人と比べて

私は人と自分を比較してしまうことがあります。

そして大抵、自分が劣っていると言う結論に達することが多いです。

例えばコミックエッセイを見たり、インスタを見たり。

そうして相手が私よりうまくいっている、私が理想とするものを手に入れていると感じてしまうのです。

私は兄弟に対しても劣等感を持っています。

普通に高校に通い、専門学校の学費一部免除の為に漢検2級を取り、専門学校に行きながらバイトをし、2年次に早々に内定を手に入れ、社会人として働いている兄弟に。

社会人というものに劣等感をいだいています。

私は最長で働けたのが高校生時代の1年間の厨房アルバイトで、それ以降は1カ月や酷いと2日で辞めています。

高校卒業後は東京の声優養成所に通いつつ、少しアルバイトをしていましたが長続きせず。

その後はほとんどヒキニートでたまに求人応募してはバックレるという事を繰り返していました。

本当に社会人になったことが無いのです。

インスタの家計管理のリールやコミックエッセイを見ていると、共働きしている方が多く、子供を持つとかかるお金も可視化されていて、このままで良いのかと問答してしまいます。

その結果、衝動的に求人に応募してしまう事態が発生するのです。

社会人に憧れるなんて学生のようですが、本当にそう思うのです。

今の時代、一馬力で家計管理をするのは大変でしょうし、私も働かなくてはと思うのです。

でも同時にこうも思うのです。

私なんかに出来る仕事ってあるのかな。

私なんかを雇ってくれるところなんてあるのかな。

と。

したい仕事、というのは正直わかりません。

出来る仕事というのも正直わかりません。

私は人と比べるばかりか卑下してしまうのです。

自分なんかに出来る仕事なんてない。

自分なんかを雇ってくれるところもない。

心の奥底ではそんなことを考えてしまうのです。

私は人より劣っているし、誰も私なんかを求めてない。

膨れ上がった劣等感は私を蝕むばかりです。

本当はただ人と同じようになりたいだけ。

人としての幸せをつかみたいだけなのです。

社会人になることが幸せかについては論争が起こりそうですが、私は憧れます。

自分でお金を稼ぎ、自分で責任を持ち、貯金したり結婚したり出産したりする。

後半は私の願望詰め合わせセットですけど。

私は人並みの幸せを手に入れたい。

その人並みの幸せの定義が「社会人である」ということになっているのかもしれません。

社会人だからと言って幸せとは限らないし、私にとっての幸せに近づくかも分からないのに。

私にとっての幸せは結婚して出産すること。

それが叶えば、多少の犠牲は否めないとさえ思っています。

この考えは間違っているのでしょうか。

私は間違っているのでしょうか。

私の結婚したい。出産したい。という思いは。

順序が逆?

好きな人がいて、その人との子供が欲しいと願うのが普通?

私は焦り過ぎなのでしょうか。

私には分からなくなってきました。

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黄泉乃ミヨ

日常のことや思っていること、感じたことを記事にしています。イラストも添えるようにしています。女の子からゆるいキャラまで。私のことを知ってもらえたら嬉しいです。

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