強く願うこともなくなった
誰かを恨むこともなく
俯瞰が私の棲むところとなった
なのに、なんで、
願い続けた平穏はこんなにもむなしい。
世界平和
神の世界で私は生きてきた
宣教師になるように。
それが私の道だった
だから人を知るために
苦手な分野の苦手な人が集まる大学を選んだ。
高校、私にはギャルの友達が何人かいた
親友だとも思っていた
けれど、先生に反抗する彼女たちが私は理解できなかった
言われたことをただやればいいだけなのに、授業をただ聞いてただ試験を受ければいいだけなのに
いうことを聞いていれば怒られることも内申に響くこともないのになぜ教師に受け入れられる努力をしないのか
道にポイ捨てもするし、この生き物は何なのだろう…
神の組織から配られた本には関わってはいけないと書かれる人種だった。けれど、
私はどうしようもなく離れ難かった。彼女たちの笑顔が、楽しい会話が、心地よかったから。
わたしは彼らを理解したいと思った。
どのみち宣教師になるんだ。彼らを導こう。
ギャルの集まるファッション系のFラン大学に志願書を出した
担任からは大学のランク票を見せられて今のおまえはSランクここ。ぐーーっと下に行って行こうとしてるのはここ分かる?って言われた
私は学歴で人を測れるものじゃないと思いますと真顔で答えた。
のちのち後悔することになるこの選択を私は有意義なものに今塗り替えたい経験の一ページとして。
底辺もてっぺんもどちらも見た
だから言う。
自分の領域が、人にはあって、それに当てはまらない環境にいるとき、何をしても苦しい目にあう
勉強をしろとは言わない、それがあなたの本質と合っているのであれば、それで未来が見えていて楽しいならば学歴はいらないかもしれない
ただ私は知ってしまった。エホバの組織を離れても倫理や愛や正義や理を、世界平和を笑わずに願う人たちが六大学や高学歴と言われる学校には一定数いること。エホバを離れても生き延びるには、私の居場所はそっちだったってこと。
「あなたのように未来を真剣に考えてる人が大学には沢山いるわ。大学に行きなさい。」
大学に行かないと言っていた私を六時間缶詰にして説得してくれた先生。あなたの言うことは半分正解で半分間違ってたよ。
答えは、「大学による。」
ツイッターで見つけたホームレス支援団体で、私は六大学の彼らに出会った。
ホームレスの生まれない社会にしよう!まずはホームレスさんたちを路上から救うんだ。
「今晩はー!!」授業終わり、缶コーヒーを持ってホームレスさんたちを訪ねる。
色んな話を聞いた。いろんな人がいた
元敏腕営業マン、自分探しを始めた元大学の教授、殺人犯、30代の人懐っこい若者、起業アイデアを抱えたまま夢見るおじさん。
階段を一段一段降りるようにホームレスになったと語った。止まってはいけないんだ。動き続けなければいけない。
高校数学の教科書を目をキラキラさせて読んでいるホームレスさん、彼は勉強ではなく、「学び」を知ったのだと思う。
彼らは決して自らを恥じてはいなかった。話せばみんな普通の近所のおじさんと変わらない。
プライドがあって、楽しくて、語れる経験があって、生き抜く力を持っていた
ホームレスさんを生活保護で路上から脱出させてもまた戻ってしまうことが割とある。
なぜか、彼らは、路上にいるとき、自立しているんだ。
コミュニティがあって、炊き出しの場を共有して毎朝家を畳んで歩き出す。生き生きとしていた。生きる実感にあふれていた。
生活保護をもらって、家をあてがわれても面倒を見られる側に回ることを彼らは良しとはしていない。
それに気づいたからか、3.11が起きたからか、ピースリンクは解散した。
私は教授からセクハラにあって辞めた教職課程を再び志した。ホームレスにならないためには子供たちに情報を与えなければいけない。情報の格差が、今の時代に於いてもある。だから教師になろうと。
結果的には取ったよ。大学では教授に嫌がらせをされてコースを変えさせられたり、クラスメイトからは助手の女の策略で嫉妬か何なのか省かれて頭に血がにじむくらい大変だった。大学まで片道約二時間。ボロボロだったストレッサー指数は800を超えた
スマホにカナヅチを振り落としてめきょめきょにしたこともあった。バイト先でも嫌がらせを受けた通りすがりのカップルの男が私をかわいいというから女が嫉妬してきて悪口をネットで書かれたりもした。人の気も知らないで、バカップルが。消えてくれまじで。電磁波の音に敏感になった。監視されてるそういって、夜、寒空のベランダに毛布を持って行って寝ていた。自殺しようとベランダにロープをたらしたら向かい側のマンションの女が死のうとしてるよって、嬉々としてスマホで録画しようとしてきて腹が立って辞めた。
母は母で家にいる間中父と姉の悪口をわたしに聞かせ続けた。中学虐められ、悪口が大嫌いだった私は茫然と飲み込まれて発狂する心を飲み込んでいた
その頃神の組織を離れた。何度願っても、神はわたしを見捨てたからだ
限界だった
美人可愛いと言われながら、人は私を受け入れてはくれない
可愛いねというと自分のが可愛いと思ってんでしょと嫌味を言われた。
「人は自分が心地よくいられる人と仲良くしたいと思うものだよ。」
そう姉に言われて、私に友達が出来ることは無いのかもしれないと絶望した
何を言ってもマウントだと言われて人より優れていることがこんなにも苦しくて惨めで孤独で痛いこの現実が苦しかった
油をなみなみとついだ鍋をコンロに乗せた。
煙が充満して何もかもが終わりになると安堵した
その矢先、隣のおじさんがベランダ伝いに入ってきた
警察官がわらわらとやってきて
その日着ていたお気に入りの緑色のワンピースはもう着れない。
私はいつ障害者になったのだろう。私のどこに障害者になる資質があったのだろう
私の経験を聞けばわかるよ
障碍者になる道は、誰にでも、可能性のある事なのだと
ちょっと裏路を通れば転がってる、ネズミを見つけるような確率で転がってるものだと。
そして言いたい、止まってはいけないのだと。
一息休もう、一息微睡もう、人生はまだまだ長くやり直しがきくのだから
そんな蜂蜜をなめてるうちに取り返しのつかない道にいることに気づく
支援者にあなたの人生の責任はない
責任がないから言えるんだ。頑張らなくていいよは、一見やさしさのようでいて、あなたには無理だ、期待しない、
もう土俵から降りなさい、次の人の為に。そう言ってるのと変わらない。
区役所のケースワーカーさんが言っていた。
悔しいと思えたら動き出せるサインだよ
悔しいと思うたびに動き出すたびに医者は薬を増やすあいつらは何なのだろう。
感情を持ってはいけないのか
大学生のころ人を説得することが得意だった時の私は、静かに強かった。自分の考えに確信があって穏やかにまっすぐに言葉を紡いだ。あの感覚で話せるようになればいいだけなのか。
二十歳の私の方がずっと大人だ
オール5を取った高校生の時、私は自分を正確に把握していた。
向き不向きも周りからの評価も過大評価することもなく過小評価もしていなかった。
積み上げた知識と経験から物事の善悪を知っていて、善を選ぶ力があった。闘うべき相手はいつも自分だと思っていた。
けれどそれが過去の栄光に切り替わった時、私はそれを過大評価し始めた
過去出来ていたことがあまりにも眩しくて
人を見下すことは自分を保とうとする弱い心が生むものだと誰が言ったか、弱い犬ほどよく吼える。
その通りだ。自分と戦い無心に努力し、結果を手にしている人は人を見下すことは無い。それは謙遜ではなく、ひとを馬鹿にする思想が生まれないのだ。
英語の試験が返却され一番だと私の名を告げられた時、ギリと私を睨みつけた二位のあの子。わたしは先生に名前を公表するのを控えるようにお願いした。知らなければ生まれない無駄な争いが生まれるから。あの子の心に平安がありますように。あの時、私はそっと神に祈った。
今思えばなんと穏やかな心だったろうと昔の私を崇敬したくなるほどだ。
そして、人は変わり続ける生き物だと思い知る
今の私にあの頃の余裕はない。苛立ち、微睡、声を荒げる。無様だ。
何が私をこんな風に変えてしまったのだろう
打ち込み、必死になる何かがなくなったからだろう。自分と戦う必要がなくなって、人と戦うようになってしまった。人と戦うと人の粗捜しをするようになる比べる心が生まれて、それこそ本当に相手より優位に立てる要素をわざわざ探してマウントを取りたがるようになるのだろう。
だから人には夢が必要なんだ。目標が必要なんだ。
人や自分を傷つけないために。
すべてのことは物語に出来、教訓にできる。そう思えたら生きることを楽しめる気がする。