自戒。ペンは剣よりも強い。自分自身と、他者の権利を尊重する姿勢をとりたい。
記事を書かせていただくに当たり、上記のことを宣誓したいと思います。
私は、小学校高学年の頃から、しばらく長い間、小説家になるのが夢でした。中学生の時も、弁論大会の原稿で、夢を高らかに宣言しました。
社会人になり、そのことを追求し続けることはなくなりましたが、私の中に眠る、小さな夢、願いの一つです。ほそぼそ、とぼとぼ、なんとか書き続けている日記や物語は、今まで私を他者から見て作家にはしませんでしたが、私を支えてくれる、大きな力になりました。
今、私の心の中には、文章を書かせて頂ける喜びと緊張感と共に、悲しみや怒り、苦しみ、痛みが沢山沢山あります。人生の中で体感させてい頂いた、大切な感情です。
それらを表出させ、向き合うことも、大切なことではあります。あるいは、セラピーにもつながるでしょう。しかしそれには(も)、リスクが伴います。
インターネットの、いつ聴いたかも定かではない情報ですが(多分ここ15年以内)、「創作する、自分の作品の内容に、作家が心が飲み込まれ、それが体にも影響してしまうということは、多々あることです。」という言葉を耳にした事がありました。私は、それはとても信憑性があると思いました。いくつか実例と思える現象を知っていますが、ここにあげることは控えます。
自分の書いているもの、作り出そうとするものを、できる限り明るい、ポジティブなものにしようとすることで、自分自身の健康を、少しでも維持(願わくは向上)できたらと願います。
また、1度書いたことは、永遠にネットの中に残り続けるような気がしています。(ポジティブに捉えれば、昔さよならしてしまった膨大な自分のホームページやゲームのデータとも、再会が出来るかもしれません!)
今、社会生活へ復帰しようと一歩、二歩、踏み出す課程で、わたしにできる一つは、良いものを残そうとする努力です。
ただ、課題は、人間は自分の力で善いものを作ろうと願っても、全然うまくいかないことが、沢山ある、ということです。自分では最高傑作のつもりでいても、角度を変えたら、空から見たら、10年先から見たら、全然違って見えることが沢山沢山あるわけです。
なので、完璧も目指さない。
私は、子どもの頃から、非常なる完璧主義者です。
そうなるだけの、子どもの心の心理学的な理由がきちんとあることを、ようやく最近、少しずつ知り、受容し始めてきました。
ですから、出来るだけ正直に、楽しんで、無理をすることなく、誠実に、自分と、記事制作と向かい合えたらと願っています。