1970年代のなかば、野口五郎さん、郷ひろみさん、岩崎宏美さんら、相変わらずアイドル歌手を中心に楽曲を提供し、次々にヒットを放っていた筒美京平さんのもとに、ビクターの名物宣伝マンであった本多慧(さとし)さんがやって来ました。ディスコ・ブームが白熱しつつあったこの頃、本多さんは洋楽部門の宣伝を担当し、コモドアーズの「ザ・バンプ」、ヴァン・マッコイの「ハッスル」といった楽曲をヒットに導いていました(コモドアーズはライオネル・リッチーがいたバンド。彼が書いた一連のバラード・ヒットでブレイクする前は、もっぱらファンキーなサウンドのナンバー中心に人気を集めていました。日本では『全日本プロレス中継』の「これからの試合ラインナップ」紹介のBGMとして使用された「マシン・ガン」もおなじみでした)。
さて、ニューヨークのディスコで“バス・ストップ”という踊りが流行っているという情報をキャッチした本多さんでしたが、その“バス・ストップ”を活かした楽曲の権利がなかなか獲得できず、「それなら日本で(楽曲を)作ってしまおう」ということになり(この辺が「機を見るに敏」という感じですね…)、当時オリコン勤務の湯浅さんという方に相談したところ「ほどよく洋楽で、ほどよく日本人の琴線に触れるものを考えてくれるはず」と、京平さんを紹介され、訪ねてみたところ京平さんもノッてくれて、話が動き出した、ということです。
売り出すにあたっては、これは日本の音楽業界で古くから行われていることなのですが「とにかく、洋楽っぽくみせる!」ことを念頭に置いて、ネーミングが考えられました。
グループ名の“Dr. ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス”は、本多さんが知らない間にビクターの誰かがつけていたらしいのですが、京平さんの別名に関しては、ご自分で考えられたとのことで、“バンドリーダー”としては“Dr. ドラゴン”、作者としては“ジャック・ダイヤモンド”ということになり、“Dr. ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス”という、実体のないバンドが誕生するに至ったわけです。
この「セクシー・バス・ストップ」と名付けられた楽曲のレコーディングには、矢野顕子さん、鈴木茂さん、後藤次利さんら当時の日本のトップクラスのミュージシャンが参加し、それに尺八と京琴の音も加えられているのですが、本多さんによると、そういった和楽器のバックにシンセサイザーの音が足されており、そこはかとない日本的な情緒をひとつのニュアンスとして、絶妙なバランスで落とし込んでいることがわかります。このあたりの繊細さに、京平さんの見事なバランス感覚をみる思いです。
本多さんのプロモートも功を奏し、「セクシー・バス・ストップ」は“ナゾの洋楽”として、ディスコを中心にヒットして行きました。あるスポーツ新聞の記者に「(作者は日本人だと)書くぞ」と言われるとすかさずそれを逆手にとり、別の週刊誌で大々的に書いてもらう形で先に公表してしまう、といった離れ技をみせたこともあったそうです。
ほどなく「女の子に日本語でカバーさせたい」という音楽出版社からの話も持ち上がり、アイドルとしてデビューしたものの伸び悩んでいた浅野ゆう子さんが抜擢され、京平さんとは名コンビの橋本淳さんが作詞を手がけ、こちらもめでたくヒットとなります(浅野さんはこの後も「ハッスル・ジェット」「ムーンライト・タクシー」と、京平さんの手によるディスコ路線がたて続けにヒットし、“W浅野”の時代に先がけて、最初のブレイクを果たしていました)。
これらの成功に乗る形で、“Dr. ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス”はアルバムを制作し、リリースすることになりました。タイトルは『The Birth of A Dragon』(ドラゴンの誕生。現在は『Dr. ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス』のタイトルで再発売されることが多いようです。サブスクでも、後にリリースされたシングル曲などをボーナス・トラックとして追加する形で、このタイトルで配信されています)。
商業上の戦略的な理由から、冒頭にはまず「セクシー・バス・ストップ」が収録されていますが、アルバム全体の中でも“序曲”的な要素が強く、実際にはB面のトップ(CDでは後半の冒頭)「Dr. ドラゴンのテーマ」が、なんといっても超超超超カッコいいのです!!!
他にも、まずは「踊れる曲」ということを大前提として、バラエティーに富んだ楽曲の数々が顔を揃えており、聴き手を退屈させることがありません。
同じ1976年には、もちろん歌謡曲の世界でヒット曲を量産しつつ、いったいどんな風にスケジュールを組んでいたのか、まったくわかりませんが、東芝EMI(現在のユニバーサルミュージック)からも「KYOHEI TSUTSUMI & HIS 585 Band」名義で、『HIT MACHINE/筒美京平の世界』というアルバムをリリースしています(『筒美京平ソロ・ワークス・コレクション 東芝EMI編』の後半部分として、サブスクあり)。全体にタイトでポップなタッチのサウンドで、「セクシー・バス・ストップ」をはじめ、『Dr. ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス』と重複する楽曲もいくつかあるのですが、すべてアレンジを変えているところが「さすがプロフェッショナル」、という感じですね。
これら2枚のアルバムの中で、特に注目しておきたいのは、まずは「バンブー(The Bamboo)」という、和の要素を強く感じさせる楽曲。2枚ともに収録されているこの曲は、同じ1976年、京平さんがそのデビューからしばらくの間手がけ、「わたしの彼は左きき」などの大ヒットもあった麻丘めぐみさんに久々に提供したシングル曲「夏八景」に、そのモチーフが流用されているのです。
そしてもう1曲。これはそもそもポール・モーリアのサウンドがお好きだった京平さんに、本多さんが「ポール・モーリアっぽいものを1曲」とリクエストして生まれた「カリブの夢(Caribbean Dream)」で(こちらも、両方のアルバムに収録)、リアルタイムで日本語の歌詞をつけたカバー・シングルがいくつかリリースされただけでなく、このサウンド志向は1979年、京平さんに2つめの日本レコード大賞をもたらしたジュディ・オングさんの「魅せられて」として、まさに大輪の花を咲かせることになるのです。(了)
*参考文献
『ミュージックマガジン増刊 筒美京平の記憶』(ミュージックマガジン)P.160~163 本多慧インタビュー