仙台空襲と復興

仙台空襲

宮城県仙台市は、太平洋戦争当時で人口が30万人、東京以北で最大の都市でした。旧制二高、東北帝国大学など高等教育機関があり「学都仙台」と呼ばれ、同時に陸軍第二師団が置かれていました。

第二次世界大戦でアメリカによりサイパン島陥落をさせられて以来、日本本土への空襲が始まり、仙台もその標的になりました。1945年7月10日午前0時、ボーイングB-29が123機もの編隊で市街地、住宅街を無差別に爆撃し、2時間にわたって1万発以上の焼夷弾が投下されたそうです。焼夷弾というのは、建造物を焼き払う目的で使う、燃やす薬剤を入れた爆弾のことです。

未明の爆撃により、避難が間に合わず1000人以上の人が亡くなったとのことです。仙台は2時間で焼け野原となりました。

米軍が焼夷弾の投下目標としたのは、現在の青葉区中央のクリスロードと東三番丁の交差点で、今ではプレートが設置されているようです。桜井薬局ビル1階入り口付近です。「歴史を忘れず、平和の礎を踏み固めてほしい」との願いが込められています。

復興へ

仙台駅西口付近など焼失した地域の復興は政府による1945年の「戦災地復興計画基本方針」によって行われました。具体的には、青葉通、広瀬通、東二番丁などの道路や勾当台公園、西公園等の公園を整備し、主要幹線道路の無電柱化やケヤキ並木の整備などが行われ、昭和の時代には現在の「杜の都」の基礎が出来上がりました。

ご存じの方も多いと思いますが、仙台市戦災復興記念館には仙台空襲と復興事業の記録が保存され、戦争の悲劇を二度と繰り返さないように後世に伝えています。筆者は戦災復興記念館には行ったことはありませんが、空襲の被害と復興のための都市計画についても展示されてるそうで是非行きたい場所です。

地球環境にも影響を与える

戦争の悲惨さは日本人だけでなく世界の人が知っていることなのに、現在もガザ地区やウクライナで戦争がおこなわれています。筆者は少し前に「戦争・紛争の原因」という文章を書いていますが、それ以上に今は地球の環境問題が関わっています。最近の夏の暑さや豪雨による水害などの気候の問題はすでに人々の生活に影響を与え始めています。戦争は確実に二酸化炭素や温室効果ガスの排出を増加させ、気候変動により、現在住んでいる場所に住めなくなる人が多数出てきます。地球の温暖化など環境問題中心のテーマについては、別の機会に譲りたいと思います。

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Jack

他の人より遅れて某大学に入学しました。物理学を専攻し修了までこぎつけました。それだけが取り柄です。サイエンスについて書かせていただきます。

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