漢字の由来
大阪府の「大阪」という漢字の由来は、主に上町台地の地形由来する「大坂」から明治時代に表記が変更された歴史を持っています。
1、「坂」から「阪」への変化
元々は「大坂」と表記されていました。
「大坂」の由来
上町台地(大阪市中央区周辺)の北端に広がる坂道やその周辺を指す「小坂」「大坂」という地名が中世に登場しました。
「大阪」への変更
江戸時代から明治初期にかけて、土偏の「坂」が「土に帰る(死を連想させる)」として縁起が悪いと避ける風潮が生まれ、こざとへんの「阪」が使われるようになっていきました。
正式採用
明治初期に「大阪府」として正式に表記が変更されました。
2、「府」の由来
明治政府が誕生した際に、幕府の直轄地や重要都市を「府」と位置付けたことに由来します。江戸時代に奉行が支配していた地や港を、明治政府が「府」と規定しました(一時は11の府がありました)。
3、歴史的名称
古くは「難波(なにわ)」とも呼ばれていました。大正から昭和にかけ、人口・工業出荷額ともに日本一であったため「大大阪(おおおおさか)」とも呼ばれていました。なお、漢字の変更は「深き理由ありしにあらざるべし(深い理由はない)」という説もあり、当初は官印でも「坂」と「阪」が混在していました。
歴史
大阪は1400年以上の歴史を持ち、古代から日本の経済・外交の中心的都市です。
5世紀頃の難波津(なにわづ)を皮切りに貿易拠点として栄え、645年には難波宮が置かれました。
戦国時代から江戸時代にかけては「天下の台所」として商都へ発展しました。
明治時代以降は産業の中心地「東洋のマンチェスター」と呼ばれていました。
現在は西日本最大の国際都市となりました。
古代(難波の繁栄)
5世紀には、仁徳天皇の治水事業で河内湖が縮小して陸地化が進行しました。
難波津は外交・交易の拠点となり、飛鳥・奈良時代には難波宮が置かれました。
中世(自由都市と戦国)
堺や平野が自治組織を持つ自由都市として台頭し、織田信長と石山本願寺の戦い(石山合戦)の舞台ともなっていました。
近世(大阪の陣~天下の台所)
豊臣秀吉が大阪城を築き、中之島周辺の堀川を整備しました。
江戸時代には「天下の台所」として物流・金融の中心となりました。
商人が主導する独自の文化「町人文化」が花開きました。
近代(大大阪時代)
明治元年に「大坂」から「大阪」へ改称しました。
1925年には周辺町村の合併により人口が東京を「大大阪(だいおおさか)」時代と呼ばれました。
現代(水都の再生)
戦後、工業化と埋め立てで拡大し、政令指都市として経済・文化の拠点機能を維持していました。
現在は「水都大阪」として、川や水辺を活用とした街づくりが進められています。
昔の大阪は海だった?
約6000~7000年前の縄文時代、現在の大阪平野の大部分は「河内湾」と呼ばれる海(湾)でした。
上町台地が半島のように突き出し、東大阪市や八尾市周辺まで海が入り込んでいました。
その後、淀川と大和川の土砂の堆積、地殻の隆起によって徐々に陸地化としていきました。
大阪が海だった頃のポイント
川内湾
縄文海進と呼ばれている海水面上昇により、現在の大阪市中央部から東側は海に沈んでいました。
上町台地は半島
天王寺や大阪城付近を含む「上町台地」だけが、海に突き出た半島状の陸地として存在していました。
陸地化のプロセス
縄文時代の後、河川から運ばれた土砂が堆積し、海が閉じて「川内潟」になり、さらに「川内湖」という湖を経て、現在の大阪平野に変化していきました。
貝塚の存在
大阪市内の森の宮遺跡などでは、当時の海岸線近くで生活していた人々の「貝塚」が発見されました。
オクラの唐揚げ
材料
冷凍オクラ(適量) 片栗粉(適量)
サラダ油(適量)調味料(めんつゆ大さじ1 にんにくチューブ小さじ1/2)
作り方
1、オクラ(1袋の場合)を半分に切ります。
2、1と調味料を保存袋またはジップロックに入れたら、10分くらい置きます。
3、2の水けを切り、片栗粉をまぶします。
4、フライパンに深さ1cmくらいに油を入れたら火をつけて熱したら、1分揚げたら完成です。
