病室が変わって、70代のおばあさん達と杖を突きながら集まって話をするようになった。
お風呂に入ったあと、ドライヤーを貸してくれたり、お見舞いの方からもらったお菓子をおすそ分けしてくれたりした。北側の部屋で、北側は寒く、ヒートテックシャツと薄い長袖のTシャツしか持っていなかったので、すごく寒かった。違う部屋の人で、自分と同年代の女性が一人いて、その人も私達の部屋に入ってきて話すようになった。その人が退院するときに、みんなで、LINEを交換した。彼女がいなければ、私も含めてみんなどうやって、LINEの交換をするか分からなくて、そのままお別れになったであろう。その後私をいれた3人で、退院後、会って食事をしたが、それきりになってしまった。いろいろ制限されたところで、仲良くなったのだから、もとに戻っただけかなと感じた。
一番しんどかったリハビリは、階段を上ることだった。高さが20センチあると、降りるのによろけた。この病院の売りは、365日リハビリがあることだったが、三が日は、毎日2回で、40分より少ないときもあった。担当の作業療法士さんは、結婚していたので、家族がいる人優先で3日間お休みだった。
担当の理学療法士の人は、26歳くらいで、病院ではもうベテラン感が出ていた。ゴルフを職場の同僚と行くのが今の趣味だと言っていた。最近の若い人は、ゴルフを職場の同僚とすることに、年齢のギャップを感じた。
看護師の中で、変わった人がいて、自らヴァイオリンとクラッシックバレエを習っていて、だからスタイルがいいのよとか、今習っているこの曲、スマホで調べて聴いてとか言ってくる人がいて、私の年齢も手首に巻いているリストバンドバンドに生年月日が書いてあるのに、聞いてきてちょっと痛い人だなと思った。この人は、入院直後すぐに私をお風呂に入れようとした看護師だ。
思い返すと嫌なこともちょっと笑ってしまうことも、寂しいと思うこともあった。一番印象に残っているのは、私が、あるアウトドアブランドのTシャツを着ていて、3枚しかなかったから、リハビリの皆さんは、登山するんですか?とまずはじめに聞いてきたことだ。お風呂に入る時、監視されていた時は、ユニクロの下着を着ていたので、危なかった、また下着まで着ていると言われるところだったと冷や汗をかくこともあった。
今まで何回も入院をしてきたが、合わせて5か月も入院生活を送ったのは、初めてだった。いつも自分は体の病気にはならないだろうと思っていた。精神面で病気になって、肉体的にも病気になるのはひど過ぎると思った。家族にも見放されたと思っていたので、ヘルパーさんや訪問看護の方々には、大変お世話になり、感謝している。そして、自分も頑張ったと思う。看護師さんや介護士さんの小話はいろいろあるけれど、大変な職業で、神様じゃないのだから、ここは黙っておこう。
退院時、同室の人が、1階まで降りてきて私を見送ってくれた。タクシー代は、2000円ちょっとだった。家に着くまで、いくらになるかドキドキしていたので、ほっとしたのと、え?こんなに安いの?という思いの両方だった。
退院して、2年近くたつが、まだ私は歩くのに、びっこをひいていて、長い距離だと、杖を突いて歩いている。リハビリをこれからも続けなければならないが、やっていこうと思う。身体障碍者の気持ちも分かったし、弱いものに優しい国になるよう自分も尽力していきたいと思う。