2024年早春。
日本人アーティスト、アヤ・シマヅが、長年《クイーン・オブ・ソウル》と呼ばれ、今なおリスペクトされ続けている、故アレサ・フランクリンのヒット曲「シンク(Think)」をカバーし、かつてアレサが全盛期を迎えたレーベルの日本支部とも呼ぶべきアトランティック・ジャパンから全世界に向けて配信リリース。さらに夏にはアレサの楽曲で構成されたカバーアルバムのリリースも予定している……とのアナウンスがありました。
そんなアヤ・シマヅ=島津亜矢さん。
本業はテイチクエンタテインメント所属の「演歌歌手」、ということになります(実際、アヤ・シマヅとしての活動と並行して、4月には原譲二=北島三郎さん作曲のニューシングルのリリースも予定されています)。
2021年の時点でデビュー35周年、2019年までに『紅白』出場6回。
決して数多くの人の耳には届いていないかもしれませんが、ヒット曲も少なくありません。
パンチのきいた歌から、しみじみ聴かせるもの、また、いわゆる“こぶし”のないポップス寄りのオリジナルまで、その守備範囲の広さにも特筆すべきものがあります。
そんな島津亜矢さん、いや、“あやや”固有の評価のひとつとして
「とにかく、カバーがすごくいい!」
というものがありました。
それが演歌・歌謡曲系の楽曲にとどまらず、ジャンルの壁を飛び越えてすごくいい、ということに、“あやや”のスタッフの皆さんも気づいたのでしょうか。
2010年、カバーアルバム『SINGER』が発売されることになります。
ステージ上の、着物姿ではなく洋装の“あやや”を捉えたジャケット写真(このラインでのジャケットは、シリーズ4作目『SINGER4』まで続くことになります)。
《演歌歌手の島津亜矢》という、出来上がったイメージから離れたところで歌い、作られているので、聴く側もそのイメージからできるだけ自由になって聴いてもらいたい、という意思が、このシンプルなタイトルとジャケットからうかがえます。
1曲めからいきなり、ドリー・パートンが作り、ホイットニー・ヒューストンの熱唱で有名になった「I Will Always Love You」。
あの映画『ボディガード』の主題歌としても知られる名曲を英語のままで、“あやや”は歌います。
正直、英語の発音その他の面では、美空ひばりさんや江利チエミさんといった大先輩にはかなわない部分はあるのですが、“あやや”なりに奮闘をみせ、しっとり、たっぷりと聴かせてくれます(この“英語の発音”に関しては、シリーズを追うごとにうまくなってきている印象があります。「ヒアリングの能力」と言い換えてもいいのかもしれませんが)。
続けて“あやや”が歌うのは、中島みゆきさんの大ヒット曲「地上の星」。
ここでは、それぞれ初期の弘田三枝子さんや都はるみさんの系譜に連なる《パンチのきいた》うなり節が炸裂するのですが、いささかやり過ぎたような気がしないでもありません。
ただ「このぐらいは“うなれる”」というところを、“あやや”初体験のリスナーの方々に知らしめる効果はあったのかもしれません。
この「地上の星」に「紅灯の海」と、中島みゆきさんの作品が続き、このシリーズで唯一、島津亜矢さんのために作られたオリジナル楽曲で、テレサ・テンに日本での成功をもたらした荒木とよひさ=三木たかしのゴールデンコンビによる、テレサ同様に演歌色の薄いポップス寄りの楽曲「想いで遊び」をはさんで、その後はカバー一直線です。
松山千春さんの「恋」。
このカバーは、すばらしい。
「地上の星」での“押し”、あるいは“足し算”の歌唱から一転して、この「恋」ではサビの部分で“押し”ますが、そこに至るまでは“引き”で通します。
そのことによって、愛に疲れた女性の心情が、痛いほど伝わってきます。
この“引き”は、“本業”での代表曲のひとつ「帰らんちゃよか」でも駆使したテクニックではありますが、この解釈はとても新鮮なもので、おそらく千春さんも驚かれたのではないでしょうか。
続いては、故・谷村新司さんのソロでの代表曲「昴」。
カラオケでは蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われるこの名曲ですが、もちろん“あやや”には余裕です。このシリーズではこの後も、そういった「歌唱力に自信のない方はご遠慮ください」的ナンバーが続出しますが、“あやや”は難なくクリアして行くのです。
そして、この後がまたスゴい。
ドン・キホーテの物語に材をとったミュージカル『ラ・マンチャの男』の中の、エルヴィス・プレスリーも歌った、最も有名なナンバー「見果てぬ夢 (The Impossible Dream) 」を、日本語で歌います。
2022年、『王様のレストラン』の“千石さん”でも知られる松本白鷗(はくおう。“千石さん”の頃の芸名は松本幸四郎。松たか子さんのお父さんでもあります…)さんが長年主演してきたミュージカルの日本公演がファイナルを迎えたこともあり、この楽曲にもまた注目が集まることがあるのかもしれません。
そしてこれは意外なところからの選曲で、エルヴィス・プレスリー初期の大ヒット・ナンバー「監獄ロック」を、こちらはロカビリー・ブーム当時の「しゃれた看守のはからいで/監獄でパーティーがあったとさ」という(!)、日本での訳詞、しかもいわゆる《エルヴィス・エンディング》のアレンジで。というか、この「監獄ロック」は奥田民生さんも同じ訳詞でカバーされているので、そちら方面からのセレクトかもしれません。
ちなみに、『SINGER』シリーズには入っていないのですが、“あやや”は同じテイチクの大先輩・故・石原裕次郎さんの「嵐を呼ぶ男」もカバーしたことがあります。あの「フックだボディだ、ボディだチンだ」という珍妙なセリフも込みで!
『SINGER』シリーズについて、「私は、来た曲を歌うだけです」と語る“あやや”ですが、どこか「そういったタイプの楽曲」に吸い寄せられてしまうところが、あるのかもしれませんね。
と、ここで次の曲に移ろうとして、わたくし、ある「事実」に気がついてしまいました。
実は2002年から“あやや”は、“本業”の方の楽曲のカバーをメインとした『BS日本のうた』というアルバムを断続的に出しており(すべて入手困難)、早い時期の『SINGER』シリーズの中には、その『BS日本のうた』の方で先に発表していたものもいくつかある、ということです。特にこの『SINGER』第1作では、全16曲中10曲以上が『BS日本のうた』シリーズと重複しており、一体これはどういうことかなー? という思いもなくはないのですが、もしかすると『SINGER』シリーズの企画は、『BS日本のうた』シリーズを制作して行く中で生まれてきたものなのかもしれません。
そう考えると、これはこれで意味のあるステップだったのかも……? (つづく)