ストーリー
太平洋戦争末期の1944年、南国の美しい島・ペリリュー島。そこに21歳の日本軍兵士・田丸はいた。
漫画家志望の田丸は、その才を買われ、特別な任務を命じられる。それは亡くなった仲間の最後の勇姿を遺族に向けて書き残す「功績係」という仕事だった。
9月15日、米軍におけるペリリュー島攻撃始まる。襲い掛かるのは4万人以上の米軍の精鋭たち。対する日本軍は1万人弱。繰り返さ絵られる砲爆撃に鳴りやまない銃声、脳裏にこびりついてはなれない兵士たちの悲痛な叫び。
隣にいた仲間が一瞬で亡くなり、いつ死ぬかわからない極限状態の中で耐えがたい飢えや渇き、伝染病にも襲われる。玉砕すらも禁じられ、苦し紛れの時間稼ぎで満身創痍のまま持久戦を強いられてゆく。
田丸は仲間の死を、時に嘘を交えて美談に仕立てる。正しいこと、それが何かわからないまま。そんな彼の支えとなったのは、同期ながら頼れる上等兵・吉敷だった。二人はともに励ましあい、苦悩を分かち合いながら、特別な絆を育んでいく。
一人一人それぞれに生活があり、家族がいた。だれ一人死にたくなどなかった。ただ、愛する者たちの元へ帰りたかった。最後まで生き残った日本兵はわずか34人。過酷で残酷な世界でなんとか懸命に生きようとした田丸と吉敷。
若き二人の兵士が狂気の戦場で見たものとは。
ペリリュー島とは何処か?日本軍1万500名に対しアメリカ軍総兵力4万8千740名絶望的な状況でわずか34人の日本兵は終戦を知らずどうして生き残れたのか?
まずはペリリュー島(ペリリューとう、Peleliu Island)はパラオ島の一つ。パラオ諸島の主要な島のひとつで、パラオの主要諸島の南西部に位置するペリリュー州に属す。ペレリュー島、ペリリユウ島、プレリュー島などとも。
北東にカーブ島やロックアイランドをはさんで旧首都コロール島やバベルダバオ島、現首都があり、南西にはアンガウル島が存在する。面積はおおよそ13km2、標高は最大で50m。ペリリュー州に属しており、同州の住民の多くがこの島に居住しており、州の中心でもある。島内にはクルルクペド、Ongeuldel、Imelechol、Lademisangの4つの村落があるが、Lademisang以外は北部に集中しており、多くの住民がクルルクペドに居住する。
ウィキペディアペリリュー島より抜粋
ペリリュー島の戦い、田丸や吉敷が見たのはまさしく地獄だった、倍以上の兵力で航空機の支援もほとんどなく艦船の支援もほとんどなく塹壕を掘り地下を掘り仮設司令部として戦いながら小さな島を逃げ回った、9割の人間が戦死するなか生き残った34人は1945年の終戦をアメリカ軍のチラシをまかれそれを偽情報と知りながらそれを信じなかった、それから2年後の4月34人(捕虜302名。捕虜の多くは朝鮮出身の軍属で、戦闘開始早々に米軍に投降した。実際の戦闘員で捕虜になったのは負傷などで体の自由がきかなかった14名のみ)は米軍に投降し日本の地を踏む。田丸達が1944年6月ペリリュー島守備隊に配備されてから4年、正にこの世の地獄を目の当たりにした田丸や吉敷のモデルとなった80年前のペリリューの生存者は2019年に最後の生き残りの方が亡くなられたため今では、ペリリュー島に眠る1万を超える遺骨だけが日本の地を踏めなかった遺骨だけが戦争の悲惨さと虚しさを物語っている。
最後にいつの時代でも戦争は悲惨で残酷、今の世の中に伝えるメッセージ、
80年前、日本は太平洋戦争という無謀な戦争で多くの兵隊や民間人が亡くなった。数えきれない屍の上に戦後の復興と経済成長を遂げ今や世界有数の経済大国にまで成長したがその歴史の裏で、世界では今でも、多くの国で武力紛争や戦争が繰り返されてきた。はたして?これは運と言ってかたずけられるのかは疑問だが80年間戦争に巻き込まれることもなくアメリカの子分としての政治的軍事的役割をはたしてはきたが、近年の中国やロシアのなりふり構わぬ軍事的圧力に脅かされ軍拡は続くが、80年前のメッセージは決して忘れてはいけないのだ。
ペリリュー島だけじゃない硫黄島などの地にもいまだ多くの遺骨が眠り船具80年たった今でもいまだ日本の地を踏む事ができない英霊達の遺骨が眠っている、最後に彼らの遺骨が一刻も速く日本に帰る日を願って、ペリリュー楽園のゲルニカは現在公開中なので史実としてだけではなく戦争の地獄を後世に伝えるためにも私はぜひ若い世代10代.20代に観てほしい作品なのでぜひ劇場へ足をお運びいただきたいと思います。
