花言葉
タマネギの花言葉は「不死(不滅)」と「永遠」です。
これは、タマネギのたくましい生命力や生育力、そして古代エジプトではミイラ作りに用いられた歴史があります。また、何層にも重なるタマネギの姿が「永遠」を象徴することにも関係しています。
由来
不死・不滅
生命力の象徴として、どんな環境でも育つタマネギのたくましい生命力からきています。
古代エジプトでは、ミイラ作りに使用され、不老不死の象徴とされていたのです。
永遠
タマネギが何枚もの皮に包まれており、その姿が終わりなく続く様子から、永遠の象徴とされています。
古くから薬効(やっこう)があるとされ、生命力や回復力の象徴としても捉えられてきました。
歴史
タマネギは古代エジプトのピラミッド建設に利用され、その薬効が知られていた他、中世ヨーロッパでは魔除けとされていました。
日本への伝来は江戸時代に南蛮船によってもたらされたとされていますが、本格的に栽培が始まったのは明治時代に入ってからです。
北海道と関西(泉州)から導入され、栽培技術が発展し、主要な産地が形成されました。
古代~中世ヨーロッパでの利用
古代エジプト
ピラミッド建設労働者のエネルギー源として与えられたり、報酬として支払われたりしたと言う説があります。
また、雑菌・防腐効果からミイラの体内に詰められたと言うせつもあります。
旧約聖書・千夜一夜物語
タマネギの摂取が記されています。
中世ヨーロッパ
ペストが流行した際、タマネギやニンニクが伝染病を免(まぬが)れると信じられ、魔よけとして広まりました。
日本への伝来と明治以降の栽培開始
伝来時期
江戸時代、南蛮船によって日本に伝えられたと言われています。
本格的な栽培の始まり
明治時代にアメリカから持ち込まれた種子が北海道と関西に導入されたことはきっかけになりました。
北海道の導入
明治4年(1871年)に札幌官園で試作され、ブルックス農学博士の指導のもと栽培が開始されました。この試みが、のちの「札幌黄ブランドにつながりました。
関西での導入
明治時代に神戸の外国人居留地(きょりゅうち)から種子を得た泉州(現在の大阪府南部)の農家が栽培を始めました。
泉州での技術改良や気象・土壌条件の良さから、栽培が発展しました。
淡路島での導入
始まり
明治21年(1888年)に旧賀集村(現在の南あわじ市)で試作が行われたのが、淡路島における
タマネギの栽培が始まりです。
拡大
大正時代に入ると、淡路島南部の三原平野を中心に栽培規模が拡大し、戦後には品種改良と栽培技術の向上により、昭和39年(1964年)には全国屈指の大産地となったのです。
栽培環境
日照時間
日照時間が長く、よりタマネギの甘さを引き出します。
土壌
海のミネラルを豊富に含んだ肥沃(ひよく)土壌は水はけが良く、余分な水分がタマネギに吸収されずに、糖分や栄養分が凝縮されます。
品質
この環境により、甘みが非常に強く、やわらかく水分が豊富で辛みが少ないのが特徴的です。
ブランド化
淡路島玉ねぎは全国的なブランドとなり、淡路玉葱商業協同組合も設立されるなど、地域を代表する特産品となります。