嘘
でたらめ
いじめ
パワハラ
セクハラと
世の中には目をそむけたくなるようなおぞましいものがたくさんあります。
そういったものからできるだけ距離を置いて生きることは正しい対応です。
世の中は、人と人との付き合いがついて回りますから全てを避けることは困難ですが、
ライフハックの一つとして、そういったものを遠ざけるのは良い手段です。
嫌な出来事から距離を置く手段
テレビを遠ざけてみてはどうでしょうか。
テレビはこうしたおぞましいものが駆逐されていない世界の一つです。
駆逐されていないどころか、良いものとされたり、
エンターテイメントとして楽しいものとされたりしがちです。
なぜテレビでは嫌な出来事がなくならないのか
報道番組
一つは、日本ではジャーナリズムが死んでいることが挙げられます。
嘘つきや役立たずの政治家が一切批判されることなく、自由に嘘やプロパガンダをばらまいています。野党のまっとうな批判をいじめ扱いする始末です。
政権は、NHK民放問わずマスコミと昵懇になりアンダーコントロールに成功しました。
特定の政党の都合のいいことばかり報道するジャーナリストと呼べないキャスターが増殖したため、醜い番組が増えました。
主に、近年の政権下において骨のあるジャーナリストが番組を降板されるなどの憂き目にあい、良い報道番組は無くなりました。
民放においては主なスポンサーが経団連の大手企業であることから、自分達が献金して支援している党に不都合な報道を制限する傾向にあります。
経団連の要求に反する意見や報道も差し控えられ、報道番組の腐敗が進みました。
いまでは、報道はショー化されてしまいました。
とりわけワイドショーではあからさまに与党を追求する野党は悪者とする番組構成がすすみました。
バラエティ番組
もう一つの例が大物コンビ芸人の存在です。
彼らの芸は全て、いじめ、パワハラ、セクハラを根底としたものです。
立場の強いものは自由にいじめやセクハラをして構わないという体育会系のノリは唾棄すべきものです。
彼らは、新人時代は体育会系のノリの世界では、いじめを受け入れる側の弱い立場でした。
そのため、先輩に頭を下げる日々でした。
しかし、キャリアを積むにつれ後輩が増えてくると、いじめやセクハラをする側に回ります。
当時は、いじめやセクハラに対する風当たりは弱く、むしろエンターテイメントとして歓迎される下地がありました。
彼らの度を越したいじめやセクハラはたちまち人気を集めました。
その後、彼らは「いじめは良くない」という風潮の元、一時は人気が下火になりました。
しかし、このコンビ芸人を面白がっていた世代がTV番組作りの現場のヒエラルキーの頂点に立ったことで、再びいじめを楽しむ番組が作られるようになりました。
みっともない話です。
まとめ
テレビ番組がつまらなくなった理由は、テレビ番組を作る人たちが政府やいじめをする人たちに忖度を続けていることで、良い番組が減ったことにあります。
いじめを良いものや楽しいものとする番組、番組構成がある限り日本の娯楽番組は衰退の一途です。
そして、野党は政府をいじめているという番組構成をしている限り、日本の報道番組が生き返ることもありません。
野党が政府を追及するのは正しい姿です。