歌の世界に「旅」はつきものでありまして、中には一年中旅してる(歌の世界でね!)水森かおりさんみたいな方もいらっしゃいますが、この、とりわけ「女性がひとり、旅する」というシチュエーションが歌謡曲の世界に登場してきたのは、昭和40年代前半、西暦でいうと60年代後半あたりからではないでしょうか。
たいていは、恋に破れたり疲れたりした女性の傷心旅行、という感じでしたが、これが70年代に入ってきますと「色恋に見切りをつけて、自らその土地を去る」、そんな女性も、歌の世界の中に登場してきます。
たとえば、朱里エイコさんの「北国行きで」。作詞は「翼をください」の山上路夫さん、作曲は「さらば涙と言おう」の鈴木邦彦さん。
この歌に出てくる「愛に疲れた」女性は、事前予告なしで、いきなり去って行きます。
「明日あなたにお別れの手紙が届くわ きっと」と歌っているので、手紙は出しといた、というわけでしょうか。
「憎み合わないその前に 私は消えてゆくの」というフレーズが、日本語としてはちょっとおかしいのですが、印象的です。
まぁ「電話かけてもベルだけが 空き部屋に響くだけ」なんて聞くと「解約しなかったのか。うかつだな……」などと、不粋なことを思ったりもしますが、よくよく考えるとコレ、故グレン・キャンベルの出世作「恋はフェニックス (By The Time I Get To Phoenix)」の舞台を日本に、そして男性を女性に置きかえた、なかなかうまくできてる歌詞なのですね。
「恋はフェニックス」では、男性はメモのような置き手紙を、女性に残します。“電話をかけても、ただベルが鳴るだけ”というのも同じ。
違うのは曲調で、ソフト&メロウな「恋はフェニックス」に対し、「北国行きで」はビート、そしてパンチがきいている中にも哀愁が漂っている……、そんな雰囲気です。
さて、「次の北国行き」に乗って、彼女はどこまで行くのでしょう。
もしかすると、奥村チヨさんの「終着駅」に出てくる、「淋しい女」が降りる駅、なのかもしれません。
そんな駅、どこにもないのかもしれませんが。(つづく)