山口県

漢字の由来

山口県の「山口」という地名は、山間盆地の入り口(山道の麓)という地形的な特徴から由来しています。

かつてこの地が長門国・周防国の主要な交通の要所であり、山々へ入る入口であったことや室町時代に大内氏が盆地に拠点を置いたことが地名定着の背景となっています。

地形的由来
山間部への入り口(山道の麓)を意味する地名が「山口」として定着した説が有力です。
歴史的背景
室町時代に西の都として栄えた山口盆地が、山間部から開けた場所であったため、大内氏や毛利氏などの支配拠点が「山口」と呼ばれていました。
他の説
周辺地名に由来する説や豪族名に由来する説も存在していました。

歴史

山口県は、古くから九州と本州を結ぶ要衝であり、平安時代末期の壇ノ浦の合戦や大内氏が栄華(えいが)を誇った「西の京」、そして幕末の明治維新胎動の地として知られている歴史的要所になります。

特に長州藩(萩藩)は、吉田松陰の松下村塾から高杉晋作ら多くの志士を輩出し、近代日本を築く中心となっていきました。

古代・中世(大内文化)
平安時代末期、下関(壇ノ浦)は、源平合戦の最終決戦地となりました。
室町時代には大内氏が山口を拠点とし、朝鮮・明との貿易で栄え、「西の京」と称される文化が花を開きました。
近世(長州藩・萩藩)
関ヶ原の戦い後、毛利輝元が萩に城を築き、長州藩36万石の城下町として発展していきました。
江戸時代後期には、藩庁を萩から山口へ移転し幕府との戦いに備えていました。
幕末・維新(胎動の地)
吉田松陰の「松下村塾」から高杉晋作、久坂玄瑞(くさか げんずい)、伊藤博文、山縣有朋らが輩出され、明治維新の原動力となっていました。
下関は騎兵隊や四国艦隊下関砲撃事件など動乱の舞台となりました。
松下村塾・松陰神社(萩市)
世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産

萩城下町(萩市)
江戸時代の地形が残っている街並み
下関・壇ノ浦(下関市)
源平合戦ゆかりの地
瑠璃光寺五重塔 (山口市)
大内文化の最高傑作
東行庵(下関市)
高杉晋作が眠る場所
防長(周防国と長門国)と呼ばれたこの地は、現在も明治維新の息吹を感じるスポットが数多く残っています。

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