今年の梅雨も、やはり静かに始まった。
駅前の花屋で、青い紫陽花を買った。六輪咲いていた。迷いなくそれを選んだのは、自分でも不思議だった。赤や紫の紫陽花もあったが、どうしてもこの「青」が良かった。
店主に「酸性の土なら青のままですよ」と言われた。だが、私は帰宅するなり、ローズマリーの鉢の横にその紫陽花を置き、根元にこっそりクエン酸を混ぜた。
赤くならないかと思ったのだ。
──青が嫌いなわけではない。ただ、赤い紫陽花が見たかった。それだけのことだった。
青の花弁は凛としていて、少し冷たかった。水彩のように滲んだ花びらの端に、どこか距離を感じた。だからこそ惹かれたのかもしれない。
数日後、紫陽花は静かに色を変え始めた。青と赤の狭間で、にじむような紫になったという夢を見た。
それはまるで、自分の感情そのものなのだろう。
はっきりと決められない。青にもなれず、赤にも染まれない。
どちらにもなれない、けれど両方を抱いている。
その曖昧さを嫌って、私はついに絵の具を持ち出した。
碧の絵の具を水に溶かし、花びらに染み込ませてみる。
不自然に色が乗った。けれど、しばらくすると紫陽花はまた、ゆっくりと紫に戻っていった。
まるで、「私は私」とでも言うように。
紫陽花は土を映す花だという。
ならば、私の中にあるこの揺らぎが、そのまま花の色になったのかもしれない。
今も窓辺で、六輪の紫陽花が揺れている。
紫がかった青。その中に、かすかに赤の気配。
もう、無理に色を変えようとは思わない。
青は鮮烈な匂いを放った。
それは血に近く、あるいは強い酒の酩酊にも似ていた。
白い紙に碧を塗りたくる。
チューブから直接ひねり出し、手で水をこすりつける。
筆では足りなかった。もっと直接に、もっと近くに──。
まるでアオイホノオだと思った。満足だった。
そのとき、紫陽花は静かに七夕に染まっていた。
今の時刻は個人的に令和七年七月七日19時59分である。


青い絵の具で塗りたくった絵