。その引き金になった悪い天のみ使いと地上の女たちとの交雑とその間に生まれた粗暴な子。洪水によって一掃されたけれど、そのあとも子は生まれていたのかもしれない。
神のみ使いである霊者と人間の間のものが地球上には存在するのではないか。
引き寄せの法則も叶う者と叶わない者がいるのは、血の濃さが違うから。混ざりに混ざって性善説と性悪説があるが、どちらもいるのだろうそしてその中間の者もいて、善と悪のグラデーションが存在する
人は進化の途上にある。
電話機が電磁波を傍受し声を変換するなら、人がそれをできてもおかしくないのではないか?
人間の脳は働いていない部位が大半だというではないか。
イエス・キリストも確かに存在したのだろう。
イエスは人々に働きかけ自然治癒力を極限まで引き出す言葉の力を持っていたのではないか。
イエスが治したのは萎えた脚や悪霊に取り憑かれたもの目の見えないものライ病人死んだ人。
ほら。ね?細胞を活性化させれば治るものばかりだ
ついでに悪霊は存在する。それが死んだものの霊なのか、生き霊なのか、人とは別個の天の霊者なのかわからないけれど入院するまで声を聴いたことは無かったけれど、住み憑かれた彼らは独特の二重に響く声を持っていた。
そして人は、無数の霊を宿し束ねて一個の体を使って行動しているのだろうと思った。その自分という統率が揺らいだ時、霊に乗っ取られそれは別人格のようだけれども潜在意識の中には確かに存在していたその人自身であるのだろうだから、どんな彼も彼自身であるんだ。認知症になって人が変わってしまったとしてもそれは紛れもなくその人を形作るその人であるんだ