マラソン競技の起源
マラソン競技の起源は、「マラトンの戦い」にあると言われています。マラトンの戦いは「ペルシア戦争」という大きな戦争のなかの一つで、紀元前490年にギリシアの都市・マラトンで起こりました。アテネ軍がペルシア軍を破った戦いで、アテネ軍の勝利を一刻も早くアテネ市民に知らせようとした青年が約49㎞の悪路を一度も休まず走りぬき「喜んでください、わが軍は勝ちました」と告げると同時に息絶えたという逸話、というか神話がありました。近代オリンピックでマラソン競技の実施を提唱した古典学者がこの話を援用したのでした。
この話は事実ではありませんが、第一回近代オリンピックで無名のギリシア人ランナーのスピリドン・ルイスが優勝し、ギリシア中が沸き立ち、この神話が事実として定着したようです。
この第一回近代オリンピックで行われた長距離走は1896年(明治29年)に行われました。この時のマラソンの距離は「約40㎞」という曖昧な距離で行われました。
42.195㎞
42.195㎞という距離で初めて行われたマラソンは1908年の第4回オリンピック(ロンドン)でした。この大会では最初、42㎞で競い合う予定でした。
しかし、当時のイギリスの王妃アレキサンドラが「スタートの地点を宮殿の庭にし、ゴール地点を競技場のボックス席の前」にするようにと注文したことがきっかけで距離が追加されることになり、それで42.195㎞になりました。ただ諸説あり、真実のほどは定かではありません。
はじめの頃は選ばれたエリート選手だけが競技に参加でき、女性にも参加が認められていませんでした。しかし、トレーニング方法の進化などから競技人口の裾野が広がり、誰もが参加できる身近なスポーツ種目となりました。
初めの頃のオリンピック記録としては、男子で2時間40分台位で、徐々に速くなり、現在のオリンピック記録はパリオリンピックでタミラト・トラ選手が記録した2時間6分26秒と40分程度速くなりました。
日本にもマラソン黄金時代があった
日本で最初に行われたマラソン大会は1909年(明治42年)3月21日に行われた「マラソン大競走」です。約32㎞のコースで、優勝タイムは2時間10分54秒でした。そして徐々に日本でもマラソンに対する関心が高まり、1912年(明治45年)のストックホルムオリンピックから選手を派遣しています。
1970年代後半から1990年代前半にかけては日本マラソンの黄金時代で世界的な選手が多数いました。例えば、宗茂、宗猛、瀬古利彦、中山竹通、谷口浩美などがいます。
2000年代後半からはエチオピアやケニアなどがマラソン強豪国となり、高速化したマラソンに日本は苦戦している状況です。そして、シューズについても、ナイキの「厚底シューズ」が2016年のリオデジャネイロオリンピックから登場し、その後、「厚底シューズ」に乗り換えるランナーが続出し、世界陸連がシューズの厚さを規制する事態にまで発展しています。
マラソンの大衆化
現在では、マラソンは大衆化し、「サブスリー」(マラソンを3時間以内に走ること)を目標としたり、大会で自己ベストを目指すなど多くの人に浸透するまでになっています。
軽いジョギングでも有酸素運動になりダイエット効果が高いので、「走る」ことを日課にすることは良いことだと思われます。