内山田洋とクール・ファイブ~華麗なる漆黒の世界へようこそ(後編)

前川清さんがボーカリストとして在籍し、歌謡コーラスグループとして一時代を築いた、内山田洋とクール・ファイブ。

その軌跡(後期の一部を除く)を概観できる配信アルバム『シングル・コレクション 1969~1974』『シングル・コレクション 1974~1980』、そのうちの『1969~1974』に収められている「港の別れ唄」「悲恋」「この愛に生きて」「恋唄」「そして、神戸」「男泣き」「出船」の7曲に、本稿ではあえて絞り込み、その魅力=魔力について、順不同で語らせていただきたい。

まず思うのはこの7曲、決してBGMにはなり得ない、ということ。

その衝撃のデビュー曲「長崎は今日も雨だった」に始まり、以下「逢わずに愛して」「愛の旅路を」といった一連の初期ナンバーは、一定のインパクトを持ちながらも耳に心地よく、右から左、左から右……どちらでもいいのだが、とにかく通り抜けてゆく感じ。

それにひきかえ、本稿のメインである7曲は、たとえば「長崎は今日も雨だった」のように、スーッと抜けて行ってはくれない。

脳内にとことん留まって、集中することを、静かにそっと要求してくる。

そこに展開されているのは、のっぴきならない、ギリギリのところで愛し合い時に別れてゆく、ふたりの物語。

そのアレンジは時に壮大であり(「悲恋」「出船」)、時にロックであったりさえする(「この愛に生きて」「そして、神戸」。特に「そして、神戸」は、楽曲そのものがもはやロックである)。

たとえば「そして、神戸」の場合は、燃やし尽くした愛が終わった、いわば焼け野原のような心を抱えたヒロインが、意味不明な、あるいは理不尽なことを行なう、というのがベーシックな「動き」で、あとはヒロインの心情で歌詞の大部分が埋め尽くされている。

歌謡曲・演歌の歌詞としては非常に珍しい、破壊衝動(「こんなギターは叩き割りたい」、といった歌詞を持つ歌があったりして、決して皆無ではないが)。

にごり水の中に(おそらく)自分の靴を投げ落とし、その足(おそらくは裸足)で、目についた名もない花を踏みにじる。

このヒロイン、それでどうするかというと、夢の続きを見せてくれる相手を探すとか、誰かうまい嘘のつける相手を探すとか、もはや捨て鉢なのである。

これをロック、否、パンキッシュと呼ばずして、何と呼ぼうか。

しかし後に、この捨て鉢さ加減が、震災に見舞われた神戸の人々の心をとらえた。

まさかと思われるかもしれないが、このロックでパンクで捨て鉢な「そして、神戸」は、被災された人々の魂を鼓舞する歌となったのだ。この曲名は震災当時、現地に設立されたNPO法人の名前にも用いられたほどである。

「そして、神戸」は楽曲のもつスピリットそのものがロックを感じさせるとすれば、「この愛に生きて」はバックのサウンドそのものが、かなりロックしていると言える。

冒頭からギンギンのファズギターとストリングスが共鳴し、そこへコーラスが入り込み、加えて風雲急を告げるかのようにドラムスそしてベースが鳴り響いたところへ前川さんのボーカルが登場し、愛し合うふたりの間の、切迫した状況をリスナーに伝えるのだ。

“幻の紅白歌唱曲”となった「港の別れ唄」は、これら7曲の中では比較的シンプルな造りになっている。それでも、登場するふたりの間にあるギリギリな切実感は、胸に迫るものがある。

ちなみに、クール・ファイブの各メンバーはその多くが作詞や作曲を手がけることがあり、この「港の別れ唄」もリーダーであった内山田洋さんの作曲である。

こういった中で、「男泣き」はクール・ファイブ、ひいては歌謡曲の中でもやや異色の楽曲といえるだろう。

曲調そのものは「噂の女」以来、定期的に楽曲を提供していた猪俣公章さんらしい、かなりドメスティックな(=演歌色の濃い)ものではあるが、何事かがあってギリギリの状況に置かれ、住む町を離れざるを得なくなった男の心情を切々と歌う、色恋抜きの(少なくとも、直接的な描写はない)歌詞が、少なくとも70年代以降の歌謡曲・演歌としては画期的ともいえる。

その「男泣き」にも共通して言えることだが、主人公、また時にその愛する人物の置かれた状況が、まさにギリギリであり、それゆえ別れざるを得ない、あるいは、それでもなお愛さずにはいられない(「男泣き」の場合、町を離れざるを得ない)といった心情を、歌詞もメロディーもサウンドもコーラスも、そしてもちろん前川さんのボーカルも、一丸となって全力で表現している。

その熱さ、本気さ加減が、リスナーの心の奥深いところを突いてくるのではないだろうか。

潮騒、カモメの鳴き声。そして重厚なティンパニーと共に始まる「出船」は、何があったのかはさておき、船でこの国を離れようとする男と、港でその男を見送る、愛の日々を過ごした女性との別れを描く、これ以上ないほどにドラマチックな楽曲である(後に、空港を舞台にした男女逆転版「さようならの彼方へ」が、この「出船」の詞も手がけた千家和也さんの作詞(作曲は筒美京平さん)でリリースされている。「そして、神戸」「男泣き」も千家さんの作詞)。

昔から「船の別れ」とは何ともセンチメンタルなもので、ひとつだけ他に例を挙げるなら吉田拓郎さんの「落陽」(「苫小牧発、仙台行きフェリー」のフレーズでおなじみ、旅情が胸に迫る秀作)があるが、この「出船」は「船の別れ」そのもの、ワン・シチュエーションに、船上の男の視点を通して哀切極まりない男女の心情を描いてゆく。

名作映画『ひまわり』のラストを連想させる、聴き手を突き放すかのようなエンディングまで、息もつかせない1曲である。

これが、やはりただ事ならぬティンパニーの響きと共に幕を開ける「悲恋」になると、描かれるのは「別れ」そのものになり、絶望に打ちひしがれた女性の想いが、「あぁ…今さらどうにもならないわ」と歌い出す前川さんの熱いボーカルを通して、ダイレクトに伝わってくる。エンディング部分、最後のコードがそれまでのマイナー(短調)からメジャー(長調)に変化するのは(この曲には関わっていないが、昭和のヒットメーカー・いずみたくさんの得意技でもある)、この「悲恋」のヒロインに対する、ひとかけらの救いであろうか。

そして、「恋唄」が残った。

「この愛に生きて」も手がけた阿久悠さんの作詞によるこの楽曲は、前川さんのソロ、そして内山田さん亡き後に再結成されたクール・ファイブによって複数回リメイクされている、名曲中の名曲である。

歌われているのは「別れの情景、そして主人公の哀しくも熱くたぎる心情」だが、この「恋唄」の不思議なところは、主人公の性別がやや判然としないところで、去るのも、見送るのも(女性のような気がしないでもないが)、どちらがどちらなのか、何十回聴いてもよくわからない。おそらく阿久さんは、そこは聴き手の想像力に委ねることにしたのだろう。

その結果、そこに深い感動が生まれた。

確かに「恋唄」という楽曲そのものは、意表を突くほどにあっけなく終わってゆくのだが、聴き手はその分余計に登場人物たちの「物語のつづき」に思いをはせることになるのだ。

クール・ファイブについて何の予備知識も持たない人が聴いた時に、ここまで語ってきた7曲中、おそらく最も感情移入しやすいのは、この「恋唄」なのではないだろうか(ある著名な女性音楽評論家の方が「失恋して辛かった時期、クール・ファイブの『恋唄』の世界に浸りきっていた」と回顧されていたのも思い出される)。

さて、ここまで、ある時期にクール・ファイブがたて続けに放ったシングル7曲の魅力=魔力、について語ろうと試みはしたものの、楽曲そのものが持つパワー、そしてインパクトにどこまで迫れたかは、自分でもはなはだ疑問である。

とはいえそれは、これら7曲の持つ磁場がとてつもなく強いことの証しでもあるのだろう。

まぁぶっちゃけてしまえば、やはり実際にお聴きいただくのが一番……と言ってしまうとそこで試合終了なので、ここはやはり素直に「先生!クール・ファイブが聴きたいです」と言っておくことにしよう。

………ところで「先生」って、誰?

(おわり)

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しんのすけ1965

昭和歌謡などの音楽以外にも、さまざまに興味を持っています。そういったあたりも、どしどし出していけたらいいなぁ………なんて、思っております。

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