2024年1月1日に起きた能登半島地震から7ヶ月程経ちました。いまだに倒れたビルや倒壊した家屋の映像がテレビに映り能登半島の状況はどうなっているのか、胸が痛みます。被災地の復旧・復興の状況を調べ、なぜこんなにも復旧・復興が遅れているのか、考えてみました。
被災地の状況
- 「道路」
主要な幹線道路はおよそ9割が復旧しましたが、片側通行の場所が多く、各地で渋滞が頻発しています。復興の作業のための資材の運搬を妨げる大きな原因となっています。
- 「ライフライン」
ガス、電気はおおむね復旧しました。水道についてですが、5月31日に、県から断水解消が発表されたのですが、”水が出ない”との訴えが各地で起きています。原因は、水道管と住宅とをつなぐ配管の破損にあり、業者が不足して修理には時間がかかるようです。
- 「避難生活」
7月1日の時点で2000人余りが避難所に身を寄せています。そのほか、指定された避難所ではなく農業用ハウスを自主避難所として利用している人もいます。
- 「児童・生徒数の減少」
石川県内の全小中学校で授業が再開されていますが、被害が大きかった輪島市や珠洲市では多くの子供が故郷を離れました。もともと高齢化・人口減少が進んでいて、若い世代の減少を加速化させてしまいました。
復旧・復興は遅れている
それではなぜ復旧・復興が遅れているのでしょうか?
今回の能登半島地震で復旧・復興が遅れている最大の原因は「人手不足」です。そしてその人手不足を生み出しているのは、能登半島の奥まった地形と平地の少なさです。
現地で仕事がなく、働き手がどんどん故郷から離れていきます。農林漁業の働き手や建設・解体の現場や高齢者のケアをする人も少ないです。
過去の大地震と比較すると、2011年の東日本大震災ではマグニチュード9.0,16年の熊本地震でマグニチュード7.3なので能登半島地震のマグニチュード7.6は熊本地震を超えています。ここで例えば、社会福祉協議会のボランティアに参加した人数は東日本大震災では6万3000人、熊本地震では2万1000人、能登半島地震では6000人となっていて能登半島地震ではとても少ないです。能登半島の地理的制約から、被害状況の把握の遅れや道路寸断のため、ボランティアの活動できる状況を作り出すのに時間がかかったと思われます。
また、「情報」を得ることが出来ない、というのも被災者の一番不安なことだと思われます。携帯がつながらず、テレビも見ることが出来ないため、数日間は外の地域の様子が全くわからなかったそうです。
政府の対応
一方、政府の対応としては、1月1日午後4時10分の地震発生直後の午後4時11分に官邸危機管理センターに官邸対策室を設置し、被害情報の把握・国民への伝達を首相は指示しました。やはり過去の大地震への対応から学んでいるため、支援物資をプッシュ型で被災地へ送ったり、自衛隊は20分後に初動対応にあたる部隊「ファスト・フォース」を立ち上げました。「ファスト・フォース」は航空機2機を被災地へ飛ばし上空から被害状況を確認したそうです。
日本の政府も自衛隊も国民も過去の大地震から学んで進歩はしているのに、それでも北陸信越ブロックの人の60%以上の人は政府の対応は遅かったと言っています。
今考えられることは、政府・自治体レベルでは、ドローンやヘリコプターによる早い被害状況の把握につとめる、住宅の耐震化を推し進めること、避難所の衛生面の向上、高齢者などへのきめ細かな配慮などやるべきことは多くあり、平時からシミュレートしておくことが必要です。
さらに、最新の科学技術を活用して、無人機の性能を向上させたり、AIを用いて緊急地震速報を今までよりも早くだせるようにし、地震の揺れに今までよりはるかに強い住宅を作るなど、やることはたくさんありますが日本に住んでいる以上やむを得ないことだと思われます。