私がテレビのプロレス中継を見始めたのは、小学5年生の頃でした。1980年代のことです。当時、新日本プロレスが毎週金曜日の午後8時から生中継されていました。アントニオ猪木や藤波辰巳、初代タイガーマスクが活躍していた頃です。もう一つ大きな団体があってそれが全日本プロレスでジャイアント馬場が率いていました。
新日本プロレスのアントニオ猪木は「プロレスは最強の格闘技なり」と唱え、異種格闘技戦を多く行い、ボクシングのモハメッド・アリや柔道のウイリアム・ルスカなどと死闘を繰り広げました。引き分けたモハメッド・アリ戦では「世紀の凡戦」と罵られ何億もの借金を背負い込んだそうです。しかし、アントニオ猪木がアリの強烈なパンチを食らわないようにリング上で寝た体勢で、ローキックを執拗に狙う闘い方を評価する専門家もいます。何と言ってもアリのパンチはかすっただけでもダウンを奪えるという凄さだったそうです。
一方、全日本プロレスのジャイアント馬場はプロレスの中での最強を目指し、人柄の良さから、アメリカから多くのプロレスラーを来日させ、ジャンボ鶴田や天龍源一郎らと対戦させました。
私が中学生の頃、長州力が海外から帰国し、藤波辰巳にライバル心を燃やし、マサ斎藤らと「維新軍」を結成しました。そして、アントニオ猪木らの「正規軍」と激闘を繰り広げ、特に藤波辰巳対長州力の闘いは「名勝負数え歌」と呼ばれ熾烈を極めました。長州力は「サソリ固め」というオリジナルの必殺技を持っていたのですが、藤波辰巳はそのサソリ固めを長州力にかけ、「掟破りの逆サソリ」と呼ばれました。当時も今も相手のオリジナルの技を相手にかけることはタブーとされています。
「正規軍」と「維新軍」が激しい闘いをしている最中にヨーロッパ武者修行から日本に帰ってきたのが前田日明です。細身の長身で「12種類のスープレックス(そり投げ)」を持っている選手で強烈なハイキックもできます。その時苦戦していた「正規軍」は前田日明を戦力として取り込み、「維新軍」と闘いました。残念なのは、前田日明が「維新軍」との闘いに埋もれ、力の強い色々な外国人と戦って大器を花開かせるチャンスが少なかったことです。余談ですが、前田日明は後にUWF初期メンバーに名を連ねます。
私の記憶では次第に長州力率いる維新軍が有利に展開していったと思います。しかし、長州らは、全日本プロレスに移籍し、初代タイガーマスクの佐山聡らはUWFという団体を作るなどして多くのプロレス団体が乱立する時期へと突入していきました。
最近はプロレス中継を見る暇がなく、どんな団体が有るのかもわかりませんが、テレビなどでプロレスの話題があると、この頃のことを思い出し、時代の移り変わりを感じます。