長い橋と目標

最近思うことがあって、もやもやがあって、あなたは違うとか、あなたは軽いからとか、賢いとかいって区別されるんだ。そして、あの子たちは駄目なのよ。無理なの。どうしようもないの。というのを4,5人の支援者から聞いた。ねえ。期待されないことが、頑張らなくていいと言われることが馬鹿にされることに慣れていくことが可哀そうと言われることが、当たり前になってしまうと辛いと感じる余白さえなくて、奪っていく人になってしまう。気づかぬうちに。あなた方が悔しいと思う力さえ奪ってるんだよ。あなたたちは守られてればいいの。そうやって、でも、ねえ、守るって違うでしょう?相手を思って導くって違うでしょう。頑張らなければ手に入らないものは確かにあるのに。ぬるま湯に浸かっておけという、あなたの中に弱者がいなきゃ困るって思い、燻ってないですか、もしそうなら、私も同じだった。私はホームレス支援をしている時に感じたことがある。

ホームレスさんと接する時は元気で明るくて、ハキハキ話せて、だれかを支えてる自分が心地よかった。

でもそれって、健全じゃない。自分の心地よさの為にホームレスさんを利用してる。そのことに気づいて、私はホームレス支援を辞めた。支援者会議を支援者側から見たことがある。課題を把握しているのに、どうしてそれを障碍者本人に言わないのですか?自分で気づくのを待ってるって言った支援者がいた。そのタイム、いりますか?人は成長し、変化する生き物だと分かってくれていますか?

人は気付くと能力さえも一瞬で変わることがある。私はそれを小学校の休み時間に経験した。いつも逃げ回るばかりのドッヂボール。仲間に入れてもらうのさえ敬遠されていたのに、ある日突然、飛んでくるボールを受け止めて当てることが出来るようになった。意識が変わったから。好きな人を目の前にして、か弱いよりもかっこいいを選んだから。マンガのような絵を描くのは苦手だったけど、マンガを読みまくった数年後のある日からパラパラ漫画を書けるようになった。人は一瞬で変われる。意識一つで。

だから気づきを与えることは重要で、気づけるように布石を置いておくのが学校教育だけれど、障碍者にはもっと踏み込む必要があるんだと思う。薬で思考を鈍らせているから。

私が高校でオール5を取れたのは、学校の方針で生徒をどう評価するか点数を全部明らかにしてくれたからだ。

手を上げたら1点、テストの点数、遅刻で一点減点、授業中席を外したら1,5点減点等。
最初の授業で教科ごとに先生ごとに事細かく説明を受けた。だから目指すべきところが明確になって、私は愚直にそれを守ったからオール5を取れた。私が意識していたのは、暗記型の授業に臨むコツは、共通点を探すこと国語の時間のあれは英語のここと似てる。学び方を知っていただけ。ただ集中すること=集中したいと思えたこと、(何にでもなれるように自分の最大限、ベストを尽くすと決めたこと。)分からなくても読み進めて共通項を見出し前に戻る反復をすればいいと知っていただけ。どんなことからも学びを得よと、人の振り見て我が振り直せ。そう何度もいわれて生きてきたからであって、

気づくことを意識し続けていたから。

私が賢いと言うのなら、あの子たちとの違いはこれだけ。気づくのを待つ?薬で思考を鈍らせておきながら?気づきを教えるのが支援では?

まるでほら出来ない。私がいないと駄目ね。そういいたいみたい。

あの時のお母さんみたい

福祉の世界の長い橋を架けさせようとする支援に疑問を提唱する

長い橋は上からの圧に弱い。下から沢山の支えを必要とする。

わざわざ時間をかけてもろい橋を作ることに意味はあるんですか。

せっかく橋を建設しようとしてもその完成が何十年もかかるんじゃ途中でエネルギー不足になるよ

短い橋をいろいろなところに短期間で作っていった方が選択する道が増えて健全になれると思うけど。

諦めないでよ。知ったふりして心の中で統計取ってこの子はこんなもんって、切り捨てないで。

人は変われます。獣の様で、雄たけびを上げる精神疾患者をアドラーは正気に戻させてる。

私を正気に戻させたのは姉の「しっかり!」という言葉だった。泣いて喚いて正気が半分になった意識で後ろを向いた眼で考えた。

「どうしてこうなっちゃったんだろうなあ」という父の言葉だった。ひゅっと息をのみこんでこうならない方法を頭が探し始めた瞬間だった。

わたしが今正気でいられるのは諦めなかったからだ。

電気治療後の暴走する幼い思考の手綱を握って離さなかったからだ。自分の目指す理想の大人像を知っていてもう一度近づけるようにと工夫したからだ。具体的には行政書士や秘書検定の勉強をした。時間割を作って規則正しい生活と弱くなってしまった記憶力を鍛えた、記憶しようとすると頭がもやもやして息が出来なくなる、何度も机を叩いたよそうして戻したんだ。昔、東大生の友人が「気が狂いそうになるくらい机にかじりつくんだ」って教えてくれてたから。

分かる必要はない。知っている、ただそれだけで思考は変わる、能力も変わることがある。だから、障碍者に知らせることを遅らせてはいけない。

ねえ、障碍者には二通りある。努力の仕方も知らないままに努力を放棄し諦めを覚え他者に依存し奪い取ることに終始する者と、社会から歓迎されない個性を持ち合わせたがために社会から弾き出される者。

どちらも工夫すれば障碍者ではなくなる。前者は心withブートキャンプみたいな特訓をする。後者は自分の意識を社会に合わせる調整をする。ホームレスさんがホームレスに戻ろうとする様に、障碍者でいることが希望になってる人がいるのも知ってる。

私がその人たちと違うのは、「受けるより与える方が幸福である」という言葉を知っていたからだ

だから伝えたい。

受けるより、少しでも与えられる喜びを知ってほしい。それは不足に怯えない、ありのままの自分にしてくれる近道だよ。そして支援者にはその機会を奪わないでほしい

支援者の人に言いたいのは、諦めないで何度でも期待してあげて可能性を提示してあげて。チャンスを何度だってあげて、そして歩き出したら、ハイさよならじゃなくて、

そっと背中を押してあげて。振り返ったらそこにいて手を振ってあげて。

私たちは普通に戻れるから。

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tsuna

初めまして つなと申します。新しく生まれた私の名前。 生まれる前の記憶も書いていく▲ 深い示唆に富む万物、哲学が好き。 もしかしたら初めましてじゃないかも 通り過ぎる人波の中 幾億の人に出会っただろう あなたの記憶に私がいなくても また会おう*

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