ノーベル賞創設の経緯
ノーベル賞はスウエーデンのアルフレッド・ノーベルの遺言によって創設された賞で化学者であり実業家であったノーベルは1867年にダイナマイトを発明し巨万の富を得ました。平和への志が高く、ノーベルの死後全財産3100万クローナ(約5億円)を基金とするノーベル財団が設立されました。
ノーベル賞候補に挙がるのは「国籍を考慮に入れず、人類の福祉に最も具体的に貢献した」人物としました。
第1回ノーベル賞受賞者
第1回ノーベル賞は1901年に授与され、
物理学賞 ウイルヘルム・コンラッド・レントゲン(ドイツ)
化学賞 ファント・ホッフ(オランダ)
生理学医学賞 エミール・フォン・ベーリング(ドイツ)
文学賞 シュリ・プリュドム(フランス)
平和賞 ジャン・アンリ・デュナン(スイス)
が受賞しました。
授賞理由
レントゲンはX線の発見でノーベル賞を受賞しました。レントゲンは当時ドイツにある大学の学長という要職にありましたが、自ら実験を繰り返して世紀の大発見を成し遂げました。この発見を私物化したくないとして特許の話も断り、唯一受けた賞がノーベル賞のみで、その賞金も全額大学に寄付した、というなんとも変わった人物です。
ファント・ホッフは化学の有機化学や反応速度論など様々な分野で業績を残し、「溶液の浸透圧」の研究で受賞しました。ファント・ホッフの法則とは、希薄溶液の浸透圧は溶液の濃度に比例し、溶質の分子量に反比例する、という法則で高校化学の本にも現在では載っています。
ベーリングの授賞理由は、「ジフテリアに対する血清療法の研究」で日本の北里柴三郎博士とも連携していましたが、当時の受賞者は一人と決まっていてベーリングが受賞者となりました。
プリュドムはフランスの詩人で「壊れた花瓶」という詩で受賞しました。これは現在ではインターネットで検索すれば出てきますが、インターネットが普及する前までは『ノーベル賞文学全集』くらいしか日本では読むことが出来ず、翻訳もきわめて希少でした。
デュナンはスイスの実業家で赤十字社を創設しました。
第1回ノーベル賞の候補者に挙がっていた北里柴三郎
生理学医学賞のベーリングと連携していたという北里柴三郎は、ベーリングに動物実験の手法を教えたりしていてノーベル賞候補に挙がっていたが受賞を逃しました。しかし、北里博士の感染症に対する血清療法は当時国内外において評価され世界的な研究者として認められていました。筆者としてはもしも第1回ノーベル賞に北里博士が選ばれていたら日本の医学界に大きな影響を与え、日本国民にも大きな勇気を与えていただろう、と少し残念な気がします。
世界で最も権威ある賞
歴史と伝統のある世界で最も権威のあるノーベル賞を日本人が受賞することを毎年期待しています。