不思議に思うことがある
「発想」はどこから生まれてくるのか
大学生のころ知識のないところにアイデアは生まれないと教わった
ならば今私は知識不足ということか
本を読む。繰り返し、何度も何度も。
けれど、最初に読んだ時にわらわらと浮かんでくる思想は二度目にはない。
あれは何なのか。
もやもやと考えに耽っていて、答えが見つかって、それを人に話した途端、その疑問はもう覚えていない。
あれはいったい、何なのだろう。
高校生の時、試験勉強中、ゾーンを経験した。
一度読んだ文章や問がそっくりそのまま記憶に納まる様はスッキリとくっきりと、するすると、
脳番地、そう表現した教授がいたが、なるほど、AI搭載の車が自分の家を知っていてあるべき車庫に入っていくように脳の番地に収まっていくみたいだった
けれども、そう、何度もあるものではなく、その経験をしてしまってから私は地道な努力をないがしろにしてしまった。
数年後、
記憶の引き出し方が弱くなる
そういう病気だとどこかの本に書いてあった。
確かにある時の英語の授業では会話を覚えてペアで先生の前で繰り返す時、相方には苦労を掛けた。
解決策はある。
緊張状態から脱出すること。頭を使う運動をすること。
森谷先生のレクリエーションコミュニケーションスポーツという授業を受けた後、頭の回転がすこぶるよくなった。
内容は少し凝った小学生の遊びのようなもので誰でもできる。体育館の壁の端に辿り着く前に相手にタッチされないようにするとか両手を繋いだままフラフープの輪を全員で潜り抜けるとか。ハンカチ落としの進化版とか変わったルールのじゃんけんとかじゃんけんに合わせたポーズを取ったり13年経ってもおぼろげに覚えている。
この運動の後言葉がするすると出てくるのを経験した。
そうやって、治るのだから障害とは言えないだろう。
にも関わらず薬でどうにかしようとする医者は愚かだ。
医療を分野ごとに細分化するから視野が狭まってこんなことが起こる。
記憶の引き出し、つまりは発想する力の問題だろう?
解決する方法を私は知っている。
思考力が鈍ったら、思考したいと意識すること、リラックス、脳番地を広げる感覚を持つこと、運動をすること、人と話すこと、あとは栄養を摂ること、本を読むこと、
これらを同時にできると良い。だから上記のうち5つを同時にしたレクリエーションコミュニケーションスポーツは効いたのだろう。
