『旅立ちの日に』(たびだちのひに)は、1991年に埼玉県の秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲である。作詞は当時の校長であった小嶋登、作曲は音楽教諭の坂本浩美(現・高橋浩美)による。編曲は、松井孝夫他、複数の作曲家によるものがあり、原曲および混声三部版・混声四部版は変ロ長調、同声二部版は変ロ長調またはハ長調、同声三部・女声三部版はハ長調である。2000年代以降、卒業ソングの定番として認知されている。
概要
歌の誕生まで
秩父市立影森中学校の校長だった小嶋登は当時、荒れていた学校を矯正するため「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やした。最初こそ生徒は抵抗したが、音楽科教諭の坂本浩美と共に粘り強く努力を続けた結果、歌う楽しさによって学校は明るくなった。
「歌声の響く学校」を目指して3年目の1991年2月下旬、坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい!」との思いから、作詞を小嶋に依頼した。その時は「私にはそんなセンスはないから」と断られたが、翌日、坂本のデスクに書き上げられた詞が置かれていた。その詞を見た坂本は、なんて素適な言葉が散りばめられているんだと感激した、とラジオ番組への手紙で当時を振り返っている。その後、授業の空き時間に早速ひとり音楽室にこもり、楽曲制作に取り組むと、旋律が湧き出るように思い浮かび、実際の楽曲制作に要した時間は15分程度だったという。
出来上がった曲は、「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けてサプライズとして歌われた。この年度をもって小嶋は41年に及ぶ教師生活の定年を迎えて退職したため、小嶋が披露したのはこれが最初で最後となった。元々はこの1度きりのため作られたはずであったが、その翌年からは生徒たちが歌うようになった。
作詞者の小嶋は2011年1月20日に80歳で死去したが、同年11月14日に『旅立ちの日に』が誕生から20年の節目となることを踏まえ、作曲者の坂本と共に、埼玉県より「彩の国特別功労賞」(同賞創設以来4番目)が贈呈された。
卒業式の定番曲に
出来てからしばらくは影森中学校だけで歌われた合唱曲であったが、次第にまわりの小中学校でも歌われるようになった。当時東京都の中学校で音楽教諭を務めていた作曲家の松井孝夫は、この曲を知ると混声三部合唱への編曲を行った。これが音楽之友社の雑誌『教育音楽』に取り上げられたことで、1998年頃までに全国の学校で歌われるようになった。さらには、2004年3月に『情報ライブ EZ!TV』で取り上げられたことや、2007年にSMAPが出演するNTT東日本のCMソングに起用されたのをきっかけに、小中高校の卒業式で定番のように歌われていた『仰げば尊し』や『巣立ちの歌』、『贈る言葉』などを抜き、全国で最も広く歌われる卒業式の歌となった。
参考
- フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
以上の記事を参考にして私なりにまとめてみました。
Kの感想
一般の人が作成して限定的に発表された楽曲がテレビ番組や雑誌、そして、有名な芸能人たちが歌唱して有名になって卒業式の定番曲にまでなった珍しいケースだと云えるのではないでしょうか?
CDの発売や音源データが存在しない場合もあるがいろいろな芸能人や歌手が歌唱しているのはすごいなと思います。
影森中学校の校内に卒業ソング『旅立ちの日に』の歌碑が存在するらしい。
歌声の響く学校は楽しそうで良い学校ではないのでしょうか?
当時の校長先生と音楽教諭によって作成された曲が今では西武鉄道の発車ベルになっているようです。さらに、今も、この時期になると、取り上げられているのはすごいと思います。