サブちゃんこと北島三郎さん(以下、本稿では「サブちゃん」と呼ばせていただきます…)。
その歌謡曲・演歌の世界に残した足跡が実に偉大なものであることは、もはや疑う余地のないところですが、一方でその先取性、開拓者としての精神は、もっと評価されていいと思うのです。
昭和36(1961)年に「上を向いて歩こう」として日本でヒットしたその2年後、めぐりめぐって“Sukiyaki”のタイトルで全米チャートを制覇するという快挙を成し遂げた、永六輔さん・中村八大さんのコンビ作「帰ろかな」をヒットさせたのをはじめ、NHKで放送されていた、一般の方々から募集した楽曲を人気歌手が歌うという番組『あなたのメロディー』から生まれた「与作」をシングル発売し、これまたヒット(この「与作」の発売は、そのまま埋もれた可能性もあるだけに、まさに英断だったと思います。ちなみに今ではマチャアキこと堺正章さんの歌で広く知られている、『みんなのうた』の「北風小僧の寒太郎」も、サブちゃんが歌っていた時期がありました)。
そして、近年のサブちゃんを代表する1曲である「まつり」。
この「まつり」のビートの効いたアレンジ、サウンドは、この前にリリースした「漁歌」の強い影響下にあり、その「漁歌」の強烈なアレンジは、ジャズ界でその名を知られたサックス奏者の清水靖晃さんによるものでした。
やがて、少しだけ時は流れ、年号は平成に。
演歌の世界を舞台に、かの『BLUE GIANT』よろしく、「ページから歌が聴こえてくる」とも言われた、故・土田世紀さんによる漫画『俺節』に、きわめて酷似した人物として“登場”したサブちゃんは、主人公のデビュー曲として設定された「俺節」、そしてカップリング曲「俺の俺節」の作曲・プロデュースを(「原譲二」という筆名で)担当(「俺節」の作詞は土田世紀さん)。ヒットはしなかったものの、お弟子さんであった小林ひさしさんが、この2曲でそのままデビュー……といった出来事もありました。
そして、その数年後。
日テレ系で放送されていたバラエティー番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(通称『生ダラ』)から、ある不思議な動きが生まれます。
ノリさんこと木梨憲武さん(以下「ノリさん」)が、かなり念の入ったサブちゃんのコスプレに身を包み「北島ファミリーの一員になりたい! 北島さんを“オヤジ”と呼びたい!」と、なぜかパンクロック・バージョンの「みちのくひとり旅」を熱唱するなどして猛アピール。付き人見習いなどの修業を経て“憲三郎”として演歌デビューが決定。サブちゃんは「いま」の時代の色を取り込もうと、マドンナのCDを聴くなどしながら曲作りに励みました。
当時、サブちゃんのところの番頭格であり、「みちのくひとり旅」のオリジナル・シンガーとして知られる山本譲二さんも、ノリさんが半ばふざけて呼んでいた“ジョージ山本”の名で巻き込まれる形となり、その曲「浪漫 -ROMAN- 」は、“憲三郎&ジョージ山本”のデュエット曲として、1996年、その名も「OYAJIレーベル」から、世に送り出されたのです。
結果、オリコンチャートのトップ20入りを果たし、演歌としては大ヒット(氷川きよしさんがデビューし、総合チャートでトップ10ヒットを連発する、そのほんの数年前のお話です)。
“憲三郎&ジョージ山本”は、めでたく紅白出場も果たしました。
令和のいま、この「浪漫 -ROMAN- 」を聴くと、歌詞(「原案:憲三郎」、とクレジットにあります)もメロディーラインも、確かにまぎれもなく演歌なのですが、リズムの刻み方がちょっと変わっていて、バックのサウンドも含め、どこかレゲエのような雰囲気をまとっており、そのマッチングが絶妙な効果を生んでいるように感じられます。
その、うねるようなリズム、ビートに、まさしく演歌調の歌詞とメロディーが乗っかることによって、1996年当時の「時代」を呼吸した、たとえば有線放送のJ-POPチャンネルで流れても「浮く」ことなく、しかも《にっぽんの心》をしっかり感じさせてくれる、まさしく「ネオ演歌」、あるいは「シン・演歌」が爆誕した、と言えるのかもしれません。
そういった意味でも、「サブちゃん、やっぱりスゴい!」と感じるわけなのです。
この「浪漫 -ROMAN- 」、サブスクなどで聴くことができますので、ぜひ一度、お試しを。(了)