先日行ったカラオケ屋さんで、いつもだったら「ご本家」の前川清さんがうますぎるので歌うことを避けてきた、内山田洋とクール・ファイブの楽曲を、いくつか歌ってみた。
すると、どうだろう。
そのドラマチックなサウンド、歌詞、そして神戸……もとい、メロディーラインに、そこそこの広さのカラオケルームが、まるで異世界のようになってしまったのだった(ちょっと、大げさですけど…)。
これは一体、どういうことなのか。
普段、オリジナルを聴いている時の没入感も、まさにハンパないのだが、素人が歌っても、その空間がなんだかものすごいことになるとは。
これは一度、しっかり考えてみる必要がありそうなので、私はこうして今、この一文に取りかかっているというわけだ。
クール・ファイブのサウンドが、リスナーの魂を惹き付けるポイントとは。
前川清の前のめりなヴォーカル、控え目に支えるメンバーのコーラス、そしてタイトかつゴージャスなバックのサウンド……。
そういったさまざまな要素が複雑にからみ合って、ひとつの異世界を形成している。
今ではその世界は手軽に楽しめるようになっており、サブスクでも『シングル・コレクション 1969~1974』『シングル・コレクション 1974~1980』が配信中だ。
このうちの『1969~1974』の、とりわけ前半部分に凝縮されたクール・ファイブの魅力について、語ってみたいと思う。
なお、ビートルズの公式ベスト、通称「赤盤」「青盤」も、タイトルに西暦が記されているが、ビートルズの場合、それがメジャーでの活動期間を示しているのに対して、ここでのクール・ファイブの場合は「このアルバムで配信されているシングル曲の発売時期」を意味していて、1980年以降も数年間、前川清さんの完全独立まで、クール・ファイブは同一のメンバーで活動を続け、注目すべきシングルも数多くリリースしていた。
実際のところ、前川さんは80年代に入るとクール・ファイブの活動と並行してソロ・シンガーとしての活動も始めていて、その末期には「前川さんのソロ曲が、クール・ファイブのベスト盤に収録される」など、いささか複雑な状況になっていたこともあり、今回の配信リリースでは1980年途中のシングルまでで区切った、ということなのかもしれない。
この2組の配信アルバム、ちょっとややこしい構成になっていて、『1969~1974』では「長崎は今日も雨だった」から「雨のしのび逢い」までが発売順のシングルA面曲、それ以降の「涙こがした恋」からはシングルB面曲からのセレクション(この「涙こがした恋」のほか、クール・ファイブという名を体現した、まさにクールなコーラス・ワークが堪能できる「捨ててやりたい」、コンパクトにうまくまとまった「夜毎の誘惑」、80年代に入ってから新たなアレンジを得てシングルA面でリリースされた楽曲のオリジナル版「恋は終ったの」などが聴きどころ)。『1974~1980』では「晩夏」から「Last Song」までが発売順のシングルA面曲、それ以降の「悲恋長崎」からはシングルB面曲からのセレクション、といった塩梅となっている。
それらのシングルB面曲もそれぞれに隠れた名曲ありやっつけ仕事あり(失礼!)で、なかなかに楽しめる(特に『1974~1980』のシングルB面曲には、筒美京平さん作曲で軽いタッチの「涙はやめて」(A面は超名曲「さようならの彼方へ」)、色恋抜きで少年時代を回想する内容の「少年」など、聴きものが少なくない)。
さて。
本稿で特にプッシュしたいクール・ファイブの楽曲群といえば、やはり『1969~1974』の、それも「長崎は今日も雨だった」に始まる部分……ではなく、“幻の紅白歌唱曲”となった「港の別れ唄」から「そして、神戸」などへとつながってゆくあたりである。
もちろん「長崎は今日も雨だった」に始まる、初期の一連の楽曲は、クール・ファイブを理解する上で“基本の「キ」”のようなもので、押さえておく必要性でいうと「マスト」だ。
ただ、出す曲出す曲、徹底的に魂が込められている、という点においては、この「港の別れ唄」「悲恋」「この愛に生きて」「恋唄」「そして、神戸」「男泣き」「出船」の7曲、まったくハズレがない(「出船」の次の「海鳥の鳴く日に」を外したのに他意はない。これもいい曲だが、ここまで含めるとその次の、いい味出しすぎた洋楽カバー「イエスタデイ・ワンス・モア」のことまで語らねばならない。それはそれで、また別の機会に)。
セールス的にもヒットが続き、グループのキャリアの中でも最も充実していた時期かもしれない。ただこの時期を含むおよそ2年間、クール・ファイブは紅白に出場していない。というのも、1971(昭和46)年の紅白の際、前川さんが体調不良のため出演できず、前川さん以外のクール・ファイブのメンバーをバックに、当時前川さんと結婚していた故・藤圭子さん(言うまでもなく、宇多田ヒカルさんのお母さんです)が、前川さんの代わりに「港の別れ唄」をワンコーラス歌う、という出来事があり、その後2年間のクール・ファイブの紅白不選出は、この出来事が尾を引いたのではないか、とも推察されるのだ。
それはさておき、その「港の別れ唄」から「出船」までの7曲の魅力というか魔力について、これ以降は語って行きたいと思う。(後編につづく)