
道を行く
朝もやの中
見つけたのは
どこかに続く一本道
誰かの辿った道だ
高校生の私に、医師は言った。
三十になる頃には自分が誰なのかも訳が分からなくなるよ
だから、一つ一つ確認するようになった。言葉、感情、態度、手にしているもの、目に留まったもの、発するもの、
すべて意識した。なぜ私はそれを見、それを意識に留めているのか、そう、脅迫なまでに考えた。医師の言葉が私をそうしたのだ。
大学生の終わり、明け方見る夢をコントロールできるようになった
幼い頃見る夢はいつも何かに怯えてて責め立てられてて逃げ惑う、恐ろしい夢しか見なかったけれど、
怖い夢も出口を見つけるように自分を救う夢に変えることが出来た
意識すればカラー映像は救いの画面を映し出すようになった
夢が心地よくて夢の微睡の中にい続けたくなった
人は意識すれば変われる。
障碍者も変われる
幼い頃、冒険ファンタジーが大好きだった
障碍者の道とは奇跡を目の当たりにできる近道なだけかもしれない
もちろん辿り着けない冒険者もいる飽和状態のこの世界で唯一残った未知の冒険の旅のようなものかもしれない
少なくとも、幼い私はそう認知したのだ
だからもう冒険の旅を終えようと思う
普通でいること、主人公ではないけれど、主体的でいれること、一日を自分で切り開けること
私はそのことに気づいたから社会の歯車になることを陳腐だとは思わない。受け身に待つのは辞めよう自分で自分の舵を取るんだ。
脅迫的に自分を律することもなくなった。昔からの人はいう。おだやかな表情になったねと
あとはこの気づきを理解しようとしない医療関係者をどう説得するかを考えている
これは私に与えられた課題であって、薬に依存したがる社会への挑戦の切符だ