いわゆる「二世タレント」で、しかしご本人もマルチな才能を持ち、特に自作自演で出した歌が大ヒット………となると、あの加山雄三さんのことを頭に思い浮かべる方は、おそらく多いことでしょう。
しかし、本稿の主人公は加山さんではありません。
共通点をいくつも持ちながら、その持ち味はまったく異なるひと、荒木一郎さんです。
お二方は、1960年代の終わりから70年代の初頭にかけて、低迷と呼ぶにはあまりにも過酷な時期を(そのプロセスこそ異なるものの)過ごし、やがて70年代中盤、アーティストとして甦った、という共通点もお持ちなのですが、荒木さんにとっての“切り札”となったのは、1975年に発表した「君に捧げるほろ苦いブルース」でしょう(なお、ここでひとこと申し添えておくと、加山さんは主に、作詞家・岩谷時子さんとの共同作業により多くの楽曲を生み出したのですが、荒木さんの場合、作詞もご自分でされていました。よって、日本におけるシンガー=ソングライターのパイオニアは荒木一郎さん、ということになります)。
この「君に捧げるほろ苦いブルース」は、荒木さんが当時の愛猫を亡くしたことによって生まれた、哀愁にあふれた楽曲で、もともとのタイトルも「猫に捧げるほろ苦いブルース」、だったということです。
しかし「このタイトルじゃ売れないから」、といったレコード会社サイドからの言葉もあり、「猫」を「君」に変え、世に送り出されることになりました。
まずは同名のアルバムのタイトル曲として、1975年9月に。
やがてシングルカットされ、同年12月に、それぞれリリースされました。
「君に捧げるほろ苦いブルース」は、ラジオや有線放送を通してじわじわと浸透し、静かなヒットとなり、のちに「空に星があるように」と並ぶ、荒木さんの代表作になりました。
一方で、思わぬ“副産物”もあったのです。
1976年4月、谷村新司さん、堀内孝雄さん、矢沢透さんの3人によるフォーク・グループで、後に大ブレイクすることになるアリスがシングル発売しヒットした「帰らざる日々」(作詞・作曲=谷村新司)が、かなり明確に「君に捧げるほろ苦いブルース」を、いわばパクっていたのでした。
これに関して荒木さんは、あからさまにではないけれども、静かな怒りを現わしたのでした。
別にどうしろ、こうしろとは言わない。
ただ、その「帰らざる日々」という歌をうたう度に、頭のどこかに「君に捧げるほろ苦いブルース」のことを思い浮かべてほしい、と。
そんな、「ほろ苦い」出来事もありつつの、60年代に一時代を築いたシンガー=ソングライター・荒木一郎、久々のヒット曲、
それが「君に捧げるほろ苦いブルース」だったのでした。
この後もしばらく、女優・桃井かおりさんらのアルバム・プロデュース、他のアーティストへの楽曲提供などと並行して、荒木さんはアーティストとしての活動を続けていきました。
1980年から81年にかけて放映された、宿命のライバル・力石徹を亡くした後の矢吹丈の人生を、そのラストまで描ききったTVアニメ『あしたのジョー2』では、前期のオープニング「傷だらけの栄光」、エンディング「果てしなき闇の彼方に」(歌:おぼたけし)の作・プロデュース、そして後期のオープニング「ミッドナイト・ブルース」、エンディング「果てしなき闇の彼方に」(前期のものと同じ曲)では、作・プロデュースにとどまらず、自ら歌いました。
とりわけ「果てしなき闇の彼方に」は、力石という存在を失ったジョーの心にそっと寄り添うような……そう、「聴き手の心にそっと寄り添う」、まさに荒木さんらしい作風の、しみじみとした名曲に仕上がっています。
そんな作風をもつ荒木さんの、1960年代中盤から終わりにかけての活躍については、もっとまた突っ込んで、語ることにしたいと思います。(その2へつづく)