元日本代表監督イビチャ・オシムとその言葉

オシム元監督の略歴

オシム元監督は、ボスニアヘルツェゴビナのサラエボ出身です。学生時代は優秀な数学科の学生で,数学者になるかサッカー選手になるか迷っていたそうです。結局サッカー選手を選び、現役時はFWの選手で現役引退後、指導者の道へ進み,1990年イタリアワールドカップでは旧ユーゴスラビア代表監督としてチームをベスト8まで導きました。それらの実績から、2003年ジェフユナイテッド市原(現ジェフ千葉)の監督に招聘され、「考えて走る」サッカーを掲げ2005年ヤマザキナビスコカップで優勝しました。その功績から2006年7月から日本代表監督として日本代表を率い、2007年11月に脳梗塞で倒れるまで日本代表を指導しました。

オシム元監督の残した名言

オシム監督の機知と含蓄に富んだ言葉はサッカーファンの注目を集めました。以下いくつか挙げさせてもらいます。

「ライオンに襲われそうになった野ウサギが逃げるとき肉離れをするのか?(けがをするのは)準備が足りないからだ。」(2003年)

「レーニンは『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。私は選手に『走って、走って、走れ』と言っている。」(2003年)

「残念なことに選手に休みを与える。だが忘れてほしくないのは休みから学ぶものはないという点だ。選手は練習と試合から学んでいくものだ。」(2003年)

「古い井戸には水が少し残っている。それなのに古い井戸を完全に捨てて新しい井戸を掘りますか?古い井戸を使いながら、新しい井戸を掘ればいい」(2006年)

「おまえたちはアマチュアなのか。プロフェッショナルの私は死ぬ気でこの試合に臨んだのにそういう気持ちがあったのか。」(2007年7月、アジア杯初戦カタール戦後)→敗戦の後

「リスクを冒さなければ人生で何も成し遂げられない」

他にも名言ともいえる言葉があるのですが一部を挙げさせてもらいました。

オシム元監督が脳梗塞に罹らなければ………

オシム元監督は代表監督をやめた後も日本サッカー協会とアドバイザー契約を結び、日本代表監督の選考などの時に日本サッカー協会はオシム元監督にアドバイスを求めていたそうです。

オシム元監督は2022年に逝去なされ、筆者としてはもしもオシム元監督が脳梗塞に罹らず、日本代表がオシム監督のもとでワールドカップに挑んでいたらどうなっていたのだろうと想像するのみで残念でなりません。

  • 0
  • 0
  • 1

Jack

他の人より遅れて某大学に入学しました。物理学を専攻し修了までこぎつけました。それだけが取り柄です。サイエンスについて書かせていただきます。

作者のページを見る

寄付について

「novalue」は、‟一人ひとりが自分らしく働ける社会”の実現を目指す、
就労継続支援B型事業所manabyCREATORSが運営するWebメディアです。

当メディアの運営は、活動に賛同してくださる寄付者様の協賛によって成り立っており、
広告記事の掲載先をお探しの企業様や寄付者様を随時、募集しております。

寄付についてのご案内