昭和歌謡に魅せられて〜オリジナル・ベンチャーズとニッポンの歌謡曲。

ベンチャーズ、という名のバンドは、現在も活動中だが、その中にオリジナル・メンバーはひとりもいない。

本稿では1965年、日本中に熱狂的な《エレキ・ブーム》を巻き起こした、「あの」ベンチャーズとニッポンの歌謡曲との歩みについて、少し振り返ってみたい。

ベンチャーズが、それとは知らず、ニッポンの歌謡曲との邂逅(かいこう)を果たしたのは、彼らが本格的な初来日を果たした1965年のさらに2年前、1963年のことだ。

『レッツ・ゴー』というアルバムに収録するための1曲として用意されていたのが、当時全米チャートを席巻していた九ちゃんこと坂本九さんの“SUKIYAKI”=「上を向いて歩こう」だったのだ。

女声によるスキャットのみを配した、きわめてシンプルなアレンジが、オリジナルのニュアンスをほぼダイレクトに伝え、どこか淋しげでハートに伝わるものがあった。

この時のベンチャーズご本人サイドにしてみれば、ただ単に「アメリカでヒットした曲をカバーしてみた」だけにすぎなかったのかもしれないが、結果的にこれが、この後大量に生産されることになる「ベンチャーズがプレイした、日本製の楽曲」の第1号、ということになるのだった。

やがて時は過ぎ、1965年、世は空前のエレキ・ブーム。

それはもちろん、ベンチャーズと共にやってきたわけだが、そんな中、ベンチャーズも加山雄三さん自作自演のナンバー「君といつまでも」「夕陽は赤く」などを日本向けにシングルとしてレコーディングしリリース、加山さんとも共演するなど、日本との距離を急速に縮めつつあった。

翌1966年にはアメリカでリリースしたアルバム『ゴー・ウィズ・ザ・ベンチャーズ』の中の1曲として、日本の印象をもとにメンバーが共作した“GINZA LIGHTS”を収録。この曲には「二人の銀座」という邦題がつき、さらには永六輔さんが日本語の歌詞をつけ、日活の青春スター=山内賢さんと和泉雅子さんのデュエットによるカバー版をリリースしたところこれが大ヒット。これが俗にいう《ベンチャーズ歌謡》の第1号、ということになった。

1967年になると、「二人の銀座」同様に日本で受けたインスピレーションから作られたオリジナル楽曲や日本のヒット曲のカバーで構成されたアルバム『ポップス・イン・ジャパン』を日本向けにリリース。この中からは、北海道のイメージで作られた「北国の青い空」が、オリジナル、日本語の歌詞がついた奥村チヨさん(ちなみにまだ「恋の奴隷」になる前)によるカバー、どちらもヒットした。

この企画の続編アルバムは翌68年にもリリースされていて(その後も続く)、ここで興味深いところが、それまでベンチャーズとは「アパッチ」をヒットさせたバンドとカバー・アーティスト(この場合ベンチャーズがカバー)といった程度の接点しかなかった英国エレキ・インストの雄・シャドウズが、当時やはり日本向けにレコーディングしていた日本人作のオリジナル「ボンベイ・ダック」を、ベンチャーズがカバーしている、という事実だろう。

さて、1969年に入ると「ハワイ・ファイヴ・オー」という同題TVシリーズのテーマ曲が本国久々のシングル・ヒットとなり、ベンチャーズもアメリカで多忙をきわめ、来日公演そのものも行われなかったのだが、翌1970年には日本で開催された大阪万博をターゲットに、“EXPO’70”というオリジナル楽曲をシングル・リリース。しかしこれは本国では不発となり、日本では改めて”KYOTO DOOL“という英題がつけられ、これに「京都の恋」なる邦題と日本語の歌詞がついて、それまで主にハワイアンを歌っていた渚ゆう子さんが歌ったところ、これが大ヒット、あまつさえ日本レコード大賞・企画賞も受賞した。

この後も、彼女とベンチャーズのコラボは《ベンチャーズ歌謡の最高傑作》とも称される「京都慕情」(もともとは「ホテルの部屋の窓から見た、皇居とその周りのお堀の景観」からイメージして作られた楽曲)、そして「長崎慕情」と続いてゆくのだが、この頃になるとベンチャーズ・サイドにも日本からのオファーが殺到しはじめ、台湾出身で現地で既に実績を挙げていた欧陽菲菲(オーヤン・フィフィ)への「雨の御堂筋」などのヒットにとどまらず、日本のレコード会社からのオファーでシングル・リリースした北欧エレキ・インストのパーカッシヴなカバー「さすらいのギター」も日本で大ヒット(ついでに小山ルミさんによる日本語カバーもヒット)、といった具合で、しまいには東京のホテルの一室に《ザ・ベンチャーズ東京事務所》を構えるまでに至ったのであった。

そういった流れの中で生み出された、さほど大きなヒットにはならなかった佳曲に、牧葉ユミさんが日本語で歌ってリリースした「回転木馬」がある。

この曲のスゴさというか影響力として挙げられることは、当時スタートしたばかりで、後にピンク・レディー、中森明菜さんらを輩出することになるオーディション番組『スター誕生!』に、あるひとりの少女が出場した際、この「回転木馬」を歌ったのだが、それが後の山口百恵さんだった、という事実である。

また、この流れの中で他の日本人作家による《ベンチャーズ歌謡》を強く意識した楽曲もいくつか生まれており、代表的な例としては小柳ルミ子さんの「冬の駅」(加瀬邦彦さん作曲)が挙げられる。

その後もさまざまな紆余曲折を経つつ、1991年にはNHK紅白歌合戦への出場、さらに2010年春の受勲では、旭日小綬章を受章するなど、ほぼ毎年開催してきた日本でのツアーや数々の日本向けアルバムのリリースにより、都心の大ホールから地方の小さな町に至るまで、日本中のファンにエレキ・サウンドを響かせ続けたオリジナル・ベンチャーズの面々の業績は、永遠に輝き続けることだろう。

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しんのすけ1965

昭和歌謡などの音楽以外にも、さまざまに興味を持っています。そういったあたりも、どしどし出していけたらいいなぁ………なんて、思っております。

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