玉音放送(ぎょくおんほうそう)ー昭和天皇の英断

もうすぐ8月ということで日本では終戦記念日が近づいてきました。

玉音放送とは?

玉音放送とは、天皇の肉声を放送する事です。

通常、玉音放送とは、1945年(昭和20年)8月15日正午に社団法人日本放送協会(現在のNHKラジオ第1放送)から放送された「大東亜戦争終結の詔書」の音読レコードのラジオ放送を指します。グーグルなどで検索すると全文と分かり易い現代語訳が載っています。

特に有名なのが「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」の部分で、戦時中の困苦と占領されることへの不安を想起させ、印象深いと思われます。

この放送は、第二次世界大戦における枢軸国側の日本のポツダム宣言受諾による終戦(日本の降伏)を日本国民に伝える目的でした。

昭和天皇の英断だったー玉音放送へ至る経緯

1937年7月から8年あまりの戦争で日本での死者数は310万人にのぼりました。

1945年8月8日、劣勢の中、ソビエト連邦からの日本への宣戦布告を受けて、内閣総理大臣鈴木貫太郎が日本に最早勝ち目はない、と判断し、1945年8月14日の御前会議(天皇臨席のもとに行われた会議)において昭和天皇の裁可(聖断)を得ました。

劣悪なラジオの放送品質のため音質が極めて悪かったうえ、昭和天皇の朗読に独特の節回しがあり、さらに漢語が相当数含まれていたために「論旨は良く分からなかった。」という証言が多かったそうです。周囲の人々の雰囲気などで事情を把握した人が大半でした。

日本国民は戦況がわからず、本土爆撃などで不利な戦況を感じ取っていたとはいえ、日本が戦争に負けるという事実を知り、どれほど落胆したか。あるいはもう戦争を続けなくていいということで安堵したか。日本人にとって天皇は国家の主権者であり、神のような存在であった天皇の肉声で敗戦を知った当時の日本人の気持ちは想像を絶します。

天皇の戦争責任は問わなかった

ところでGHQ(連合国軍最高指令官総司令部)のマッカーサーは、占領統治をスムーズにするため、昭和天皇の戦争責任を問わないことにしました。昭和天皇の罪を追及すると武装蜂起する者などが現れ、占領のコストが高くつきます。そこで急いで1週間で、武装解除と天皇を象徴とすることを柱とした新憲法を作りました。

戦後、天皇は象徴であり、最近では、災害の被災地に出向いたり、福祉活動の集会に参加したり、現在ではインスタグラムも始めています。確かに被災した人が天皇の来訪で元気をもらったなどというのを見て、日本の皇室というものの重要性と皇室の持つ長い歴史に敬意を表せざるを得ません。

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Jack

他の人より遅れて某大学に入学しました。物理学を専攻し修了までこぎつけました。それだけが取り柄です。サイエンスについて書かせていただきます。

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