漢字の由来
三重県の県名の由来は、日本武尊(やまとたける)がこの地で足が三重に曲がった(極度の疲労)という『古事記』の神話から由来しています。
また、伊勢平野から鈴鹿山脈の丘陵(きゅうりょう)“幾重にも重なって見える”景色から名づけられたという説もあります。
1872年の県庁移転に伴い三重郡の地名が採用になりました。
1、日本武尊の伝説
『古事記』の景行天皇の条において、日本武尊が東国征伐の帰路にこの地を訪れた際、山や坂の険しさに「足が三重に曲がってしまった(疲れて動かなくなった)」と語っており、そこから「三重」の地名が生まれたと言われています。
2、自然地形に由来する説
伊勢平野から西側の鈴鹿山脈や紀伊山地を見渡すと、丘陵が「幾重にも」重なってしまうことから、その言葉が転じて「三重」になったという説があります。
3、県名採用の経緯
明治5年(1872年)、現在の三重県北部に当たる地域を管轄していた「安濃津県」の県庁が津から「三重郡四日市」に移転しました。
当時は「県庁所在地のある郡名からとる」という原則に基づいて安濃津県から「三重県」に改称されていきました。
4、その他の関連情報
古代、この地域は伊勢神宮に食料を献上する「御食国(みけつくに)」の「みけ」が変化して、「三重」の漢字が当てられたという説もあります。
まとめ
三重県という地名は、古くからの伝説と明治時代の行政的な変更という2つの要素から成り立っています。
歴史
三重県は、伊勢神宮を中心とした信仰の地として古くから栄えており、律令時代には「伊勢・志摩・紀伊」の4国で構成されていました。
明治時代には廃藩置県を経て、1876年に度会見と合併して現在の形に成立しました。
東海道や伊勢街道の要衝、紀州藩の地域など多様な背景を持っています。
1、古代~中世:神の国と交通の要衝
伊勢神宮の創建
古代より「神都」として伊勢神宮が鎮座し、朝廷の崇敬(すうけい)を集めました。
斎宮
天皇に代わって伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」の御所があり、古代の重要拠点でした。
交通の要所
東海道が通り、熊野詣の街道としても多い参詣者が行き交いました。
2、近世:お伊勢参りと紀州藩
お伊勢参りの隆盛
江戸時代には「おかげ参り」が流行し、全国から参拝客が訪れていました。
紀州藩と城下町
紀州藩(和歌山藩)の領地が広く、「津・松坂・上野」などの城下町が発達していきました。
文化の発展
本居宣長(もとおり のりなが)が松坂で『古事記伝』を完成させ、日本文化に大きな影響を与えました。
3、近代~現代:三重県の誕生と発展
三重県の誕生(明治時代)
1871年の廃藩置県で安濃津県などが設置されました。
1872年に三重郡四日市に県庁が置かれた際、県名を「三重県」に改称されました。
度会県との合併
1876年(明治9年)4月18日に渡会県と合併し、現在の三重県の区域が成立しました。
産業の発展
四日市港の整備やコンビナートの操業など、近代・現代産業が発展していきました。
三重県という名前の由来
1872年(明治5年)、安濃津県の県庁が津から三重郡四日市に移された際、所在地の郡名である「三重郡」から付けられました。
文化財・スポット
伊勢神宮
20年に1度の式年遷宮が受け継がれています。
斎宮跡
明和町にある当時の遺跡になります。
関宿
東海道の古い町並みが残っている重要な伝統的な建造物群保存地区になります。
松坂城・津城跡
紀州藩の城下町の名残です。
津はなぜ一文字になったのか?
三重県津市の「津」が一文字なのは、かつて「安濃津」という港町だった地名でした。
江戸時代初期には「安濃」が省略され、港を表す「津」の文字だけが残りました。
港や船着き場を意味する大和言葉の「つ」が由来です。
地名としては日本一短い文字の市となっています。
由来となった地名
室町時代~江戸時代初期頃まで、この地域は「安濃津」と呼ばれていました。
省略の過程
「安濃」が省略され、後半の「津」だけが地名として定着していきました。
「津」の言葉の意味
元々「津」は、船着き場や港を意味する大和言葉です。
一文字の定着
津藩(藤堂高虎)の統治下などで、港町として栄えた「津」という表記が定着し、現在に至りました。
