中学私は虐められた
いじめっ子と話し合いの場を持たせて欲しくて私は精神科の先生に助けを求めたんだ
けれど、鬱ですと、薬を渡されただけだった。
確かに涙もろくなってた、無気力になってた、人の視線を気にするようになってた
でもそれは虐めっ子たちから向けられる視線だったり心無い言葉だったりすべて原因のあることだった
精神科の先生がいじめを主導する担任の悪事を指摘して、いじめっ子たちを改善するように他の教師に助言し合ってくれるものだと思っていた
けれど、鬱だと診断され私に問題があると言わんばかりに薬を飲まされた
私はその時、絶望したんだ。
考えるのを止めて、争うのを止めて、死にたいと泣き叫ぶことであいつらへの抗議を主張することを止め、
ただ母の腕の中で眠った、周りは言ったよ。よかったわね。穏やかになって。
ねえ、馬鹿なの?
問題は何も解決されないまま
穏やかにではなく、絶望し気力を失っただけ、その後薬を飲み続けつつも、私は高校でオール5を取ったけれど、それは授業が始まる前、毎時間、神に延々祈り続け神経を研ぎ澄ませてから授業に臨んだからだ。
出ると言われた薬の副作用は息を潜めた
毎日気力が落ちる度、泥のように眠った。その後、薬に支配され記憶力がガク下がりするのを何度も経験した。その浮き沈みを経験し、葛藤を続けた脳は疲弊していったのだろう
私はなんて無駄な努力を強いられてきたのだろう。
あの時ただ話を聞いて、環境に働きかけてくれる大人がいれば、私が薬を飲み、障碍者になることは無かった
薬を飲むことで友人との楽しい会話も、意義のある仕事をすることも、会社で社会的地位を得ることも、結婚し子どもを持つことも何もかもが社会的選択肢が狭まっていく。
大学生の時、実習で行った高齢者施設でこんな話を聞いた。
下の世話をされるようになると、認知症が一気に進むのだという
認知症は自我の最後の砦なのだろう。そこにあるのは自我の葛藤だ。
統合失調症も若年性認知症と似ていると言われることがある。
認知症になる理由がアルツハイマーだったり脳梗塞だったり複数あるように
統合失調症になる理由も一つではないのだろう
だが高すぎる理想を持ち思い通りにいかない自我の葛藤がドーパミン異常を引き起こすのではないか
ドーパミンは期待し意欲を出すときに出される脳内伝達物質だ
しかしその期待が満たされることなく、絶えず叶えられずに終わるとしたら?
私はそんな時、脳にざらりとしたいやあな感覚を覚える
それから私には大きな夢がいくつもあった
3Kと呼ばれる福祉と美しいと呼ばれる美術を融合した新しい事業をしたい
虐めをなくしたい、そのためのスクールソーシャルワーカーの役割をもっと有意義なものにしたい
高齢者福祉施設と児童養護施設とお教室と花屋と畑とスーパーマーケットそれらが一緒になった複合施設を作りたい
大学生の頃デザインを専攻した私にはいくらでもアイデアが湧いてきた
蛇腹状に畳める椅子にバッグ、ボタンでいくらでも増やせるバッグ、年輪を生かした椅子、木でできた立体パズル、廃棄されるアート系リーフレットを生かした円形のCDケース、死刑制度廃止について、未来感情行動マインドマップ…私のアイデアは優や良が付いたけれど、私の手で実現されることは無かった。ざらりと苦いものが通り抜けるだけで私は我慢した。
葛藤、願いと叶わぬ夢。どうして人はわたしからは奪っていいと思うのだろう
私はいつ障碍者になったのだろう、ストレッサー指数は800を超えた
士農工商穢多非人江戸時代の身分階級制度は人々の不満を分散させることに意味があった
あいつらよりはましだ。その思いで江戸時代は長く続いたのだ
今その役割を担っているのが障害者だ
精神医学のボロを指摘すれば薬を増やされ思考を止められた
けれど知るべきなんだ
幼いころ意識にとどめなければ消えていく心疾患は多い
医者が患者を作り出しているんだ。ルソーも著書エミールの中でそう語った
必要のない眠らせようとする薬を飲み続けることと脳を働かせたいと願う思春期のその意志との拮抗で
バランスが崩れ本来の働きを壊しドーパミン異常を引き起こす
「思春期にうつ病の薬を飲み続けることで統合失調症に移行していく」
17年前ネット上に医師の手記が乗っていた
医師も気づいている
高校の授業で生物を取った際、気づいたことがある
脳内伝達物質は何で分泌されるか、食事、睡眠、運動、好きな人との会話、苦手な人との出会い、
そういった日々の感情動線で生まれる。ならば、少なくとも栄養バランスのとれた食事、適切な睡眠、日々の運動を管理すればキチガイになることは無いのではないか
そう、30代になる頃には自分のことも訳が分からなくなる様になると告げられていた私は医師に尋ねたんだ
でも今、その医師が処方していた薬こそが処方が制限され気違いになる基だったと分かった。
そして今、食事、睡眠、運動が大事だと言われるようになった。
ほーん。
医者は穢多(えた)を見つけ、社会から排除する目安を測り続けてきた。その過程で穢多を生み出しもしたのだろう。もしかしたら国からそういう要求が出されているのではないか?昔は障碍者に対する集団避妊手術が行われたよな。
障碍者には二通りある.
努力の仕方も知らないままに努力を放棄し医師に判を押され諦めを覚え他者に依存し奪い取ることに終始する者と社会から歓迎されない個性を持ち合わせたがために社会からはじき出される者
わたしは社会からはじき出されたものだ
今精神障碍者は増え続けている薬を処方される子供たちを思う時、傾聴の機会もなく、大人のエゴに押し潰されるあの時のいたたまれない気持ちになる
薬ではなく、日々の感情動線に向き合う思考力を、薬で鈍らせるのではなく、日々の試練に、
感情動線に対応できるよう工夫を積み重ねていく、それが生きるということだろう。日々を振り返り会話の練習をし、too muchを見つけて考えを改めたり、
人生には乗り越えない限り同じ波がやってくる。
泳ぎ方を教わることが必要であって、薬を飲んで波の手前で眠ることに意味はない、溺れるだけ、何度も何度も。
薬は思考力を奪う、生きていくうえで何が足かせになるか、大概人間関係だ。
人はどうやって友達を作るか仲間を得るにはその人との会話を覚えていて一緒に笑い合えたり相手の心の小さな機微に反応していくことで相手を受け入れていくだろう。薬を飲むとそれが出来なくなる
鈍くなる。薬を飲むことで友人との楽しい会話も、意義のある仕事をすることも、会社で社会的地位を得ることも、結婚し子どもを持つことも何もかもが社会的選択肢が狭まっていく。人間関係に躓く。何度も同じような波に溺れる。
そこにいるのは「可哀そうな私」以外の何物でもなくてそれは「あいつよりはまし」の典型例だ。社会は江戸時代から進歩なんてしていない
もっと他にするべきことがあるはずだ。せめて、子どもたちには薬を与えないでほしい
知っている?現代的なお菓子やジャンクフードを食べる子供たちには多動の傾向が見られるようになること
三か月食事改善すればADHDではなくなる子供たちが多勢いること
けれど今教育現場はその子たちを医師に繋ぎ、薬で大人しくさせることを重視している
幼少期から虐めなど外的要因で医者に行かせ薬を与え努力する意識を取り上げるのは辞めて欲しい、環境さえ整えばグレーから白に移行する子供たちは多い。薬は考える力を奪う。思考を鈍麻させ経験から遠ざければ乗り越え方を知ることは無い。そこに出来上がるのは、波に吞まれ続け溺れる人間だ。周囲も巻き込んで社会を死の淵へ追い込んでいく。
食事指導とか、傾聴とか、運動指導とか、睡眠の改善とか、便秘や歯磨き等衛生面の改善とか
指導すべきこと、工夫すべきことはいくらでもあるはずだ。なのに
薬を飲んではいお終いは本当にすべてがお終いになるよその子の人生が。その子がもたらすであろう社会的良さが、あなた方が大好きなお金を生み出す社会の力が失われる。
今、育てるということを、あまりにも面倒くさがり過ぎだ
だったらなおのことみんなで育てればいいのにそれすらも嫌がる
精神医学は社会の受け皿か?剣山に、私には見える。