私が、国指定難病の特発性大腿骨頭壊死症になったのは、2年前。最初は、膝がなんとなく痛くて、近所の整形外科に行って、特に異常はないと言われ、病院で膝を温めてもらうだけが、何回か続いた。だが、痛さがどんどんひどくなり、治らなかったので、ベッドがある大きな病院に行って、MRIをうけたら、「うちでは治せません。大きな病院を紹介します。」といわれ大学病院を紹介された。膝の痛さがピークに達していた。大腿骨頭壊死症なので、痛いところが違うんじゃないかと思う人もいるかもしれないが、大腿骨をかばって歩いていたので、膝が痛かったのだ。あまりにも痛くて、コルセットを作ってもらったが、2万円もして、びっくりしたのと、これからの治療にどれだけお金がかかるのだろうと不安になった。大学病院で、初めて国指定の難病ですよと言われ、大学病院の相談室で、指定難病の受給者証の入手にかかる手続きをケースワーカーの人に手伝ってもらってやった。何回か大学病院に通っているうち、歩くのが困難になってきて、主治医が手術するか?と言われたのでこの痛みから逃れることができるのなら、手術しますと言った。入院前に、リハビリ用の靴を買い、どれだけ入院するのか分からなかったので、スーツケースも買った。その後ヘルパーさんが週2回うちにきていたが、インターフォンが鳴ってもオートロックのアパートだったので、外から門が開けられず、狭い部屋の中、立ち上がれなくて、はいつくばっていて、何回もインターフォンにたどりつけなかった。なので、ヘルパーさんには、すごく心配をおかけした。
8月には日射病になり、救急車にきてもらったが、名前も知らない遠い病院に運ばれて、血液検査と点滴をされて帰されたが、その病院がどこなのか分からず、タクシーを呼んだがどこのタクシー会社も出払っていた。それで、最寄り駅を病院の事務の人に聞いて、なんとか駅はみつかったが、どこ行きなのか分からなかったので、近くにいたおじさんに聞いたら、近くまで自分も行くから、一緒に行こうと言ってくださり、自分の家の最寄り駅まで帰ってこれたが、また、日射病になるんじゃないかと思うくらい暑い中徒歩で20分以上かけて家に帰った。
9月頃から鬱がひどくて、スーパーに行った帰り、車にひかれて、かすり傷だったが、救急車で、のちに手術をした大学病院に連れていかれた。帰りは、当然歩いて帰らなくてはいけなくて、汗をだらだらかきながら、足をひきずってかえることになった。私はついていないなと思った。焦っていた自分も悪いが、悪いことは続く。
手術は、10月の時点で、12月にしましょうと決まった。その頃精神面の薬を飲んでいなくて、双極性障害の症状がでていて、毎日鬱々していた。近所のスーパーにも行けず訪問看護も月1回の来訪だったのに最後のほうは、週3回きてもらっていた。その頃は、杖もなかったし、車椅子も借りてなかったので、大学病院の帰りが夜遅くなり、待合タクシーもなく、友人に車で迎えに来てもらい、家の近くで車が入れないところは、友人の肩をかしてもらって、家まで帰ったりした。
食欲もなくなり、夜も眠られくなくなり、11月には、それまで通っていた精神病院に入院することになった。
精神科は何回か入院したことがあったが、車いす生活で、娯楽もなかったし、手術前で安静にしていなくてはならなかったが、シャワーだけは浴びることができた。しかし、食後の薬を食事中に飲まされたり、食事を10分くらいで食べた?と介護士や看護師に聞きにこられ、食べていないと嫌な顔をされた。顔を洗うのも朝晩洗わせてもらえなくて、お手洗いに1日一回朝か夕方かのどちらかにしか、車椅子にのって押してもらっていくことができなかった。忙しいと言ってどっちかに(朝か夕方か)してと言われた。あと、看護師に聞くまで知らなかったのだが、お茶は、1日に毎食1回、コップに一杯ずつしか飲ませてもらえなかった。私が無理矢理飲もうとしたら、男性看護師が、お茶を飲みすぎる人がいるから1日3杯と決まっているんです、飲みすぎると体によくないのでという理由を言ったので私も一応そういう理由を作っているなら仕方がないなと思い、それからは、沢山の薬を服用していて、喉は乾いたが、看護師の言う通りにした。他の看護師や介護士は理由を言わず、飲んじゃだめの繰り返しだったので、面倒くさがらずちゃんと理由を言ってくれたら、すんなり解決するのにと思った。歳をとるとなかなか喉が渇きにくく感じるかか、他の患者は、飲んでは駄目と言われて、それで納得しているようで、私が、やかんのお茶をいれようとしたら、看護師に大声でお茶を飲もうとしている人がいると、叫ばれてしまった。みんなおばあさんだから認知症なのかなと思った。私は、食事をするとき結構な水分を摂らないとごはんが食べられないので、普段は一日3ℓくらい飲んでいるのに、よく病院で、我慢できたなと思う。
11月の後半になり、手術日が決まり大学病院に転院することになった。
大学病院には介護タクシーで行かなければいけなくて、車に車椅子のまま乗って、病院に行った。入院の手続きをする場所まで、タクシーの運転主さんに車いすを押してもらわなくてはいけなかった。入院直前の検査で、病院中を回らなければいけない時は、院内で車椅子を借りて、自分で車椅子を動かせないので、事務の人に車いすを押してもらったが、血液検査室までしか車椅子を押せませんと言われて、困っていたら、血液検査室の担当の人が、次の検査する場所に連れていってくれて、その検査が終わったら、担当の人に「ここまで(車椅子で)どうやってきたん?」と言われたので、病院の方にお願いして押してもらってきました(とリレーみたいに押してもらってきた)と言ったら、暫くしたら、整形外科の看護助手の女性が着て、その後は、その女性に押してもらえることができて、無事に全ての検査がを終えた.